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 ふっと何かが聞こえた気がして目を覚ますと星がすごかった。火を炊く側でも無数の光が空を覆っている。例えるものを知らない美しい輝きが切ないくらい満ちて世界にある。都市の夜景なんて、これには遠く及ばない。星は集まると青白く輝くのだ。
 身体が痛いが起き上がって、辺りを見回した。星のおかげで夜空は青く、地平線の形が少し取れる。地上の暗闇、周囲にいくつか灯火が見えるのは人々が夜明かしや警護についているらしかった。
「……如何致しましたか?」
 こちらが起きたことに気付いた男性らしき人物が静かに声をかけてくれた。夜でも彼らは覆面を取ろうとしない。
「あの……少し、歩いてきても、いいですか?」
「わたくしと一緒なら」
 快く了承する。一人で歩くのは嫌だった。
 休息を得たヒールの足に触れる草は、少し冷たい。空気が白くなるが、ドレス姿でもそれほど寒くないのは毛皮のおかげだろう。何の動物かは分からないが、きっと合成繊維ではなく本物の毛だ。裏地の障り心地は革のつるつるした感じで、素肌でも気持ちがいい。
「お寒くございませんか?」
「大丈夫です。……すみません、わがままを、言って」
 子どもの頃、天体観測をしたことがある。急に思い出した。小学校の夏休みの学習プログラムのひとつで、学校に泊まり込んで天体観測を行うのだ。両親が来ている子もいたが、アマーリエはもちろん一人で、同じようにひとりでいる友人たちと望遠鏡の使い方に騒いでいた。月を見ようということで微妙な調整を四苦八苦になってこなし、ようやく月のクレーターを見ることができた時、アマーリエが感じたのは寂しさだった。
 月の、優しく淡い金の色。神々しく、今の人間には手が届かない星。ため息が出る明るい光。思ったのは、これを一緒に見る誰かがいてほしいということで。
 アマーリエは友人たちを振り返り、だがそれぞれの天体望遠鏡を眺めるみんなに遠慮して、一人、月を見ていた。
 光ひとつで満たされる。しかしその裏には寂しさが吹く。星を隠す夜雲のように。星一つでも切なかったのに、これだけたくさんあると切ないどころではないなと思う。いっそ寂しい。でも綺麗。
 風の様子が変わって低い位置で吹いている。音がないわけではないのに静かだ。風の音。空の音。星の音も聞こえそうだ。そして草波の音、草を踏む音。
 草を踏む音。やって来る人の音が聞こえた。そこには何故かあの人がいる。一緒に来てくれた人は背を向けて戻っていくところだ。入れ替わったらしい。
 彼もまた、空を見ていた。何が面白いのかと探しているのかもしれないが、アマーリエにはとても新鮮なのだ。この世界は今までの世界とは違う。
「……あの」
 彼がこちらを見る。
「怪我人や襲ってきた人たちって……どうなったんですか」
「……こちら側は軽傷者だけ。重くとも擦り傷程度だ。皆手当を終えている。襲撃者はこの地の領主に任せた」
 重傷者がいなくて胸を撫で下ろす。すると彼は少し間を置いて続けた。
「……襲撃者は恐らくモルグだ。王宮に入ればその手は届かぬ。このようなことは起こさせぬ」
 指揮官のようなきっぱりとした物言いに、まるで守られているような気がした。この人がアマーリエに責任を持っているからだろう。そう考える。
「……分かりました。ありがとうございました」
 文化が違う。犯罪がある。思いもがけず戦いがあって傷付く人がいて、遠ざけようと気を使ってくれる人がいた。思い描いたものとは違う世界。
「…………」
 毛皮を前で合わせる。
 まったく分からない。世界はどれほどの大きさで横たわっているのか。どこに行くのだろう。行かされるのだろう。怖い。未来は見えないと思っていた。でも、今は閉ざされている気がしている。真っ黒に塗りつぶされて、消えてしまいそうに。
 ざくりざくりと音が聞こえたのはその時だった。アマーリエを追い越した彼は、そのままざくりざくりと草を踏み分け道を作っている。この明るい夜の中でやはり覆面で、毛皮を渡してしまっているのに寒さに身を縮ませるわけでもなく、進む方向をしっかり見ている様子だった。
 分けられた道を見る。恐る恐る踏み出すと、それに合わせて彼も道を作っていく。一定の距離を置いて、歩いていた。
 彼は、気の済むまでアマーリエに付き合ってくれた。





 夜が明ける頃、行列は進行を始めた。再び最初の平穏を取り戻し、厳粛に歩みを進める。
 草原に太陽が昇るのは見られなかった。アマーリエはいつの間にか馬車に乗せられており、丁寧に毛皮や毛布やクッションでくるまれた状態で目が覚めた。目が覚めた瞬間に思ったのは。
(……馬鹿な寝顔見せてないよね……?)
 なかなか自分でも間の抜けた疑問だった。例えば、あの尊大な口調のあの人とか。彼を思い浮かべた瞬間に、かーっと顔が熱くなった。あるのは恥ずかしいという感情だ。失敗したときのように恥ずかしいが、胸がざわざわする感じがあっていつもと少し違う。
 馬車が止まった。が、すぐに動き出す。なんとなく覆いを捲る。そして、軽く驚いた。
「わ……!」
 入る視界、向こう側に家々が密集している。大体が平たく、大きくて二階建てくらいの家々が。その全ての屋根は都市では珍しい瓦のように思われた。漆喰の壁。はためく暖簾が綺麗で、もしかしたら商店街なのかもしれない。人々が次々に立ち止まり頭を下げる、中には膝を突く人もいて驚く。大抵は歳のいったお年寄りたちだ。服装は都市とは比べ物にならないくらい変わっている。写真で見たことがある、旧暦東洋の、着物の感じに似ていた。
 道行く子どもたちが手を振っている。そして近くの大人に怒られていた。アマーリエは笑って、手を振ってみる。すると、思いがけず馬車が揺れるほど外が沸いたのでぎょっとした。
「……軽はずみな行動は止めておこう……」
 心に誓う。それにしても、と窓の方を見る。今度はこっそり外を窺った。瓦葺きの黒と壁の白が珍しい。
 これがリリスの街。文化の違いが見て取れる、都市とは別物の街並だ。天を覆うようなビルの群れもなく、風を巻き起こすほど速度を上げる車もなく。行き交う人は多いが、急いでいる印象はない。どこか覚えがあるような懐かしい印象を受けるのは、旧暦を描いた創作物に触れてきたからだろうか。でもそれだけではない気もする。
 馬車が止まる。再び動き出す。大きく迂回するような重力がかかって、そうして止まった。掛け声はなく、長い間があった。
 扉が開けられる。見覚えのない、少しだけ透けた薄布を被った人物に手を預けて馬車の外へ出た。目前に、大きな建物が見える。横に長い台形の屋根の建物は、かなりの距離があるというのに大きい。その距離にある広場に小さく見えるまで居並ぶのは、深々と頭を下げた人々だった。皆一様に仮面らしきものや、迎えの人々と同じ覆面や、手を取ってくれたような人と同じ薄布を被っている。
 馬車を降りると、手が離れる。さっと下がったその人と入れ替わったのはあの男性である。彼はアマーリエの目前に人々を代表するように立ち、距離を保ってこちらを見ている。
「面通しを行う」
 静かだがよく通る声が告げ、一斉に人々から覆面や仮面が取られた。が、彼らは顔を上げない。そこで軽く違和感を感じるが、理由が分からない。
 目の前の人だけが唯一覆面を被ったままだ。そしてアマーリエのベールだけが、最後の一枚として風に揺れていた。
 それが、近付いてきた彼の手によって捕らえられた。頬に風が当たる。そして、軽く指先が。
 彼は自身の覆面を取った。そこにあったのは、息を呑む姿形だった。
 目がまず違う。動物のような、縦に長い黒い瞳。虹彩の模様がアザミのように粗いのが見て取れるのはこの距離だからだ。呑まれそうな漆黒の目。確認したように髪は長く波打って艶がある。きめ細やかな白い肌が繊細さを見せ、真っすぐな鼻筋が凛々しく爽やかな印象だ。薄い唇、尖った顎は美男のもの。少しだけ形の違う耳と、その瞳が異種族と見て取らせる。それでも、アマーリエはひどく艶めかしい、と言っても女性的ではなく、男性的に美しい姿形の人だと息を呑んだ。
「……だれ……?」
 声に出したのかは分からない。分からないくらい小さな、胸に浮かんだ問いがあった。
 だが彼は、答えた。
「リリス族長、キヨツグ・シェン」
 世界からこの人以外の全てを奪ったような、名乗りだった。
「長旅ご苦労だった。お前はリリスの花嫁。リリスに生き、リリスに死ぬ者となる。(そら)と草原の名の下に、婚礼の儀をもって『天』たる者の妻、『真』として迎えよう」
 風が吹く。地を行き空に向かい、様々な音を連れ去っていく。
 響き渡る声の下、一同が、いっそう深く頭を垂れた。

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