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 冬の夜は星が美しい。青白い光の群れが天球を輝かせる。軽く酔いの回った頭は、ゆっくりと空を見上げているとあっという間に冷めていった。宴席は開きとなったが、久しぶりの呑みにちらほらと続きを行う者も少なくないようだった。キヨツグが天となって以来、否、その前族長の頃から、酒宴は短い簡素なものになっている。特に年季の入った長老方は物足りないようで、今日も文句を言われるのを受け流している状態だった。
「……オウギ。今日はもう良い」
 無言で背後に控えた護衛官に休む旨を告げると、彼は一度頭を垂れ、下がっていった。
 部屋に戻り、衣を脱いでいく。久しぶりの正装は肩が凝った。そして向かわされた寝室がいつもと違うことにはたと気付き、そういえば、と思う。
 そういえば、自分は結婚したのだった。それもヒト族の娘と。きているのは疲れか酔いか、それとも意図的に忘れようと思ったのか。
 寝室の扉を叩くというのも少々馬鹿らしい気がしたが、一応叩く。
 返事はなかった。眉をひそめ、扉を開く。
 部屋は十分に温められており、寝台は毛布が敷き詰められている。綺麗に皺一つないその光景がまずおかしい。先に入ったはずの花嫁が何故いない。
 気配はある。香油の甘い香りが残っているのを感じ取れた。ここまで来るには女官や警備のいる場所を通り抜けなければならず、逆も然り。隠れられる場所は、部屋の隅の衝立の影くらいと近付いていくと、香りが強くなり、布が震えているのが見えた。
「…………」
 ぐっと、掴んで引けば、布の突っ張りと同時に小さな悲鳴が上がった。
「……ここで、何をしている?」
 小さな身体の花嫁は赤子がされるように布にくるまって、恐れを持ってこちらを見ていた。青いのか赤いのかという顔色だ。それでため息と共に思い出す。
 彼女は神前で涙を流していたのだ。この結婚が不本意だったのは間違いない。その惨いことを強いたのは他ならぬ彼女の父親たちと、キヨツグ自身だった。怯えるのも無理はあるまいと思う。
 かけた手を離して向こうの部屋に戻り、茶を持ってくるよう命じた。しばらくして一揃えが置かれる気配があり、それを持って寝室に戻る。
 急須には熱い茶が満たされている。それを陶器の椀に注ぐと湯気が立った。そして、衝立に声をかけた。
「……茶を入れた。飲め」
 布がびくっと跳ね上がり、しばらく間があった。やがてそろそろと顔を出す娘の姿形を見て取る。
 背丈は自分の胸元まで。手足は細く、身体は薄く一つの切り花の茎ように華奢なのが寝衣一枚なのではっきりと分かる。髪は不思議な黒、瞳は薄明かりに光って分かりづらいが、色素の薄い茶、春の花の色に似ている。小さいなと思う。まだ少女だ。
 幼さの残る顔は、強く困惑を表してキヨツグを見、同じく小さな足で寝台に近付き腰を下ろすと、置かれた茶器をこれは何だろうどうすればいいのだろうといった様子で見つめた。
 まるで警戒心の強い小動物だ。
「……飲め」
 こちらを見、間を置いてこくりと頷く様は小動物でも更に子どものよう。両手に椀を持ち、含みすぎたのか熱さに小さく飛び上がる。少し不思議そうな顔は、飲み慣れないものを口にしたからだろうか。
 少しの間を置いて、キヨツグは問いかけた。
「……この結婚が何か、お前は理解をしているか?」
 ごくりと白い喉が動いたのは、茶が熱いせいだけではあるまい。
「ヒト……と、リリス族の同盟だ、って、聞いてます」
「……交戦を止めぬモルグに戦闘を仕掛けられているヒト族は、より種として強いリリスに援助を求めた。リリスが同意したのは、ヒトがこれ以上土地を踏み荒らさぬと約束したからだ」
 彼女は不安そうに首を傾げる。
「……ヒトは数を増やし、従って都市も大きくなる。その時、建物が建つ土地はリリスのもの、これまでヒトは土地を幾度か黙って占領してきた。……知らなかったのだな」
 話を聞きながら目を丸くしていった彼女は呟き、視線を斜めに落としてそうかと言った。
「……モルグ族に攻撃されているから都市はモルグ側に大きくなれなくて……代わりにリリスの土地を使ってるんだ……」
 考えのない娘ではないらしく、口の中で考えをまとめているようだった。見直したのもつかの間、彼女は怯えた目を向けて身を引く。
「あの……すみません……」
「……何がだ?」
「私の、種族が。ヒト族が、悪いんですよね。なのに勝手をした上で援助してほしいなんて、虫が良すぎて……」
 立場が悪いため何かされると思っているのだろうか。心外で少々複雑な気分だ。これでも普通に話しているのだし、精一杯怯えさせないようにしているのだが。
「……モルグの攻撃を受けているのはヒトだけではない。リリスも攻撃に対して何らかの策を講じようという時、ヒトからの申し出があった。一応利害関係にある。今のところは」
 脅かしたらしい、青ざめて頷かれる。疲れてきてはいたが、いくつか確認したいことが残っていた。茶を飲む。目で促すと彼女も口を付けた。飲める程度になった温かさに安堵したのか、ほっと小さく息が漏れた。
「……結婚についてだが」
「……はい」
 覚悟を決めたような顔で背筋を伸ばす。キヨツグは一目で虚勢と見抜いた。どれほど覚悟を決めようと、生まれ育った故郷の思い出を置いていくことはできない。過去は存在し続ける。
「……同盟について、私たちは一枚の紙で成せるものだとは思わぬという考えで、結婚という形で約束を求めた。花嫁は、有力都市の権力者の適齢期の娘という条件で」
 それで選ばれたのが、この怯える少女だが。
「……この結婚は意に染まぬものだったか?」
 花嫁は面食らったように瞬きをする。そして恐る恐るといった様子で口を開いた。
「あの……答えても、どうにもならない、と、思います」
「……私の心積もりのためだ。答えよ」
 どうにもならないと思うほど、絶望してこちらに来たことはそれで分かった。答えはもう明らかだったが、遠慮したらしく頷きは微かだった。キヨツグは目を閉じた。最初から分かっていたことだが、無理をさせたのだと思うと哀れだった。
 それで、枕を持ち、毛布の一部を剥ぐと向こうの部屋の扉を開ける。
「え……?」
「……お前はこの部屋を使え」
 出て行こうとすると慌てる気配があった。寝台を降りて近付いて来る。
「そこは、その、寒いと思います!」
「……では共に寝るのか?」
 みるみるうちに彼女の顔がおかしな色に変わる。追おうとした手が泳ぎ、胸の前で握りしめられた。「でも私は、結婚しました」と言って小さな決意は握りしめたその手にあるだろう。だが、心から望んでではないことをキヨツグは感じて知っている。
「……私とて望みはある。花嫁は、リリスを嫌わぬ者が良い」
「嫌ってなんか……!」
「言い方が悪かった。……嫌ってはいないが恐れている者をどうこうしようとは思わぬ」
 黙り込んだ隙間に言葉を重ねていく。
「……無理強いはせぬ。ただ外面を保っていれば、誰も文句は言えまい。リリス族長の妻としての役割が出来れば文句はない。何も求めてはおらぬ」
 ここに連れてきたのはキヨツグだった。望むものはそれ以上ない。望まれても、この娘は応えることはできないだろうというのが先程の頷きで分かった。だから、望まない。望めば失ってしまうことが分かっている。
 彼女から出るはずの言葉が消えた。身体の力みが失われていく。俯いて、反論はないようだった。
 だが終わったかと背を向けると、でも、とまだ声が追った。
「風邪を、ひきます」
「……リリスは丈夫だ」
「私の寝覚めが悪いんです!」
 驚いて振り返ってしまった。
 娘の顔は興奮で赤い。目が必死で潤んでいる。
「何もしないと言ってくださったこと信じます。だから部屋に入ってください。誰かを押しのけて温かいところで寝るなんてこと出来るわけないです!」
 言い終えると気が抜けたのか、がっくりと息を吐いている。今にも倒れ込みそうなほど足が激しく震えていた。
 こんなに怯えているのに何故一緒に寝ようというのか理解できないが。
「……入ってもいいのなら、助かる」
 持ったものを寝台に放り投げて戻った。実はゆっくり眠りたいという欲求はきちんとあったのだ。
 寝台の上で残りの茶を入れてしまう。彼女も元の位置に戻り、もう温くなった茶をすすっていた。少し開き直った感があるのか、恐れる気配はあまり滲んでいない。
「……そういえば」
 重かった懐を探って、固い感触の石のようなものを取り出し、渡した。両手を指し出して受け取った彼女は、手渡されたものに愕然とした驚きで問いを寄越す。
「どうして……」
「……大切な物と聞いた。持つのは良いが人に見られぬように。要らぬ咎を受けよう」
 白い長方形のヒト族の機械は見たこともなかったし名称も知らず、使い方も当然分からなかったが、大事そうに胸に抱き微かに安堵の微笑みを浮かべる娘を見て、キヨツグは安らかな気持ちになった。
「ありがとうございます。あの……」
 お名前、なんてお呼びすればいいですか、と優しい問いが来た。そこで初めて、相手の名乗りを知っていても聞いていないことに気付いた。
「……キヨツグ。もしくは『天』と呼べ。……お前は?」
「アマーリエ・エリカ。アマーリエ・E・コレットです」
 アマーリエという響きは都市のヒト族を思わせる名前だった。
「……アマーリエという音は私たちには馴染みがない。エリカと呼ぶが良いか?」
「はい。あの、本当にありがとうございました。キヨツグ、様」
 敬称で呼ぶことに慣れていない様子だ。まだたどたどしい呼び方で、こそばゆい。
「……気にするな。寝るぞ」
 茶器を側の卓に置き、奥の灯籠だけ残して明かりを消した。闇が濃くなる。キヨツグが戻って来るのを待っていた花嫁は、こちらが寝台で背を向けて横になると、もぞもぞと布団を被った。少しだけ起き上がり、その上に毛布を被せてやると、もう一度横になる。
 小さな身体の温かさが伝わる。少し、体温が高い。意識しなければキヨツグはどこでも眠れるしいつでも起きられるが、隣の娘はそうではないらしい。呼吸を意識しているのが聞こえている。
「……眠れぬか」
「あ……はい」
 遅れて返事が返ってくる。寝返りを打ちこちらに身体を傾けたので、キヨツグも立てた肘で頭を支えた。
「……歳はいくつになる?」
「十、あ」
 何か思い当たった様子で口を押さえた。
「……どうした?」
「今日、何日ですか……?」
 枕元の飾り時計は後三十分で零時を指すところだ。日を告げ、もうすぐ日付が変わると言う。今日も終わりである。
「今日、……誕生日だったんです」
 だから十九になりました、と言った。キヨツグとしてはその冷静さを不思議に思う。リリスに怯え悲しげな顔をするのに、ただ一人きりで迎えた誕生日に頓着しないのか。
「……生誕日なら、宴をするが」
 キヨツグ自身の祝いは、族長就任の節目しか行わないことにしている。だが歴代の長、妻、跡継ぎは人を呼んで祝いの席を設けることもあり、権力のある者たちも祝いをする。目の前の娘が望むなら大勢で祝いも命じるが「え!? あ、の、それはちょっと……」と非常に驚かれて遠回しに固辞された。
「十九。……では一回り違うのか」
「ひ、一回り?」
「……私は三十一だ。老けて見えると言われるが……」
 少々の僻みを吐き出し問いを滲ませると彼女はぶんぶんと首を振った後、小さく息を止めて考えていた。思い出したのだろう、リリスとヒトの寿命の違いを。
「……怖いか」
 彼女はキヨツグの目を見て視線をさまよわせる。時間は短いが、見ようとしたのが分かる視線の向け方だ。ヒト族の瞳は丸く、彼女のそれは大地のような色をしている。
 瞬きが、ひとつ。
「分かりません……リリス族に、初めて会ったから……」
 そうかと頷く。これからはリリスが彼女の国になる。ここで生きていく。多分、キヨツグよりも速い時間を。どのように生きていくのかまだ想像がつかない。
 うまく思いやってやれるか不安だった。
「……名前に、意味はあるか?」
 はい? と彼女が身じろぎする。だが自分の思ったより距離が近かったらしい、慌てて少し離れる。なんとなく、微笑ましい気分になった。仄かに明るいだけでも、距離が近いため、耳が少し染まっているのが見えている。
「意味、ですか? いえ……」
「……私の名は、東洋古語の一つの言語に当てはめて、雪を継ぐと書く。冬に生まれたからだ。……アマーリエというのは西洋古語の音だが、エリカという名は西洋古語にも東洋古語にも、音がある」
「綴りは、花の名前と一緒です」
「……その花を、見たことはあるか?」
 首が小さく振られる。
「……リリスにはその花が咲く。暖かくなったら、見に行くと良い」
 そして少し迷ったが、言った。
「誕生日、おめでとう」
 結婚式が誕生日で、彼女の家族は誰も、どちらも祝うことはない。悪く取れば皮肉で悲しみを呼ぶだろう。だが言葉一つくらいはやりたかったのだ。
 娘の表情が、みるみる解けるように柔らかくなった。雪解けを思わせる、春の柔らかさだった。
「はい。……ありがとうございます」
 綺麗な娘だ。幸福な気持ちに似た温かさを覚え、そう思った。
 すると彼女は目を一度閉じた後、こくりと船をこぎ始める。改めて見ると肌の艶や目の下の隈など、疲労の色が濃い。ここに来るまで眠れていなかったのだろう。
 都市の富裕層に生まれた、恵まれすぎた我侭な娘だろうかと思っていたが、どうやら気を張っていただけらしい。毛布を引っ張ってかけてやる。そうしてみると、やはり身体は小さく折れそうに見える。
 リリスでは子どもに見られる小さな身体。やはり哀れで、――側にいてやれるだろうかと、望まれることを考える自分が、いた。

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