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 目が覚めると今朝はベッドの真ん中で一人だった。ここ三日、大体ベッドを占領して朝は目が覚める。深夜時折誰かの気配に目が覚めることがあって、その時、髪を梳かれるのだが、都市でもここでもそういうことをする人は思い当たらず、夢なのだろうと思っていた。こんなに優しくされたことがないと思うくらい、あまりにも手つきが気遣いに満ちて優しいのだった。
 今日の衣装は空色の一着。髪の乱れやすさが気になるので装飾は控えめにしてほしいとお願いする。食事を終えるとお茶の一服を手の空いている女官たちとして、その日の仕事内容という名の予定を確認した。この日、初めて医学を教わる人が来ることになっていた。


「真様、お初にお目もじつかまつります。ハナ・リュウと申します」
 丁寧に頭を下げた女性は、典医の妻なのだと言った。夫共々医師の道にあり、シャドに家が与えられて、彼女は王宮外での勤めにあるのだという。顔を上げた彼女は目が大きく、少女のように幼い顔立ちをしていた。が、アマーリエにはいくつなのか尋ねる勇気はない。
「よろしくお願いします。アマーリエ・エリカです」
「こちらこそ。私がリリス医学の講義をする、というお話でよろしいのですか?」
 確認に答えると、ハナは少し困ったようになる。
「都市の医学生だったと窺いました。ですが、こちらでは都市のように発達した機械がありません。私たちの医学は、薬草や毒草の知識と人体の知識です。都市にいた真様が学びたいと思う内容でないかもしれないということは、ご理解いただいていますか?」
「はい」
 考えていた。機械がないということは、つまり便利ではないということ。都市の常識はリリスには非常識だ。これまでの都市での知識はきっと基礎ぐらいしか役に立たないであろうと結論付け、後の一切を、教授してくれる人に委ねようと思っていた。ただ一つ、訊いておきたいことがあった。
「あの、実は都市での教科書があるんです。私がこれからも使う予定だったものなんですが」
 机の置いていたものを立ち上がって取ろうとすると、すぐにアイが動いて手渡してくれた。ありがとうと言って受け取る。だが自分で動くことが普通だったのでまだこれに少し慣れない。手鏡を探せば大きなものを持ってきて、自分で持つ必要はなく前で持ってかざしてくれるのが一番驚いたのだが、びっくりだったと話す人がいなくて少々むずむずする。
 さておき受け取った教科書をハナに差し出すと、両手で受け取った彼女は表紙を眺め、開く了解を尋ねた。頷けば、ぱらぱらと数ページ捲り、少し考えている。
「どこまで勉強されましたか?」
「三章までです。残りは、後二年で学習する予定でした」
「しばらくお借りしてもよろしいですか? 読んで講義に使用するか見当してみたいと思います」
 喜んで貸し出す。すると、ハナはその名の通りほころぶように笑った。「実は都市での医学に興味があったのです」と言って、本当に嬉しかったらしくどういう勉強をしていたのか本に絡めて尋ねられた。それだけではなく、授業の方針は昼餉近くまで続いたそれらの質問でおおかた決まり、これから学ぶのは一般的な治療師としての学習のカリキュラムと決定した。
 大学の講義でも初日は雑談で終わることが多いので、今日は顔合わせということでハナは昼食の時間になるとまた明後日の講義にと言って戻っていった。
 午後からはアイたち女官と宮中を歩き回る。一人になる時間があまり持てなくて、携帯電話の電源はずっとオフのままだ。昨夜は二日目、寝間に入った途端緊張しきってうたたねをしてすっかり忘れていたし、気になると電源ボタンを押したくてそわそわしてしまう。メールが来ているかもしれない。電話も。一人になりたいなんて言ったらアイたちは嫌な重いをするだろうかと思うと、言えずにいる。
「まあ、黒だわ!」
 側にいた女官たちが声を上げて外側の見える廊下に走り出ていく。アマーリエが側に寄るといつも道を空けてくれる彼女たちは、冷静な年嵩の女官に注意されてようやく退くという興奮ぶりだった。
 王宮内の建物の間にはいくつか広い場所がある。その一つ、南入口に近い場所に、多くの馬と鎧姿の武士たちが待機していた。その中に二人三人、黒い鎧のリリスがいる。
「黒って何?」
「あのように黒い鎧を身につけた武士を言います。武士の中でも特に豪傑とされる者のことで、認められるには剣の道に五十年、と言いますわね」
「黒がいたら白もいたり?」
 冗談のつもりで言ったら真面目に頷かれた。ファンタジー小説の白騎士ならぬ白武士、らしい。
「白は普通は空位です。何らかの式典の時のみ、天様が白を代役なさいます。古いしきたりですね。白は遠い昔の天の位にあったその方の禁色であり、天であり神官でもあり武勇で名高かったその御方が、宙(そら)の神々に認められた際の呼び名です。以来白は名誉ある位となりました。白を継ぐには、天様、長老方、命山の方々がお認めにならなければなりません」
「ええと……なんとなく分かった。じゃあキ……天様が白の代役をするのは、儀式だから?」
 なんとか大雑把に呑み込んだ。なんとなくと言った通り、本当になんとなくで夜になれば忘れてしまいそうだったが。疑問を口にしたものの、口に出来なかった音で後半は少し声が落ちたが、アイは気にならなかったようだった。そうですと頷く。
「白様は、実は没年が分かっていません。天の位を退いた方は大体命山の神殿に隠居なさって、リリスにあって生き神に近い尊敬を受けることになります。没年が分かっていない白様は、未だリリスにあるとして、天様が代わりをして式典などを行うのです」
「分かった、ありがとう。また分からなくなったら教えて」
「あの旗はリィ家の旗だわ」
「リィ家の黒は、今はどなただったかしら」
 アイが説明している間にも女官たちは噂している。それにアイは若干眉を動かした。アマーリエには、この何日間の付き合いでアイが微妙に怒ったのが分かる。怒ると言うほどでもないが「後で言っておかなくては」という風に表情が動くのだ。
「見に行ってみる?」
「え、いいんですか!」
 アマーリエが声をかけるとまだ若い彼女たちは飛び上がった。アイたち年嵩は、年齢ははっきり訊いていないがそうだろうと思う彼女たちは、甘やかさないでくださいとばかりにため息をつく。
「靴を持ってまいります!」
「ああ、お待ちなさい、あなたどの靴が合うか分からないでしょう」
「先に行ってくれる? 少しかかると思うから」
 アイに言って、靴を取りにいった二人を追った。後を追って来ようとする女官たちに良いからと言うと、あっさり引き下がったので、やはり彼女たちも黒が気になっていたらしい。ばさばさと裾を乱して歩いていくと、不意に一人になった。それこそ狙っていたことだった。
 取りにいった二人の来ないような道に入り、懐から携帯電話を取り出して電源を入れた。マナーモードにしてあるのでぶるぶると震えて起動する。待ち受け画面になってしばらくすると、自動的にメールを受信した。驚いた。ここでも都市の電波は届くのだ。明かりが灯ると、ふっと手の中のそれが重みを増した。じんわりと目が痛くなったのは、眩しいだけじゃない。
 事情を知らない何人かの知り合いが、学校に来ていないが一体どうしたのかと尋ねてきていた。連絡してほしいと過剰な顔文字のメールがあったり、遠回しに聞き出そうとしているのか学校の世間話があったり。唇を結んだ。まだ繋がっている。携帯電話の熱か、自分の手のひらの熱か分からないが、とても手の中の機械は温かい。
 メールには元気だということ、しばらく会えないこと、メール返信も遅くなるがまたメールをしてほしいことを書いて、送った。悲観的にならないように、顔文字で明るく。顔文字がないと冷たいと言われたことがあったが、こういう時、顔文字があると文面の感情の偽装が出来るのは利点かもしれない。
「そこで何をしている!」
 携帯電話を取り落としそうになった。メールを読むのに必死で近付いてくる人の気配に全く気付いてなかったのだ。音高く近付いてくるのは中年以降の男性のリリスたちだった。というのはアマーリエから見た外見の年齢なので、実際はかなりの年齢だろう。
 もしかして、政治を司る長老家の誰かかかもしれない。見つからないようにと言われた言葉が蘇って心臓が小さくなる。血も逆温度計のように引いていった。
「その手の中のものはなんだ。そもそも、何故ヒト族がここにいる!」
 糾弾し有無を言わさぬ勢いの強い口調だった。リリスであるためやはり美しい顔をしているが、その目は値踏みするように、リリス衣装のアマーリエを見回している。気分が悪いと思った瞬間、反論しようという気持ちが出た。
「私は……ここに、住んでいます。真と呼ばれている者です」
 そこで初めて相手は思い当たったらしい。そういえばと呟いて眉間に皺を刻んだ。後ろで睨みつけていた者たちも虚をつかれたように視線をさまよわせている。どうするんだというように、糾弾の口をきいた男を見ている者もいた。
「……それは……大変失礼致しました、真様。しかし、その手にお持ちのものはなんですかな。まさか、機械ではありますまいな?」
 目は嫌味でも口ぶりが丁寧ならば、アマーリエは無意味に反抗できない。取り上げられる。きっと報告される。でも、絶対に誰に渡されたかは言わない。絶対に。
 機械だったらなんだと言うのだ。これは人に危害を加えない無害なものだ。強い意志をもって相手を睨みつけた途端、ほとんど後ろの横から助けの手が突き出された。

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