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 今度は市長専用の乗用車に乗り込むと、父は自分で行き先を決めた。アマーリエに行き先をいつも決めさせる一年に一度だけ見られる光景で、告げる店名は毎年同じ、父の幼少からの馴染みである老舗高級料理店だ。毎年もう少し遅い時期、事前に連絡をもらうので、当日はもう少し改まった服装をするのだが、いきなり呼ばれた今日の格好は少しカジュアルすぎるかな、と心配になる。それを大丈夫だよと父は笑って頭を撫で、学校の様子を尋ねてきた。
「もうすぐ後期試験だから、ちょっと身を入れて勉強してるところ」
「お前に限っては心配していないよ。かしこい子だからね。お前は、昔から手のかからない子だったよ」
 何を優先すべきかよく分かっているからと父は小さく息を吐いた。
「かわいげのない子だったよね。……マリア伯母さんとそういうところは似てるって、昔おばあちゃんに言われたよ」
 父は眉をひそめた。亡くなった祖母、ジョージの母は、ジョージの姉である奔放な長女マリアに手を焼いていたと家族は知っている。疎ましく思っていたらしいと会話の端々から、幼少のアマーリエにもなんとなく感じられていた。家が大事だと家族皆が感じている中で、あんな亡くなり方をして、家族の名誉を汚されたのだと祖母は憎しみを抱いたのだろう。父の眉間の皺は、子どもにそんなことを聞かせてという実母への非難だった。
「マリア伯母さんは素晴らしい女性だったよ。明るく美しくて、誰もが彼女の魅力に惹かれた」
 次の言葉は決まっている。
「お前は、」
「お前はマリアによく似ているよ」
 アマーリエが呟いた言葉を、父はそうだと肯定した。
「お前ももうすぐ十九歳になる。そうしたら二十歳。その次は二十一歳。マリア・マリサの歳を越えて、更に美しい女性になる。パパは今からそれが楽しみなんだよ」
 過ぎる夜の街の灯をスモークのかかった窓越しに見ながら、父の言葉に苦笑して吐き出された乾いた息が、暖房の熱に消えていく。
 亡くなったマリア伯母を父は愛している。その愛情は深く、命日が近付くと家族で彼女を偲ぶ食事会を行う。父と伯母の生まれたコレット家の御用達の店で、伯母の好きだった花の数々と写真を置いて。普段コンビニエンスのデザートで満足している舌には罰が当たるんじゃないか、と思える高級で美味しいデザートが食べられ、子どもの頃はそれが楽しみだった。マリア・マリサ・コレットという女性が、父の姉で亡くなった人、父が大好きだった人、という以上の情報を知らなかったのだ。
 明るく華やかな美貌の持ち主だったことは、父の飾っている写真でもよく分かる。政界に通じるコレット家の令嬢として生まれ、相応しい教育を施され、結婚相手も引く手あまただったそうだ。
 しかし、己が名家の令嬢であることの誇りは持っていたものの、性格が奔放すぎて他人の手には負えなかったという。遊びも派手で、晩年誰の子か分からない子どもを身籠り、そしてお腹の子どもと一緒に部屋の窓から飛び降りて亡くなった。
(伯母さんは、誰かを愛したわけでもなく、子どもを愛したわけでもなかった)
 聞いた話の辻褄を合わせていくとそういう話だった。父はそんな出来事を忘れてしまっているのだろうかと不思議に思った。なかったことのように、マリアは美しかった、素晴らしい女性だったと繰り返し、アマーリエにお前はマリアによく似ていると言う。例えそれが容姿に関しての言葉でも、終わらない憧憬を重ねられ、心が暗く沈むのだった。
 商業区のレストラン街に到着する。商業区にあるレストランはそれを目的とした客層が訪れるため、値段もピンからキリまである。目的の店に入ると、父の姿を認めた店長が丁寧に奥の個室へ案内してくれた。
 いつもの、洒落た内装の個室にやって来て、おや? と足を止めた。いつも飾られているはずの豪華な花束や、写真を乗せておくための小さなテーブルが見当たらないのだ。椅子を引いてもらって腰掛け、今から準備されるのだろうかと見守っていたが、父は食前酒とジュースを頼むとウェイターを去らせてしまった。
 すると話し声がする。去ったウェイターと入れ違いに現れた明るい髪色の女性に、アマーリエは顔を輝かせて手を振った。
「ママ!」
 落ち着いた若草色のスーツを着た母アンナは、仕事が忙しいのか、少し疲れた笑顔で微笑む。今日は母にとっても急な集まりだったらしい。
「こんばんは。遅くなったかしら」
「いいや。それじゃあ食事を頼もう。アマーリエもお腹がすいているだろう?」
 再びウェイターを呼び、季節の食材を使ったフルコースと酒を注文する。一通りメニューを眺めた母は、アマーリエにデザートに何を食べるのかせっかくだから違うものを食べようと意見の擦り合わせを求めてきた。
「学校はどう? その様子じゃ、順調みたいね」
 メニューを返すと母はそう尋ねてくる。どうしてこう両親ともに学校の話なのかなあとアマーリエは微笑ましい。
「そろそろ後期試験なの。前期ではちょっと悪い科目があったから、後期で挽回するつもり」
「進む専門は決めた?」
「アンナ」
 何故か咎めるような声で父が呼ぶ。アマーリエは何が悪いのか分からず内心首を傾げた。ジョージは静かに元妻を見ているが、対するアンナは射殺しそうなほどきつい目で元夫を睨み据えている。でも、別に聞いてはいけない質問でもなし、とアマーリエは口を開いた。
「ええと、総合診療科に進もうかなって。これから求められる地域的な医師を考えると、そこがいいかなと思って」
「そう」
 母は目を伏せて短く言うと、運ばれてきた食前酒に口を付けた。母はきつい感じの容貌をしているが、こんな風に押し隠した苛々を洩れさせるような人ではない。医者だから根気づよく精神的に強いのだ。表情の繕い方も上手い。
「ママ、仕事、大変なの?」
「どうして?」
「ちょっと……疲れて見えるから」
 言われて微笑んだ母はやはりどこか疲労を感じさせる声で、大丈夫よとアマーリエに頷く。だがそれで納得しないと思ったのか「難しいことを聞いて疲れちゃったのよ」と少しおどけた口調で言った。
「……?」
 そう言った後、やはり母は父を睨んだ。一瞬のことで、睨んだとは言えないくらいの視線の送り方だったが、どうも父に気に食わないところがあるのは確からしい。
 毎年の伯母を偲ぶ食事会では『私は食事に来ただけよ』という姿勢を崩さない母だ。思い出話に加わるわけでもなく、会話が途切れると他愛ない話題を振るくらいで、常に淡々としている。
 そういえば、今日は父も、伯母の思い出話をしない。
「ねえ、父さん? 今日は何の日なの?」
「うん?」
「私、毎年の食事会だと思ってたんだけど……違うの?」
 父は寂しげに微笑を漏らした。
「何かないと家族は揃わないと思っているんだね。……すまない。お前にはずっと寂しい思いをさせてきた」
 アマーリエは当惑に目を瞬かせ、首を傾げる。
「ううん、別に、これが我が家なんだし、特に寂しいとか思ったことはないけど……」
「お前は本当にかしこい子だ」
 食前酒のグラスを傾けて、父はそう呟いた。子どもにいうような褒め言葉だが、大学生のアマーリエに言うにはどこか後悔に似たものが滲んでいる気がする。
「私たちをいつも尊重して、分かってくれた。私とアンナが離婚しても、そう決めたんならと納得してくれたね。私の元で寂しく育ったというのに、お前はとても心根の美しい、綺麗な娘になった……」
 いつの間にか、部屋には食器の音も聞こえなくなった。父も母も食事を突く手を止めている。迷うように、父はワイングラスを揺らし、母は視線を光る縁に落としている。
 二人は何かを隠している。ようやく気付いた。そしてその隠し事が、今回の集まりの意味なのだ。
 アマーリエは手を止めると、すっと息を吸い込んだ。
「父さん。ママ。今日集まったのは、私の話なんだね?」
「……アマーリエ」
「学校、辞めなきゃならない?」
 両親が軽く息を呑んだ。アマーリエとしては、さきほどの会話から予測して口にしただけなのだが、意外に突いてしまったらしい。少し面食らった後、思わず苦笑が浮かんだ。
「辞めないからね。なんとかして続けられる方法、考えよう。ね?」
 何事か呼びかけようとした母を制したのは父だった。アンナを見て首を振ると、彼は深く息を吐き、押し沈めるようなほど長く目を伏せた後、ゆっくりとアマーリエを見た。
「アマーリエ」
 背筋が伸びた。こんな父の怖い顔を見たことがなかった。その低い声も、聞き慣れない、権力を持った音に聞こえるのだった。
「我がヒト族がモルグ族と交戦して長いのは、知っているね」
 射竦められるようになりながら、頷く。
「モルグとの戦闘は現代では日常だ。戦争の存在は人々の感情に麻痺を与え、平和の存在を幻想にする。人間は、私たち人間は戦う生き物なのだと信じてしまう。私たちは本来友愛の民であるというにだ」
 一度言葉を切った瞬間に、アマーリエは母の顔を窺った。母は感情の窺えない表情でじっと目を落としている。
「しかし、私たちに平穏はないと信じている人間は案外少ない。考えてみなさい、都市の人間の平穏さはどうだろうか。『戦争の存在など影も形もないではないか』、そう言う人間もいるだろう。だからと言って、現実が消えてなくなるわけではない。戦いは確かにあり、そこでは武器を手に戦っている人間がいるのだ。それが明日自分になるはずがないという保障が、どこにあるというのか」
 なら父は、自分に戦場に行けと言うのだろうか。よぎった考えは滑らかな父の声に集中を切り替えられる。
「『今のところ』私たちは平穏を保っているだけだ。モルグ族は対話に応じない。私たちは私たちで戦わねばならない――」
 息を吸い込んで。
「――果たして、本当にそうだろうか」
 父は、アマーリエに語りかけているように見えて、まるですべてのヒトに聞かせるような口調だった。自分自身や、演説を聴く民衆に、この考えの元に進めと号令をかけるような静かで力に満ちた声。
 他に方法があるの、私とどんな関係があるの。アマーリエが口にしかけた時、コレット市長は娘に強い視線を注いだ。
「都市の私たちは、モルグから防衛しながら攻撃はしない、都市にも干渉しない中立を保っているリリス族と、今回席を設けた」
「リリス族……?」
 第二都市の東側以降の土地である草原に住む騎馬と遊牧の民族だ。身体的に脆弱なヒト族やモルグ族と比べ、突出した身体の強さを持っている最強の一族と言われている。父の言った通り、中立性を保っているため騎馬民族と言うより遊牧民族の色合いが濃い。だがその中立はモルグ族だけでなくヒト族にも干渉しないことから成っているのではないか。
「リリス族もモルグ族の攻勢に悩まされていた。最強の身体を持つ種族とは言え、対話も出来ない、戦争をするだけの時期が長く続いて、リリス族は頭を悩ませていたそうだ。そこで我々は同盟を申し出た」
 アマーリエは目を見開く。それはとんでもなくすごいことではないのか。大陸の人間三種族、お互いに拮抗し合い続けた歴史の中で、手を取り合うのは初めてのことだ。父もそのことに興奮した様子なく冷静に述べる。
「同盟の条件は、一つにリリスの土地を侵略しないこと、二つ、リリスの土地に誰をも侵入しないこと、三つ目に、その約束の証を立てること」
「約束の証? そういうのって、書類に書いたりしないの?」
「ああ、するよ。でも、紙切れ一枚でその証とは言えない、とリリスは言った……」
 侮蔑を浮かべたのは瞬きよりも短い時間だった。澱みなく言葉を紡いでいた父はそこで、ぐっと堪えるように息を呑み込み。
「アマーリエ。『都市市長の娘』の、お前に」
 娘に命令を下した反響する父の声は、アマーリエの中にとてつもない音を響かせて、現実にはあっという間に消えていった。
 静寂が耳に痛い。
「…………え?」
 頭を押さえ耳を押さえる。ぐるぐると回る父の言葉は、両親の顔を見ても覆ることはない。どちらも冷静に、混乱して視線を忙しなく動かすアマーリエを見つめている。アマーリエの頭の中では、言葉がわんわんと響き渡って消えてくれない。
 繰り返して考えようとする言葉は、ただただ悪戯にわめくだけだ。
「『都市市長の娘』の、私に」
 呆然と呟いたことで音が消える。父がもう一度言ったのだろうか、感情の窺えない、機械音声よりも乾いた声が、アマーリエの耳に届いた。
 ――同盟調印の証として、リリス族長と結婚してもらう、と。

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