|  <<  |    |  >>  |

 冬の都市の夕日は淡い色をしている。都市のビルの群れの向こうに沈む日を見ながら、低く響く風の音に耳を澄ませた。富裕層の住居の集まる住宅区の区画、マンション十二階の自室からは、どこか物寂しい風景が見える。それともそんな考えはここにはもう帰って来れないからと思うからだろうか。
「…………」
 カーテンを閉め、電灯のスイッチを入れた。
 パソコンの電源を入れると、従姉のイリアからメールが来ていた。就職が決まったらしく、就職先? どこかは秘密よ! と茶目っ気たっぷりのイリアの顔がすぐに浮かび、くすくす声を漏らしながら、喜びを滲ませた文面にアマーリエはおめでとうのメールを返信する。
 メールを返信した後は、音楽をかけながら部屋の掃除を始めた。来週には出て行くから、全て掃除が出来なくとも散らかしているものは片付けねばならない。本や服や細々したものを置き場所に片付ける。
「お嬢さん、確認をお願いできますか?」
 ビアンカが呼ぶ。今部屋にはビアンカ以外に市職員が二名やって来ており、持ち込む荷物の確認をしているのだった。リビングに行くと調度品を詰めた段ボール箱が鎮座している。
 調度品や衣装は、リリスのしきたりでは実家から婚家へそれら細々したものを持っていくことになっているため、しきたりに則り一旦コレット家へリリス族長家から贈られたものだった。
「……きれい」
 内心の不安にも関わらず思わず感嘆が洩れた。何がどういう役目を果たすものかは分からないが、金に光る一本に白い石の花があしらわれたかんざしがあり、艶光りする漆黒に金色の模様が美しい箱があり、朱色に金縁のものもある。原色の糸で織られた華やかな布も見受けられる。プラスチックや合成繊維ではないのがアマーリエにも分かった。思わず手に取って眺めたいが、ビアンカたちも手袋をしている身なので、軽はずみには触れない。
 リリス族長家が贈った、数々の調度品。まるで契約の証のよう。これは義務であり、それ以上でもそれ以下でもない。
 ひとつひとつをアマーリエに見せて、ビアンカたちは箱へ詰めていく。草原に持っていくものは決められている。アマーリエには何も持ち込めないことになっていたが、不意に、パンツのポケットにある携帯電話を強く意識した。
 図らずも市職員の携帯電話が鳴り響き、彼女は通話を取るとリビングから廊下に消える。しばらくするともう一人が呼ばれ、何事か打ち合わせを始めた。
「……トートさん。確認は、これで最後なんですか?」
 声は低くなる。
「はい。どうしてですか?」
「いえ、……指紋がついてるなって」
 確かに漆黒の箱には指紋がついている。彼女たちは手袋をしているが、どうやら誰かが素手で触ったらしい。ビアンカは驚いて確認し、拭く布を探しに立った。
「…………」
 心臓が強く打っている。してはならないことを考えているからだ。
 今確認で収めた荷物。そこに、携帯電話を紛れ込ませられないだろうか。
 吐きそうになるくらい微妙なバランスでせめぎあっている意識が、アマーリエに囁きかける。してはいけない。いやでも、ずっと堪えているのだから少しくらい我侭は。無意識に撫でたポケット。早くしないと三人が戻ってくる。ポケットから取り出し、電源を切っていた。だが手が止まる。
 携帯電話は大学生になって機種変更した、二台目の、白く薄いものだ。ストラップの類いはついていない。何度か落としたことがあるので角がえぐれている。それを、オリガやミリアは物持ちがいいと笑っていた。傷なんてついたらすぐに変えたくなると。
 そこにはメールも、写真も詰まっている。アドレスがたくさんある。記憶や繋がりが手のひらにすべて収まるのだ。
「誰が触ったんでしょうか、もう」
 ビアンカが戻ってくる。飛び上がりそうになって、慌てて笑顔を取り繕う。携帯電話を床の隅、手の届きにくいところに追いやり、ねえとビアンカに同調した。彼女は調度品を傷付けないクリーナーの布で指紋を丁寧に拭き取る。
「……何にも持ち込めないなんて、悲しいですね」
 箱に収められていく荷物を見渡して、ビアンカは言った。そうしてそのすらりとした風貌には似合わない茶目っ気を発揮し「何かこっそり入れてみます?」と言った。
 アマーリエは、首を振った。
「お嬢さん。誰か来たようです」
 廊下に出ていた市職員が呼ぶ。同時にインターホンが鳴り響き、三人の市職員は顔を見合わせた。誰がインターホンを取るか。
 取りあえずアマーリエが家主なのだからと、アマーリエが受けた。モニターに表示された少女に、アマーリエは目を剥く。
「み、ミリア!?」
『はぁい、ミミちゃんだよぉ』
「どなたですか」
 横から職員が訊くのに友人ですと答えて、どうしたらいいものか混乱して額を押さえる。今部屋は箱ばかりなのだ。明らかにヒト族の生産物ではない品を見られたら、ミリアでもリリス族との関わりに気付くかもしれない。
「入れて差し上げてください」
「トート秘書官!?」
 ビアンカが静かに結論を下した。それに慌てたのは市職員だった。アマーリエも驚いて言葉が出ない。何か言おうとするのをビアンカが押しとどめて二人に言った。
「少し待っていただいて、別室に移動させましょう。リビングとお嬢さんの部屋以外は入らないようにして頂ければ、気付かれることはないでしょうし。ここで追い返す方が、不審を抱かせます。速やかに行うのが指令なのですから」
 二人は渋々了解したようだった。アマーリエはミリアに少し待つように言うと、三人を手伝って荷物を別室に移動させる。別室で三人に仕事を続けてもらうように言って、ミリアを十二階へ呼んだ。その間にお湯を沸かして飲み物の準備をする。
 再びインターホンが鳴って、手早く姿を整えて玄関に出た。
「いらっしゃい、ミリア」
「久しぶり、アマーリエ! お邪魔していいかな?」
 招き入れるとミリアは明るく広い玄関に目をきらきらさせながら靴を脱いだ。編み上げのブーツはとても脱ぎにくそうだったが、慣れているらしくすっぽり足を抜いたのを見て、なるほどと感心してしまう。置いたスリッパに履き替えてもらい、リビングに案内した。
「わぁ……ひっろーい! たっかーい!」
 きゃあと嬌声を上げて、窓に走り寄っていく。たっかーい、きっれーい、とアマーリエには慣れた景色に感動する一々が面白い。確かに住宅区に位置するこのマンションは区内でも結構な高さにある。子どもの頃から住んでいる自分には珍しくなくとも、やって来る人には面白いのかもしれなかった。いや、もしかしたらミリアの性格のせいもあるかもしれない。
「ね、ね、ここに彼氏呼んでいい?」
「それは止めて……」
 脱力しながら入れたコーヒーを持っていく。いいにおーいとまた声を上げたミリアはソファにぽんと弾むように腰を下ろして、カップを抱えてきゃっきゃと足をばたつかせた。
「どうしたの? テンション高いよ?」
「だってー。アマーリエの家初めて来たんだもん!」
 そういえば、大学の友人はまだ一人も自宅に招いたことがない。なのにどうしてミリアはここに来れたのだろう。彼女はむふふと笑って教えてくれなかった。誰かに聞いたんだろうと予測はしたが、それよりも気になることを優先する。
「それで、何かあったの? わざわざ家に来るなんて」
「ん、オリガに言われたの。アマーリエが全然消息不明だから見て来いって」
 猫舌らしいミリアが冷め始めたミルクコーヒーに口を付け、まだ熱いと顔をしかめた。
「オリガが?」
「オリガだけじゃないよぉ。キャロルもリュナも。ルーイ君になんかされたんじゃないかって超心配してるー」
 それで送り込んだのがミリアということらしい。無邪気に見せかけて実は気を遣い屋なミリアと、アマーリエの相性を見た作戦だ。多分指揮官はオリガだろう。心配をかけたことでアマーリエには頭が痛い。
「ごめんなさい。でも、なんでもないんだよ」
「そうかなぁ。なんか家の空気ざわついてるよ。アマーリエにはない感じ」
 ぎくっとしてカップに伸ばしかけた手が止まる。
「なんてね。でも、あんまり眠れてないでしょ? でもお化粧してないせいかな」
 気付いたわけではなくて推測らしかった。だがよく眠れていないのは事実だ。顔色が悪いらしいのは知っていても、どうすることも出来ない。微かに首を振る。
「大丈夫。でも、学校には行けないの。休学か退学になるか、分からないけど」
「え……なんでっ!?」
 その食いつきは予想していなかった。立ち上がり机を挟んで真向かいのアマーリエに飛びつく勢いで身を乗り出したミリアに、一瞬呆然としてから慌てて理由を口にする。今は自分の言い方が悪かった。
「え、ええと、家の都合なの。ちょっと今大変で」
「お金!? お金なら貸すよっ」
「いやお金じゃなくて」
「じゃあ離婚の危機!?」
「ううん離婚はもうしてる」
「じゃあ何!?」
「それは話せない」
 ミリアが驚いたように身を強ばらせた。
「話せないの。私の問題だから」
 言うと、ミリアはアマーリエに呆然とした眼差しを注いだまま、ゆっくりと後ろに下がってソファにすとんと落ちた。
 ミリアには申し訳ないが、話すことはない。話してどうにでもなる問題でもないのは、毎日深夜過ぎまで寝返りを打つアマーリエ自身がよく知っている。紅茶に口をつけて、ふと息すら殺しているミリアに目を向けてぎょっとした。ふるふる震えている。
「み、ミリア?」
「アマーリエの……ばかーっ!!」
 ソファに置いてあったクッションを投げられる。ぼすっと庇った腕に当たって落ちた。
 十分衝撃だったが、涙目のミリアの方にアマーリエは混乱する。泣かすようなことを言った覚えはないのに、どうしてこんなに悲しそうな顔をされるか分からない。ばかばかばかと繰り返し手に持ったクッションを叩くミリアを、どうしたらいいのか分からずに見つめる。
「ミリア」
「アマーリエ、あたしのこと嫌いになった? いつもふわふわしてるあたしのこと呆れた?」
 ミリアは強く唇を噛み締めている。
「あたし……自分が嫌い。あれもこれもって思う自分が、すっごく嫌い」
 こぼした言葉はアマーリエに向けた非難ではなく、途方に暮れた彼女自身に向けたものだった。
 そういうところを可愛いなと思う。優しく庇護してあげたい。
「ミリア。私はミリアのこと、嫌いになってないよ」
「じゃあ、」
「ミリアは恋をしてた方が可愛いよ。絶対」
 思うけれど。彼女の言いかけた言葉を、別の話題で逸らす。傷付いたミリアを見ていられなかった。ずるい方法を取りながら、ごくんと涙を呑んだ友人に心から微笑みかける。それで気付いてしまった。私って、すっごく嫌な人間だ。
「私が保証する。ミリアがあの人が好きって言ってる顔、すごく可愛い。それだけじゃなくて、彼氏と一緒にいるところ、いつも羨ましかったよ」
 いつも、とても、すごく、羨ましかった。口にすれば想いは強くなる。優しく手を繋いで寄り添う合うだけ、なんて望んだ恋の一シーンはもう出来ない。政略結婚に恋は存在しないのだから。
「最後みたいなこと言わないで……」
「しばらくお別れになるから言うんだよ」
「どこへ行くの?」
 途方に暮れたような細い声。
 夜が来る。また一日、故郷から離される日が近付いてくる。また今日もよく眠れないのだろう。誰も帰ってこない部屋は暗く静かで寂しく、もうすぐほとんど人を入れなくなる。
 吐き出した言葉は、自分でも途方が知れなかった。
「遠くへ。誰も、知らないところ」

|  <<  |    |  >>  |



|  HOME  |