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「っ!」
 破壊されるようなものすごい音がした。横からとても質量の高いものがぶつかったのだ。馬車の箱が横転し共に転がったが、咄嗟に天井にあった取っ手のようなものを掴みなんとか留まった。
 弾け跳んだ鍵が扉を解放する。何事かと問う間もない。空を背後に、襲撃者。
 その顔は塗りつぶされて見えない。力を持って捩じ伏せようとする者を前にした、冷えるような感覚は、恐怖と冷静を呼び、アマーリエはただきつく相手を睨み据えた。
 が、次の瞬間相手は後ろへ消えた。しかし突然すぎて何が起こったのか分からない。どさりという物音、ぎゃあという潰れた声。向けた視界の先には見覚えある色の覆面。
 夕闇の迫る世界。地平線が燃えて、天から夜が染み出している。空の光の名残が影の邪魔をして彼の姿がよく見えず、目を細めた。相手は、笑ったようだった。
「気を失わぬか。なるほど、度胸はあるらしい」
 一人ごちたのは彼が跳んでから聞こえた。風のように跳躍し、軽々とアマーリエの上を越えていったのだ。その姿は獣ではなく空を飛ぶ鳥とも違う。あくまで人の形をしながら、足に翼を持ったもののようだった。
 人間ではない身体能力を恐れる以前に、見とれた。
「ユメ御前!」
「はっ!」
 騎乗し駆けていくのと入れ替わりに、あの女性がアマーリエの側についた。他の人々も周囲に散って、注意を周辺に向けている。
 同じようにアマーリエも横転した馬車から這い出て辺りを窺った。馬車は横転し列も乱れてしまってはいるが、死傷者が出た感じはしない。こちら側には、だ。襲撃者の影もないのは奇妙で、さきほど飛んでいった者はどこに行ったのだろうと目をやる。少なくとも、アマーリエの周りにはまるですべて遠ざけてしまったかのように血の影も形もなかった。
 しばらくすると空気が緩み、防衛についていた人々からずっと握られていた刀が鞘に戻される。危険が去ったのだと見て取れた。
「申し訳ありませぬ。私が馬車についておりました真裏から襲撃されました。お怪我はございませぬか」
「大丈夫です……」
 肝は冷えたが落ち着いている。自分でも不思議だ。
 近付いてくる蹄の音にその方向を見る。女性は向き直ると、やって来た黒っぽい色の馬の人物から指示を受けた。
「このまま野営することになった」
 感情のない声だ。機械音声より冷たいのは感情でつけられる抑揚が省かれた肉声だからか。
「このまま、でございますか」
「馬車を修理せねば進めぬ。長老方の目もあろう。あの方々は伝統を重んじられる」
「私に否やを申す資格はございませぬ。しかし一つ申し上げれば、シン様はこのような状況に慣れていらっしゃらぬでしょう。御無理させるのでは」
「仕方があるまい」
 少しの沈黙の後、承知いたしましたと女性が了承し、馬は去る。彼女は軽く息を整えるように吐くと、周囲の人々に火や毛布などの準備を言いつけ始めた。
「どうぞ、こちらへ」
 差し出された手に手を乗せたのは二度目だ。支えてもらいながらなんとか馬車から出て、改めて横転した馬車の惨状を確かめる。立ち尽くしてしまった。車輪が一つ外れている。白馬も数が足りない。
「あの……」
「はい」
「怪我人とか……被害は? 襲ってきた人たちって、どうなったんですか?」
「まだ確認できておりませぬ。まとまりましたらお知らせいたします、ご安心ください。まあ、御手が冷とうございますね、火に当たりましょう」
 だがアマーリエが連れていかれた範囲には怪我人の姿は見当たらず、軽傷だったか遠くへやられたかだろう。花嫁行列に流血騒ぎ、縁起が悪いことくらい分かる。それをこちらに察せないように、彼女は凛とした揺るぎない気配を見せてアマーリエを誘う。
 離れた場所に火が焚かれていた。薄闇の草原に太陽のように光って見える。周囲には馬車から引っ張り出したクッションの山が詰まれ、そこだけ長椅子のようにこんもり膨らんでいた。なんだかほっとした。さきほどから少しずつ寒い覚えをしてきていたので、温かい色が目に入ったからかもしれない。
「このまま夜を明かして頂かねばなりませぬ。簡単には眠れぬでしょうが……」
 横になれと言うのだろう。アマーリエもドレス姿でうろうろする気力がない。今日はめまぐるしすぎた。世界の終わりのような場所にたどり着くのにこんなに時間がかかるなんて、じわじわ首を絞められるような拷問に近い気がした。
「……ドレス、皺になりそう……」
「その衣装と自身、どちらが大事か分からぬ歳ではあるまい」
 呟きを拾われてぎくっとすると、あの人だった。顔が熱くなる。どう考えても今自分の言った言葉は、状況を理解していないわがままにしか聞こえない。なんとなく出した言葉は、自分ではなんとなくでも、聞こえようによっては悪いものになる。
「このドレスで、……式を、するなら……大変だって、思ったんです……」
 正直に考えを整理して説明する。誤解されたままは嫌だ。だが相手の雰囲気に気圧されてしどろもどろで、言い訳みたいだと自己嫌悪を覚える。
「ご安心を。こちらでも婚礼衣装が用意してございます。御身は大事なお体。ゆっくりとまではまいりませんが、少しお休みくださいませ」
 微笑んで言ったのは女性の方だった。
「お前だけの身体ではない。いたわれ」
 言うが早く、彼はまとっていた毛皮を投げて寄越した。毛皮は乾いた香り、少しだけ獣のにおいと辛い草の匂いがする。立ち去ろうとしていた彼を見る。向けられた背中を見て、この人が結構長い髪をしていることを知った。艶やかな黒い髪。夜の星みたいに光る。
「……ありがとうございます、すみません……」
 地を踏む足が止まる。彼はこちらを振り向いたが、表情は隠されていて分からない。アマーリエはそれでも小さく頭を下げると、急ごしらえのベッドに横になって毛皮を掻き抱いた。上から毛布がかけられる。寝そべった地面は足で感じるより固い感触を返してきたが、疲れたと意識が呟いたと同時に、すべて眠りに落ちていった。

   *

 花嫁行列は一夜を明かす長休憩に安堵している様子だった。全力で十分走ることの出来るリリスでも、さすがに歩き通しは疲労を呼ぶ。しばらく足を止め、乱れたもの壊れたものを、この地域の村や領主に使いを出して整え修理を始めた。あちこちで光っているのは目。リリスは暗闇の中で目が光るのだ。
「どう思う」
「可能性が高いのはモルグかと」
 短い問いを汲み取ったユメはそう答えた。
 これはリリス族に嫁ぐヒト族の花嫁の行列だ。リリスは婚姻に納得はしておらずとも承知している。リリスにおいて、族長は意思を動かすものであり、意思は領主家の代表者たる長老家が代弁するものだ。反乱を起こせば、それは天なる意思に逆らったことになり、族長家と長老家を敵に回す。リリスは姿形のためリリス以外で生きていくことはできない。そして現状で言えば更にはヒト族の怒りを買うことになる。リリスもろとも滅ぼされては本末転倒というものだろう。
 モルグ族の場合、争いなどと静観を決め込んでいる一派も存在しているが、リリスやヒト族と戦闘を行っているのは戦を最重要と考える主一派だ。話を聞きつけ、同盟の破棄、リリスとヒト族を相打ちさせるために、襲撃を行ったことも考えられる。
 こちら側に大きな被害は出なかった。突然のことに驚かされたが、擦り傷などの軽傷を負った者しかいない。だが、花嫁行列に血の汚れを厭い捕獲した襲撃者は、全員自害を選んでいた。自白させる間もなく、速やかに死を選んだのである。その命令の絶対さはモルグの印象が強い。
 いくらリリスの土地であったとはいえ、襲撃を許したのはこの行列の指揮官だったユメの責任だ。だが後悔に唇を噛むより次にしなければならぬことを選んだ。襲撃者の埋葬を手配し、物の修理に走らせ、今は次官に花嫁の警護を任せて見回りの最中である。
「ヒト族の場合は」
 土を踏む音に紛れた問いを拾い、ユメは驚いた。が、すぐさま考える。
「……同盟を持ち込んだのはヒト族でございます。モルグ族に対抗する手段を失うことになるというのに、我らを襲撃する。意味がございますか?」
 そうだなと彼は頷いた。今の状況ではそう考えられる、と。
 ざくざくと地を行く響きだけがある。リリスはよっぽどの家柄でない限り、野営や馬車の修理など一通りこなせる。夜の帳はすっかり降りて、とうに修理も終わって一段落している。花嫁を気遣って、少し遠くに親衛隊は揃っていた。
「親衛の者の様子は?」
 話が変わった。ユメは今度は笑みを浮かべることが出来た。
「喜んでいる様子にございます。真様のご尊顔を、式の前に思いがけず拝見できたことがどうやら喜ばしかったらしく。……お可愛らしい方にございますね」
 花嫁は少々緊張した様子ではあったが、しっかりした人物と見受けられたことがユメの安堵を呼んでいる。それに、将来が楽しみな若さの女人である。
 さて、彼はどういう印象を持ったのだろう。女性遍歴を多少小耳に挟んでいるユメは考えてしまう。花嫁は愛らしかったと思う。手は小さく腕は細い。あれでは刀を持ったことも馬を駆ったこともないだろうが、頼りなさも一種の魅力だ。今はすべてに怯えている節があるが、当然だ、あの方はリリスではなく、今回の襲撃はユメも予想していなかったため多少巡り合わせが悪かった。到着して生活が始まったら、出来るだけ、王宮で安らかで楽しい日々を過ごしてもらいたいと思う。
 呼びかけた相手は黙り込んだまま、ふと視線をあらぬ方向へ向け、そちらに歩みを進める。同じように目をやると、眠っていたはずの花嫁が草を踏み分けていくのが分かったので、ユメは立ち止まり、一礼して見回りに戻った。

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