終幕:Amaranth
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 光は閉じるようにして緩やかに消え去り、夜の空に白さは失せて、淡い星の粒が常のように瞬いているだけに戻っていた。遠くで変わらずにどこかの飼い犬の吠える声が聞こえてきて、音が戻ったことを知る。
「なんだったんだ、今の……」
 その人の胸を通して声を聞いた。合わさった鼓動が耳に直接、呼吸とともに伝わってくる。ぎゅっと抱えられて更に身を強ばらせて耐えていた恵理子から、神郷がゆっくりと離れていく。お互いにぎこちなく、そろそろと。
 こびりついて離れない音を誤摩化すように、恵理子は髪を掻きあげて耳にかける。うまく耳に掛かってくれない黒髪を、不意に、伸ばそう、と決める。流行だとかそういうのではなくて、願掛けでもなくて。
 例えるのなら、この人に相応しくなりたいと思うがゆえに。
 彼は戸惑ったように、顔を上げたこちらを見ていた。恵理子はいつしか笑っている顔に、更に笑顔を浮かべて言った。
「ありがとうございました」
 精一杯の思いを込めたことに、彼は気付いたろうか。ここにいる自分は、もうそれまでの自分ではない。あの光を見てしまったのだから、新しい自分が始まってしまった。だからこの言葉は別れの意味で。
「おやすみなさい」
 そして、これはもう一度出会うために。
 風が吹く。草原を渡るにも似た涼しく、軽やかで、芳しい空気。夜の静けさに、仄かに灯った人工的な光と自然の星の光の下に。いつまでも変わらないであろう、約束。
 神郷は不思議そうに恵理子を見ていたが、ふっと口元を緩めると、いつか見たような顔で笑って言ってくれた。
「……おやすみ」

 もしこの世界が無限の螺旋を描いていくもので、永く変化し続け二度と同じものがないのだとしても、永遠があるのだとしたら、それは恋という行為の巡り。
 この世界で始まらなくても、いつかの世界で始まることもあるだろう。
 例えそこが灰色に覆われていても、光は差し、花は芽吹く。喜びの光と悲しみの水を繰り返し。光をたくさん浴びて。
 信じている者は、数少ないけれど。

「臨時ニュースをお伝えします。今日午前零時頃、――県――市沿岸に謎の飛行物体が」
「ただちに住民を避難させ」
「飛行物体は生物だと確認。形状から、爬虫類が進化したものだと」
「これは竜ではないかという専門家の意見もあり」



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 ノイズまじりの電光掲示板は傾き、鉄筋の崩れた隙間が、風を通ることで立てる音が、甲高く泣き声に似て不気味だ。割れたアスファルト、ビルに突っ込んだ信号機、黒煙を浴びたのだろう黒ずんだ乗用車の山が、あちこちに出来上がっている。それらはもうすでに、崩壊の印であっても永い時を経て朽ち果てようとしている。
 空は灰色。草木の影はない。彩りに欠けた風景は、人の営み。沈黙と都市の廃墟の取り合わせは、絵画や写真やCGのような幻想に似ている。とても、冷たく静かである意味美しい。
 細かくなったアスファルトを更に砕く足音に、風が止む。世界が、沈黙故に甲高い音を立てる。
 そして、その主は空を見上げる。
 灰色の空に、彩りがひとつ。伸ばした手が確かに包み込む。
 手のひらには、咲いたように揺れるどこかからの優しい色の花びらが一枚。
 それを握りしめると、更に歩き出す。果てしない光、花の咲く場所に向かって。

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