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 身長が高いせいもあるだろうが背筋が伸びていて、とても綺麗な歩き姿だった。少しの風に長い髪がそよいで、眩しいのか考えているのか少しだけ目を伏せているように見えた。後ろに人を従えることを当然として堂々と建物の廊下を行く様は。
(王様、だ……)
 きっとあの人は乱すことなく、この先もずっと歩いていく。
 そう思うとなんだか恥ずかしかった。自分の姿を鏡で見て似合うなんて思ったのは、まだここの人間ではないから何かの扮装みたいに見えたのだ。全部がとは言わない。都市から送り出された者、リリスで生きる者として胸を張らなくてはという気持ちもあったからだ。
 向こう側の彼が後ろから声をかけられ、立ち止まり、こちらを見た。距離は十数メートルあったが、確実に目を捉えられた。
 どうすればと狼狽えたが、結局、ぺこりと頭を下げた。おはようございますの意味を込めて。
 相手はじっとこちらを見た後、するりと視線を逸らし何の反応もなく立ち去った。付き従う人々の慌てようが激しくて、余計に無反応が際立った。無視されるなんて小学生以来だ。アマーリエはどう反応していいか分からなかった。分からないのは、ショックで、狼狽えてしまったため。
 ひどく、悲しい。びっくりするくらい胸が痛かった。
「も、もしかして今のだめだった……?」
「そんなこと全くありませんわ! 天様ったら、反応の仕方が分からないからって無反応で行かれることありませんでしょうに」
「いやいや、無視なさったのは、私がいたからでしょう」
 男の声が割り込んで驚き振り返ると、同時に女官たちが波が引くように引いて礼を取った。アイだけが頭を下げたままアマーリエの側にいて囁いた。
「カリヤ長老です」
「お初にお目もじつかまつります、真様。カリヤ・インと申します」
「は、初めまして。アマーリエといいます」
 わたわたと挨拶するが、ここでの挨拶の仕方が分からず九十度の礼で代用する。すると重たい頭が滑る感覚がして起き上がると仰け反ってしまった。
 赤面しつつ相手を見る。髪が不揃いに長く、どこかアマーリエの印象では、都市の成績優秀な苦学生、という感じだった。髪の辺りが苦学生で、目尻の印象がきついのが頭の回転の速さを表しているように思う。だがこの人も大変綺麗な顔立ちをしていた。
 カリヤはにこりと微笑む。
「天様が真様を無視した理由ですが、私がいたからですよ。お話すると、私はキヨツグ様不支持派だったのです。だからあの方は私にあまり関わりたくないので気付かないふりをしたんですよ。最近はまったく不支持というわけではないのですがねえ」
 だから気に病むことはありませんと言った。喜んでいいのかどうか微妙な気持ちで、はあと相槌を打つ。『だった』ということは過去の話なのだろうが、『最近は』というのが気にかかる。不支持イコール政敵という短絡思考を辿りはしないが、あの明るい日差しで艶かしい人とこの陰鬱な影の中で爽やかな人は、なんとなく合いそうにない、気もした。
「昨夜はゆっくりお眠りになれましたか?」
「あ、はい。今朝もすっきり目が覚めました……、?」
 言いながら空気が微妙なことに気付く。照れと、怒りと責める色が刺すように注がれている。アマーリエにではなく、カリヤにだ。横目でアイを窺うと、刺し殺しそうな勢いで睨んでいる。何故かその姿に母アンナが重なり、もしかして何か失敗を誘導されたのかという考えが過った。
 カリヤは、気付いているだろうに気にしない様子だった。
「それでは、失礼いたします。真様、何かございましたら私を頼ってください。悪いようにはいたしませんよ」
 では、とアマーリエとすれ違う。アマーリエはふとその足下に目をやり、眉を寄せた。足と背中、二つを見比べる。肩はあまり上下しないしアマーリエと比べて滑らかな歩き方だが、服の裾で分かりにくくとも、多分、右足が悪い。怪我をしているかどうかまでは分からないが。
 後ろ姿を見送って女官たちが顔を上げると、んまあと憤慨したのは彼女たちだった。
「まったく。真様に取り入ろうなんて」
「そんなに、会議? って荒れてるの?」
 想像では都市の議会映像が浮かぶ。ひどい時には野次で滅茶苦茶になるあれだ。だが予想とは裏腹にいいえとみんなが首を振る。
「キヨツグ様が位に就かれる前は、色々ありましたけれど。それ以降は落ち着いています。不支持派とカリヤ様はおっしゃいますけれど、リリスは今のところ王宮も外も平穏です。ですが、さきほどの発言は少し聞き捨てならないですわね」
 アイがやんわり非難する。そういうものかと納得したところで、ついっとアイが綺麗な唇を耳に寄せた。
「昨夜、ゆっくり眠られたんですか?」
 質問の意図を測りかねて頷きかねる。どうしてと尋ねて返した。アイは言葉を濁して、答えをさきほどのものを正答として無理矢理呑み込んだ様子だった。
 昼食を取ると、これから何をしようかという話になった。アマーリエは、まず礼儀作法を習いたい旨を口にした。
「礼儀作法に、歩き方は入ってる?」
「はい。食事の作法、衣装の着つけ、歩き方、お客様に対する礼、臣下に対する礼、様々な行事しきたりのお話、などですわね」
 一日目の今日、もしかしたら様々な失敗をしてしまったのかもしれないが、アマーリエにはまだ判断する力がない。覚えないで、あれが都市の小娘よと侮られ嘲笑われるのは嫌だった。都市にも、自分にも傷がつく。
「それを最優先に。あと、私のわがままで……リリスの医学に関わる方に、ご教授いただけないかなと、思っているんだけど……」
「都市でのお勉強の続き、というわけですわね」
「だめ、かな……?」
「きっと了承してくださいますよ。天様にお願い申し上げましょう」
 アイが明るい笑顔で請け負って、話を聞いていた女官を使いにやった。お願いしますと送り出すと、なんとなく、このさきが少しだけ見えた気がした。
 こちらに来るまでは、毎日を一人で過ごすのだと思っていたし、生活が終わってしまうような気がしていた。何にもない暗闇に放り込まれる思いだった。でも、この部屋は、風が通って、日差しが淡く差し込んで明るく、優しい味の食事が美味しい。
 ここに来るまで絶望に暮れたのが、嘘みたいに、心が平穏だった。ずっと続けばいいと、祈る気持ちで思った。



 しかし夜になると現金なもので緊張でかちこちだった。寝所にやられ、布団の上に正座をして待っている。時刻は深夜を回っている。一人でベッドに入るわけにもいかないだろうと、寝間に入った途端何をしていいのかさっぱり分からなくなり、固まったようにずっと待っていた。
 ここに本を持って入ったらいけないだろうか、とぎりぎりの頭で考えていた。実は、荷物の整理を午後にやったのだが、持ち込んだ調度品などの荷物からアマーリエが都市で使っていたいくつかのものが出てきたのだ。大学の教科書が何冊も出てきた時には驚いた。確かに片付けなかったし部屋にあることを確かめなかったが、入れたのは誰かと思いめぐらせば、物がすべてリビングに置いてあっただろうことを考えると、市職員のビアンカ・トートしか思い浮かばなかった。多分、携帯電話も彼女の仕業だろう。
 何故そんなことをしたのか。彼女なりに呵責があったのだろうか。何か入れてみます? と言った彼女は、何を思ったのだろう。責任を負わされるかもしれないのに。
 教科書や諸々は報告してから処分を決めるが、機械ではないので所持は許されるだろうというのがアイたちの見解だった。
「…………」
 昼間にお願いしたことは、夕方には返事が戻ってきて、週六日、交互に礼儀作法と医学の授業を、午前中にしてもらうことになった。教師もすぐに見つけてくれるという。
「…………い」
 頑張ろうと思う。恥ずかしくないようになりたいのだ。世界が全て自分に相応しく思えるくらい、堂々と、ここにいるのが当然という顔で歩きたい。あの人みたいに。
「……真!」
 揺さぶられた気がして目を開けた。
「………………っ!?」
 間を置いて認識する。かーっと顔に熱が上ってきたのは、この人に対する反射がそうなってしまったのだろう。だって、あまりに綺麗なのだ。今日一日色んな『綺麗』『美しい』を見たけれど、この人の美丈夫さは抜きん出ている気がする。
 彼は、その美貌で無表情にため息をつく。
「……私は仕事があって遅くなることもある。だから先に眠るように。待つ必要はない」
 毛布をめくられ広げられる。入れ、ということだろう。かちこちぎこちなく強ばっている身体になんとか言うことを聞かせて、ベッドに横になった。そこにふわりとかけられる毛布。更にあちこちから集められた毛布を敷き詰められる。おかげでまったく寒くない。
「あの……迷惑でしたか……?」
「……何がだ?」と尋ね返されてしまった。アマーリエにもよく分からない。でも色々なことがある。ここで待っていたことや、昼間の挨拶のことや、そもそもアマーリエがここに来たこと。分からなくて、くるまった毛布に顔を埋める。
「な、んでもないです……」
 彼はちょっと首を傾げると、ベッドに腰を下ろした。
「……眠るまで、ここにいるか?」
 きょとんとしてしまった。一人で寂しいのだと思われたのか。その反応が違ったのだと気付いたのか、少し彼は眉間に皺を寄せる。アマーリエは、なんだかおかしくなって微笑を浮かべた。
「一人で眠るのは、寂しくないんです。……夜は、ずっと一人でしたから」
「…………」
 寂しくない、本当だ。両親が結婚していた頃も一人で寝ていたし、離婚した後も、祖母の家で一人で寝ていた。成長して一人で家事がこなせるようになるとマンションを貰ってその部屋で一人で寝ていたし、夜はそういうものなのだと思う。暗闇の中ですべての糸を少しずつ外していって、目覚めて再び結びつけるまで、一人きりになる。
 昨夜だけ、覚えているかぎり初めて誰かと眠った。
 手が伸ばされた。考えていたことがことなので少しだけ固くなると、その手は一瞬止まり、それからゆっくりと落ちてアマーリエの片側の髪を梳いた。耳に、少しだけ指が当たる髪越しの感触がくすぐったかった。心臓が、柔らかく身じろぎをしている。
「……おやすみなさい」
「……おやすみ」
 目を閉じる。光の残像が瞼の裏に、肌に感じる気配が部屋に、まだ残っていて、アマーリエが眠りに落ちていくまで消えることはなかった。

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