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 王宮は大きな建物一つを呼ぶのではなく、いくつかの建物を区画ごとに廊下でつなげたものになっている。アマーリエの部屋と寝所は紺桔梗殿の北に位置する、後宮で最も天の部屋に近い、位の高い者の部屋が与えられている。そこからぐるっと西から東へ一周するのが今日の散歩のメニューだ。
 リリス族は自らを呼ぶ時にリリスという呼称を使い、また、草原の国を表す場合にもリリスと呼ぶのだと、アイや女官たちが説明する時の使い方で理解する。姿形はどこか動物の部分が残っているが、彼女たちは人間だった。昨日と今日、食事もヒト族の食材と大差ない。
 王宮のある街はシャドと呼ばれており、大体は都と呼ぶ。王宮は東西南北で大まかに分けると、南に正門を設けており、北に後宮と寝所、東は文部と呼ばれる文官の詰め所、西は武部と呼ばれる武官の詰め所が置かれており、主な政治は東で行われる。神事になると北東の神殿が利用されるそうで、ここは別格だと教わる。ちなみに結婚式を行ったのは北の最奥にある『社』という名の場所らしく、神殿は守護地だが社は神の住まうところであると、同じ意味ではないのかと言葉の意味をうまく取れないのだがなんとか頷く。
「大丈夫ですか?」
「覚えます」
 と答えになっていなかったのは、聞いたことを整理するのにいっぱいいっぱいだったからだろう。
 会議や儀礼の式は中央に位置する紺桔梗殿と呼ばれる建物で設けられ、天は大体そこにいるそうだ。その名前はその時その時の、禁色と呼ばれる天だけが身につけられる色によって名前が変わるらしい。現在は紺桔梗ということだったが、アマーリエには紺色なのだろうというくらいにしか想像がつかない。
 前方から人が来る。彼らはアマーリエに気付き、すっと横に退いた。頭を軽く下げられる。アイの耳打ちで、彼らは王宮警備の者と文官だと教えられた。
「おはようございます」
 驚愕の気配がどっと押し寄せた。まさか挨拶で驚かれるとは思わなくてアマーリエはうろたえる。
「お、おはよう、ございます」
 おどおどとした返事が二つあった。女官たちが先を行くので、軽く頭を下げて慌ててついていく。人の姿が見えなくなると、女官に呼びかけられた。
「真様、あの者たちは下級です。真様自らお声をかけられずともよいのですよ」
 言われた意味が分からずに首を傾げた。
「かきゅう……下級?」
 そして手を振った。
「いや、ええと、だって、私が族長の妻だとみんなにお世話されるわけでしょう? 直接じゃなくとも、お世話になるわけだし……挨拶くらいは……だめ……ですか……?」
 思わず手を振ってしまったが、段々と自信がなくなってきた。王宮を組織となる企業みたいなものだと考えてしまったがここはリリスだし、そういうしきたりがあるなら従うべきだろうか。いや、挨拶くらいはと都市の感覚で思ってしまう。
「ココ」
 アイの一声に女官が硬直した。
「真様のなさりたいように、でしょう」
「も、申し訳ありません!」
 飛び上がって頭を下げた彼女にも驚いたが、アイにも驚いた。笑顔だし声も優しい、怒っている様子もないが、余計にやんわりと責める要素が感じられる。その美しい笑顔がアマーリエにも向いて背筋が伸びた。
「真様のなさりたいようにしてください。度を超していれば、わたくしたちがお教えします」
 女官たちが頷く。アマーリエは居づらくなって視線をさまよわせ「あの……お願いします……」と結局言えるのはそれだった。そして、青白い顔で最後尾につく彼女に言った。
「さっきみたいに言ってくれると、助かります。私、全然分からないので……」
 涙ぐんで彼女は頷き、別の女官がこつんと肘で突いた。
「挨拶くらいなら国は傾かないわよ」
「あら、それで傾くのが美女なんでしょ?」
「あなたには無理ねえ」
 笑い声が弾けた。涙ぐんだ彼女に少し笑っていてほっとする。彼女に対する非難はなさそうだった。だが反省もする。族長の妻だと自分で口にしたのだから、その行動は広く周囲に影響を及ぼすものなのだ。都市でもある数々の逸話のように、家はおろか国を傾けることになりかねない。挨拶は、まあ良し、と頭の中で丸を入れておく。
「あっちには何があるの?」
「神殿です。神官様や、ライカ様の住居になっています」
 ライカ様。お姑さんだ。とても綺麗で儚げな。
「ご挨拶にいった方がいいよね」
 するとちょっとした沈黙があった。何故だろうとアイを見ると、彼女は頷いた。
「ご理解いただくためにも、行かれるのがいいと思います」
 理解という言葉が引っかかる。だが行けば分かるという雰囲気だったので、案内をお願いした。
 神殿は窓をなくして明るさを遮断している上に、明かりも絞っていて薄暗い。匂いにする煙が漂っていて、ライカがこういう香りをまとっていた覚えがあった。アマーリエが神殿を訪れると、応対したのは白髪の女性だった。とても上品なご老人で、ここに来てから還暦過ぎくらいの年齢の人を見たことがなかったアマーリエは少々驚く。
 ライカは眠っているということだった。
「お加減が悪いんですか?」
「いいえ。いつものことなのです。……真様でいらっしゃいますか?」
 頷くと、老女は微笑んだ。
「巫女様より説明役を仰せつかっております」
 巫女というのは族長の母親を指すが、ライカの場合、神職の一族に生まれているので本来の意味で巫女と呼ばれているということだった。詳しく聞くと、ライカは大体は眠っているのだそうだ。それは年齢を重ねたためであり、彼女の体質なのだという。
「お医者様には診せられたんですか……?」と医者を志していたアマーリエは思わず尋ねた。
「はい。ですがそういう体質なのだと。詳しいお話はいずれライカ様からございましょう。お言伝がありましたらお目覚めの時にお伝えできますが、それ以外はお出でいただいても残念ながらお話は叶いません。ですが真様のお力になりたいと仰っていました」
「私のことは構いませんから、お体をお大事にとお伝えください」
 あの儚げな雰囲気は病人だったからだろうか。年齢を重ねていた手のひら。優しいけれど王宮に馴染んでいるあの人に、色々教わりたかったのだけれど。残念に思いながら老女に礼を言って、後にする。
 神殿を出る直前、廟があることを教わった。墓の代わりに廟に詣でるそうだ。先祖代々の霊を祀っているという、円形の小さな建物は、見た時東屋かと思っていた。
 綺麗な波形の屋根の下、内部は香の匂いがある。中は小さく、床から生えるように文字が刻まれた石が立っている。外からの光に反射するように、つやつやに磨かれたもの、その辺りの巨岩を運び込んだだけのようなものまで様々だ。煙の昇る天井では動物の置物が目を開かせていた。何の動物だろうと目を凝らす。翼を持った、蜥蜴に見えた。竜、だろうか。
「こちらの線香にこの火をつけて、その香炉に立ててください」
 言われた通りにする。
「両膝を突いて、頭を下げます。これが一般的な拝礼です」
 近くまで来たのはアイだけだった。アイは中にまでは入らず、アマーリエが拝礼するのに合わせて、外の土の上で同じようにした。
「何故あなたは入らなかったの?」
 アイはちょっと面白そうに笑った。
「わたくしは、裏切り者になりたくありませんもの」
 裏切り者という不穏当な言葉に息を呑む。
「裏切り者と言っても、わたくしが考えているだけです。尊霊にとってはすでにわたくしは裏切り者ですが、祖廟に入れば、それは真様への裏切りになります。死んでいる人間より生きている人間を敬いとうございますもの。だから入りませんでした」
 あっけらかんとしていた。思わず背後にある廟をアマーリエが振り返ってしまったほどだ。ころころとアイは笑い「いつかお話します」と言って、女官たちの元に誘った。
 そこから南下すれば、文官の勤める文部がある。今はちょうど勤務時間なので人気は少ないのだそうだ。だがそれでも小さな子どもが本を持って走り回っている。世話役となる小姓で、忙しそうなのだがアマーリエが通ると誰もがいちいち急ぎ足を止めて道を退くので申し訳ない。なので挨拶をして手早く大まかに通っていく。
 紺桔梗殿まで来ると、今度こそしんとしていた。会議は終わってしまったらしいので人気がないのだ。一番使い込まれていて一番丁寧に手入れされていると感じる一棟だった。
 そこから更に通り過ぎて武部を見学する。西側は練兵場を広く取っており、この日も訓練の最中だった。
「訓練止め! 整列!」
 アマーリエが通りかかった途端、一声が押されたスイッチで、兵はそれに切り替えられた機械のように整列するのに呆気に取られた。しかもまた邪魔をしてしまっている。慌てた。
「ご、ごめんなさい、することを続けてください。私は通り縋っただけなので……」
「は! では!」
 ヨウと名乗り将軍と周囲に耳打ちされた、中年男性の訓練再開の声で再び兵士たちが散る。その訓練する人々がヒトにはない跳躍力で高く飛んだり、大道芸のように宙でくるんと一回転するのを見て、身体能力の違いを目の当たりにする。これまで見てきたものは間違いではなかったらしい。
「リリスの人はみんな、ああいう風に飛んだり跳ねたりするの……?」
「そうですわね……一般的には、子どもの頃の遊びから身体の使い方を覚えますし、苦手な者ももちろんいます。この練兵場に集まるかぎりは、皆出来ると思います」
「みんなは?」
「わたくしたちはもう身体を使うことがありませんわねえ。護身用くらいでしょうか」
 女官たちは顔を見合わせて頷いた。
 つまりリリス族は寿命がヒトの二倍ほどあって老化は遅く、身体能力に優れた非常に美しい人間族、ということになるらしい。ヒト族の市長たちがこのことを知っているのかは知らないが、知らない可能性もあるだろう。リリスはヒト族と対面する時は覆面をし、姿形が知られないようにしていたのだ。何かを隠していると疑われても、その下が美麗な容姿というのはあまり想像はしないはず。もしリリスが何者か周知のこととなったら。
(すごい嫉妬や、悪くすれば弾圧が起こるかもしれない……)
 見るのに飽きたらしい女官が手を打った。
「そろそろ昼餉ですわね。戻りましょうか」
 西から北へ戻る。その頃には女官たちはアマーリエにあれこれ話しかけたり、帯が緩んでいたり重ねがずれているのを指摘して直したりと、少し打ち解けてくれた様子だった。
 それにしても、ずっと思っていたが、この衣装は歩きづらい。裾がばさばさとなるので、乱れも激しいのだ。女官たちはすっすっと歩いて乱れもないのに。髪も、結ったところからかんざしが滑り落ちるのではと気が気でない。
「真様、天様が」
 え、と思うと向こうの建物の廊下を、黒髪をなびかせた彼が行くところだった。

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