|  <<  |    |  >>  |

 カーステレオからは、ルーイの選曲なのかポップなロックがかかっていた。優しいが激しい強さを発する声のボーカルが、未来へ進んでいくことを歌っている。メロディに聞き覚えがあり、頭の中で強い言葉の歌詞をなぞった。
「これ、ランキングで一位に入ってたやつだよね」
「そう。初回限定版予約して買ったんだ。この曲聞きながら運転するとわくわくする」
「今日は本当にごめんね。送るって言ってくれたのに、待たせるなんて……」
 肩を落とすと、ルーイは笑いながら大丈夫と請け負った。「待つことも楽しみのひとつだよ」と言って、ハンドルを握る横顔がこちらに視線を投げ掛ける。車は次第に混雑する行政地区に進んでいき、信号に引っかかりがちになり始めた。ブレーキをかけた勢いのようなもので「ねえ」と発したルーイは、何気なくその問いを口にした。
「アマーリエは、好きな人、いるの?」
 どきっと一つだけ鼓動が大きくなった。
 こういう質問は好きじゃない。自分でもよく分からない感情を誰かに知られて理解したと思われるのは、無理矢理なものような気がするのだ。出来ることなら自分でも自覚を持っていたい。
「……分からない。でも、恋人にしたいっていう人は、今のところ考えたことがないよ」
 だからそう正直に口にした。ルーイは、少し面白そうに笑った。
「分からないんだ?」
「ルーイは誰かと付き合ったことあるの?」
 彼は苦笑すると「あるよ」と答える。大学では女生徒の知り合いも多いルーイだ。知り合いたちからは可愛くてかっこいい先輩との評判も高いし、訊けば色々答えてくれるかもしれない。
「どんな風に付き合おうって決めたの? 最初のときは」
「最初? そうだなあ……告白されたな。それだけ好きでいてくれるんならって思って、お付き合いしたよ」
「相手の人のこと、好きだったの?」
「段々好きになった。……小説みたいにお互いが本当に思い合って恋人になるっていうのは、なかなか難しいよ。僕の場合は、彼女は付き合う前に段々僕のことを好きになってくれたけれど、僕は付き合ってから段々彼女が好きになったよ。恋愛って、そういうことの繰り返しじゃないかな。だから」
 ルーイの言葉は彼自身が信じていることを優しく教えてくれる。そういう恋もあると言った彼は、だから、の続きを思いもがけない言葉で繋いだ。
「アマーリエ、僕たち、付き合わない?」
 信号が赤になり気を遣われたのかブレーキは優しくかけられたが、アマーリエはがくんと大きく揺れた。その不自然な体勢のまま目を大きく見開き、童顔な彼の横顔を穴があくほどの勢いで見つめる。
「……え?」
 ぐるぐる頭の中で回る言葉が同じ音を囁き続ける。それに温められたかのように、温度計のごとく血が一気に顔に上った。顔が熱い。暖房なんてめじゃない。口を何度も開け閉めしているうちに、再び車は動き出して滑らかに進む。カーステレオは強く未来を歌う。
「え、ええええ!?」
 自分でも螺子が吹っ飛んでいくような叫び声が喉からぽーんと上がり、側で聞いたルーイはぷーっと噴き出す。冗談……なわけがない、一瞬だけ嘘だったのかと思ったけれど。今のはこちらの態度がおかしくて笑ったのだ。赤い頬を押さえ、ぐるぐる考えるのをなんとかしようと、額を押さえる。
「は、初めて告白された……」
「初めて?」
 何かがおかしいらしく、彼は目を見張る。アマーリエは肩をすくめた。
「お、おかしい……? やっぱり?」
「え、いや、そんなことないよ」
 アマーリエは所在なくて髪をいじる。ルーイの微かな慌てように心が沈んだ。
 漆黒よりも浅い黒の髪は、艶だけはあって光に照らすと黒なのかグレイなのかつかない妙な色になる。巨大な目は痩せた顔に広く面積を取っているため、いつもマスカラは控えめに塗っていた。あまり色のない唇には色付きのリップクリーム。そんな風に少しでも飾るのは、自分が魅力的ではないと知っているからだった。恋愛の回数を魅力のバロメーターにするつもりはないが、落ち込むものは落ち込む。
「着いたよ」
 ルーイは車を歩道に寄せる。
 都市中央部の行政区に建つ第二都市最大の建築物、市庁舎がそびえ立ち、周囲には行政関係の建物が密集して、暗くなった空に星よりも大きな無数の室内の明かりを真昼の空のように輝かせているが、そんなことは今は気に留めていられない。ルーイは横顔を向けたまま、経験値の少ないアマーリエには余裕なのか緊張しているのか分からない笑みを見せている。
「あのさ、急にごめん。一応、知っておいてほしいと思ったんだ」
 そう言ってから顔をこちらに向けた。
 思わず身体が跳ねる。車道を走る速度を上げた車が、アマーリエの乗った車を揺らす。アマーリエが感じたのは、なんだか怖いということだった。彼から目が離せないのは、目を逸らせばもっと怖いことが起こりそうな気がしたからだ。
 それに気付いたのだろうか、ルーイは静かに笑うとドアのロックを外した。
「考えておいてね。アマーリエ、付き合ってみるっていうのも選択肢だよ」
 そう言って、答えを求めなかった。
「あ、あの」
「なに?」
 優しい声は、しかしさきほどの恐怖を払拭してはくれない。
「……ううん、送ってくれてありがとう。また、月曜にね」
 ドアを開けて外に出る。冷たい空気が一斉に身体を取り巻いた。火照った頬に冷気が気持ちがいい。
 ルーイはそれじゃと手を上げて、車を走らせて夜の街に向かった。見えなくなるまで見送ってから、ふっと息を吐く。過ぎ行く車たちのヘッドライトに一瞬だけ照らされたのが眩しくて瞬きをする。身体が痺れるくらい強ばっていたのに気付いて、ゆっくりと両手を握り開きし、それから、真っすぐに落ち込んだ。
「……好きって言ってくれたのに、怯えるってないよね……」
 恋の形はさまざまだ。オリガは年上の社会人の彼がいて、オリガから告白したとアマーリエの恋愛恐怖症の改善のために少し話してくれたし、キャロルは年下の彼氏がいて最初は弟みたいだったのだと言っていた。リュナは昔は派手だったと言うが、今はちゃんとした恋愛がしたいと笑っている。ミリアはあの通り惚れっぽくて冷めるのも早い。そうして、ルーイの言ったように、好きだと言われて段々好きになるという形もあるのだ。
 引っ込めた言葉は言わなくて良かったと思った。『でも別れてしまったんだね』なんて、言う権利はない。彼のプライベートだ。彼は好きになったと言った。ならきっと、本当の恋だったのだ、その時間では。
 ずっと続く恋はこの世界に存在するのだろうか。恋でなくてもいい、愛は。
 未来の自分を考える時の不確かな感覚が再び起こった。見通せないけれど、なんとなく想像してみた時の不安な感じ。このままルーイとお付き合いをして、好きになるという感覚はまだ分からないけれど、でも恋人となって。自分が卒業する時、ルーイとはまだ恋人同士なのかもしれない。そうすると、結婚するのだろうか。未来へ続く恋にするのだろうか。いつかは誰かと結婚して子どもを産むだろうけれど、それがルーイであるというのは、やはりうまく想像できなかった。
 頭を振って考えることを止める。回答を出すことを拒否することはできないが、もう少し時間を置いてから考えよう。向き直った市庁舎は開放感があるガラスの正面、黄色い光が歩道にも溢れ出している。だから早く温かいところへ行こうと頷き、鞄を肩にかけ直すと、その自動ドアをくぐった。
 受付で「コレットをお願いします」と言うと、清楚な受付の女性は少し不思議そうにした後、アポイントメントの有無を尋ねてきた。やはり二十前の娘が突然市庁舎にやってきて人を呼び出すのは不自然なのだ。また父さんは連絡するのを忘れたんだ、とアマーリエは苦笑して学生証を取り出した。
 その名前を見た受付嬢は驚きもあらわに、学生証を放り出す勢いで返し、内線で連絡を取った。迎えが来ると言われ、お礼を言って玄関の隅で待つことにする。位置が遠くなったアマーリエにも、受付嬢たちがそわそわと自分のことを話しているのが聞こえた。
 見知った顔がエレベーターから下りてきた。父の秘書だ。きちんと礼をする。
「こんばんは」
「今晩は。ご案内します。どうぞ」
 最上階までの直通に乗せられる。彼は慣れた様子でアマーリエを先導した。エレベーターが動き、足と地面が軽く押し付けられるような感覚がした。降りる時よりはましだなと思う。落ちるようなあれはあまり好きではない。
「父の仕事は終わってますか?」
「はい。本日はお嬢様のことが最優先だと仰っていました」
 私? とアマーリエは首を傾げる。今日の家族の夕食は、毎年の伯母のことではなかったのか。
 普通の建物より高性能のエレベーターは、あっという間に最上階まで辿り着いた。部屋を左右に見る広い廊下が行き、秘書は最奥の扉にカードを差し込む。認識した音に続いて、ロックが解除されて錠が回った音がした。
「どうぞ」
「失礼します」
 入った先は多くの秘書が詰める秘書室だ。カチャカチャとキーボードを打つ音があちこちから聞こえる。静かな中で内線が鳴り、それを取る女性秘書官の柔らかな声が応対をする。
 アマーリエを案内してきた秘書官は、部屋の更に奥の扉をノックして、アマーリエの来訪を告げた。返事が返ってきた。秘書官はアマーリエに頷き、自分の役目は終わったと仕事に戻っていく。
「失礼します。父さん?」
 木製のドアの向こうは、暗闇の海の中だった。
 一面の窓の向こうに黒い夜の街が広がり、無数の建物の光が明滅しているのだ。部屋は明るいがまずその黒の深さに目を奪われる。ここは市庁舎の最上階最奥の、窓に面した一室で、都市の東側を見渡せる。都市だけではなく、ゲートの向こうの草原までも。都市が明るすぎて星は見えない。月も紛れている。
 室内に人影は二つ。一人は汗を何度も拭う中年の男性で、アマーリエの姿を見て目が飛び出るかというくらい見開いている。こんばんはと頭を下げると、彼は慌てた様子で傍らの父とを見比べてから、どもった声で挨拶を返した。
「では、そういうことで頼むよ、モーガン君」
「は、はあ。かしこまりました」
 話は終わる頃だったらしい。彼は父に一礼、アマーリエにも一礼すると出て行った。すれ違う寸前、彼のスーツに輝いていた外交官の襟章が目に留まった。エリートなのだ。
 父を見ると、何事か机のパソコンに入力している。それが終わると、ウィスキーボンボンのようなとろける笑顔でアマーリエに言った。
「やあ、アマーリエ。待たせてすまないね、私の天使」
「……父さん」
 夜の海を背にして微笑むアマーリエの父は、黒い髪を洒落た形に整え、無精髭の影もなく、高級なネクタイとスーツを完璧に着こなしている。高級な服装に意味はあるのと昔問いかけたことがある。すると父は「相応しい身分には相応しい見た目が必要なのだ」と答えた。この都市の中央そして最高の位置に身を置くこの人は、自然と求められる姿を表すことができる。
 しかし、親ばかなのはいただけない。また『私の天使』。
 ジョージ・フィル・コレット第二都市市長は呆れた息を吐く娘に、四十代の魅力的な笑顔を向けてアマーリエを連れ出した。

|  <<  |    |  >>  |



|  HOME  |