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 隣に元妻が立ったことに気付いたが、ジョージは去り行く娘を見送っていた。予測不可能な事態、あるいは予測されていてもヒト族の利益のために見逃されていたことが起こりはしたが、リリスとモルグは目的を果たし、地平線の彼方へ去っていった。ジョージの天使を連れて。
 側で呼吸するアンナが、微かに震えているのに、気付く。
「私、残酷なことをあの子にしてきたのね」
 気丈にしているが、涙声に近い。
「……私もだよ、アンナ」
 額を押さえた手が、顔を覆う。
「何が正しいのか、分からなくなったよ」
 マリア・マリサ、その子どもと、死。アマーリエの誕生と、成長していく姿。恐らくは永遠に去っていく彼女からの、赦し。二十一年の月日は、こんなにも呆気なく過ぎ去り、何も残さずに行ってしまった。
 その罪や悲しみを同じようにして共有するのなら、隣に立つアンナ以外にあり得ない。だからこうして彼女は、大嫌いな元夫の隣に立っているのだろう。彼女は強く見えて、とても弱い。どこまでも寄り添うことのない夫婦だったが、娘を送り出す時になって別れずに隣り合っていることは、少し不思議だった。
 携帯電話が、震える。
『マリアの部屋を、よく探して』
 アマーリエからのメールだった。本当に、これで最後だろうという予感があった。マリアの部屋に、何を隠したのだろうか。宝探し遊びをした記憶が、柔らかく揺れた。
 同じようにアンナも携帯電話を開いている。ディスプレイを見ていたアンナから、思いもしなかった笑い声が微かに上がった。
「あの子ったらしたたかになったわね。『暇だったら医学書か何か送って』ですって。さっき感動的な別れをしたばかりだっていうのに」
「私にもメールが来ましたわ。『また会いましょう』と」
 イリアもそう言って、ジョージは目を閉じて笑った。こうして笑える自分が不思議でたまらなかった。ここに至るまでの様々な非情な行いを思い返し、しかし罪悪感を抱くには、ジョージは生粋の政治家だった。
 ただ、本当の最後の最後まで何も行動しなかったのは、娘をぎりぎりまで手放したくなかった『父親』がいたからだろう、そう思いたかった。どんな姿、表情よりも、マスコミが撮影したあの顔が浮かぶのだから、『父親』としては苦笑するしかないのだが。
 きっと、誰もがあんな風に恋をすることが出来たはずだった。出来なくて歳を取った自分を、少し思った。
「おじさま。おばさま。そろそろ戻りましょう。暖かくなったとはいえ、いつまでも立っていると冷えますわ」
 イリアの声に、ジョージは応じる。アンナの肩を抱いて促して歩み始めた。もう、娘の方は振り返らない。道は、すでに違う。
「そして、いつまでも幸せに暮らしました……」
「なに、ジョージ?」
「いや、久しぶりに実家に行った時にね、アマーリエの本棚がまだ残っていたんだよ。ぼろぼろの絵本は、全部そういうお伽話の本だった」
 ある意味、アマーリエは物語を歩んでいくのだろう。ジョージやアンナの手が届かない、別の世界と時間の向こうに。いくつもの出会いと別れを繰り返し、いつまでも幸せに。
 本当は、『いつまでも』などないと、知ってはいるけれど。
 アンナは振り返る。ジョージもまた。もう、リリスたちの姿は黒い影の群れにしか見えない。
「幸せに」
 アンナが言って、ジョージの手を逃れて歩き出す。行き場を失った手を見つめ、アンナの背中を見つめたジョージは、穏やかな気持ちで笑った。
 都市のビルが望める草原。外から見える街は、どこか絵のように美しい。草原への道はここで終わっている。ジョージには、都市へ続く人工的な道が目の前にある。それぞれに辿るべき道があった。

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