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 今日中に詰めなければならない仕事の合間に寝室に行くと、寝台には妻の姿がなかった。部屋に入ってようやく、椅子の上にちょこんと腰掛ける彼女を見つける。またアマーリエは座ってうつらうつらしていた。時刻は深夜。本当は夕食の頃に訪ねるか、就寝する頃でも早い頃に行こうと思っていただけに、罪悪感と同時に疑問が浮かぶ。最近は先に眠っていたのに、今日はまた何故、また振り出しに戻ったように座っているのだろう。
 抱き上げて寝台に寝かせるのは、意識として不用意な方向に働きそうで止めておく。気配で目が覚めないものかと覗き込むのは二度目だ。
 姿形はヒト族だが、とても綺麗な少女だ。卵形の顔に、こぼれそうな大きな目は意志の強さを感じさせる力強さに満ちていた。今はすっかり形を潜めて表情はあどけなく、普段よりずっと繊細で透き通った気配が滲んでいる。
「真」
 呼んでみるも起きない。
「エリカ。……エリカ」
 名前を呼んだ途端、魔法のように目が開かれた。目を開けた瞬間の、虹彩の透明度はどうだ。
 彼女は目を見張ると、さっと位置をずらして深々と礼をした。
「お勤めご苦労様でございます」
 ぽかんと、してしまった。
「………………うむ」
「本日の政務は滞りなくすすまれましたか?」
「…………うむ、まあ」
「それはよろしゅうございました。わたくしめも安堵致しました」
 その間にも彼女は手をついて顔を上げない。
 この変わり様はどうだ。礼儀作法のミチカ・サコが浮かんで額を押さえた。確かにあれは礼儀作法に厳しい人で、どんなお転婆も淑女に変身すると評判だ。サコの教えを受けてきたキヨツグもその指導は身に染みている。一日目でここまでできるようであれば何処に出しても問題はないだろう。
 問題はないが、この言いようのない感情はなんだ。
「……顔を上げろ」
 澄んだ目は合わされずに伏せられたままだ。それまでは確かに自分から目を合わせることは滅多になかったが、目を上げられない、怖い、という必死さが感じられていた。だが、この今の態度は意図的だった。ひどく、不満を覚える。
「……サコ殿は厳しいか」
「はい。いえ、とてもよく教えてくださっています」
 あくまで指導というわけらしい。サコは厳しいが、矯正して強制するような人物ではないはずだった。ということは、恐らく彼女自身がどのように振る舞うか、彼女を前にしたキヨツグが彼女をどう導くかを問うているのだろう。指導を終えても厳しい人である。
「……真」
「はい、なんでございましょう」
「……これを」
 懐に収めていた箱を一つ。布張りで手のひらに収まるくらいのものだ。
「……祝いだ、誕生日の」
「え!?」
 顔が弾かれたように上がる。目が合った。浮いた手が行き場がなく泳ぐ。目がもうあちこちにさまよって、礼儀も何もない状態だ。その内目を回して倒れそうな、子兎のようだった。
「……ふ」
 やはり一日どれだけ仕込まれても無理があったのだ。声を殺して笑う。動きを止めてこちらを見つめていた彼女が、みるみる真っ赤になった。見抜かれていたことに気付いた様子だった。
「か、からかったんですか……」
「いや。……誕生日の祝いなのは確かだ」
 箱を押しやる。開けていいかと尋ねられ、頷いた。彼女の指先が布の箱を開けると、鎖の鳴る音がする。アマーリエは目を見開き、小さな手にその贈り物を乗せた。
 懐中時計だった。重くなく、便利がよく、女性が持つものを、とシャドや馴染みの職人に打診して回って決めたものだった。金の細工で、蓋には大輪の周囲に無数の小花が装飾されている。あくまで金だけで、宝石も何もないがそれが気に入った。
「……何を贈れば良いか分からぬゆえ、役立ちそうなものにしておいた」
「……きれい……」
 ぼんやりと時計を見て撫でている。何か大切なものを見つけたように、緩やかに微笑んでいた。
「ありがとうございます……嬉しいです、大切にします」
「……無理はしなくとも良い。言葉遣いも、私に対する態度も。体面が必要な時は困るが、無理をさせようとは思わぬ」
 公務に出しても支障あるまいと言った口がそんなことを言った。
 すると、光るように喜びが射していた瞳に、悲しみが過った。
「すみません……私、何の役目も果たせてないですね……」
 悲しませたいわけではない。自由にしてほしいだけなのだ。悲しまず、苦しまず、心乱さずに。そう願うのは。
「……お前はお前の好きなようにすれば良い。疲れているのだろう、私を待たずに眠れ」
 ――側に。
 思い浮かんだものを噛み殺して、毛布を広げてやる。横たわったアマーリエは指先でまだ時計を撫でている。その優しい手つきに、胸騒ぎそうになる。
「まだ、眠られないんですか?」
「……まだ仕事がある」
 今日中、もう昨日になってしまったが、片付けてしまわなければならないのだ。もっと早く終わらせて、あるいは合間を見つけて来るつもりだった。そうすれば、もう少し話が出来ただろうに。眠っている間だけではなく、今日のように短くとも、話がしたかった。
「なら、おやすみなさい」
「……おやすみ」
 毛布でくるんでやっていると目が合った。今度はしっかりと。お互いに、微笑むことができた。

   *

 毛布にくるまるアマーリエは寝返りを打ちながら、耳元で時計の音を聞いていた。規則正しい時計は、少しだけ歯車の音がしていて、風のようなものを感じた。蓋に細工された花の感じる風があるとしたら、そういうものだと思った。
 あの人はわざわざこれを贈ってくれた。この時間だし、もしかしたら今日渡すつもりはなかったのかもしれない。アマーリエの取り繕いを見抜いて、笑っていた。仰向けていたら心臓が奇妙に跳ねて、思わず横に寝返りを打つ。少し苦しさが和らいだ。
 もしかして、夢ではないのかもしれないと急に思った。深夜ふと目が覚めた時の気配は、あの人だったのかもしれない。あの人はずっと、眠っているか様子を見に来ていたのかもしれない。でもいつも、アマーリエが目覚めるとベッドには一人だ。どこで眠っているのだろう。
(キヨツグ様)
 ようやく名前を素直に思い浮かべることができるようになっていた。ここに来てもうそれなりに経ったのだし、当然といえば当然かもしれないが、誰かのことを考えるとき、自分ではその人の名前を知っているから、思い浮かべても顔だけで名前は呼ばないということがある。今までその状態だったのだ。
 キヨツグは、表立ってのことをきちんとこなせればそれ以上求めないと言っていた。なら、優しくしてくれるのは義務だからだろうか。
 仲が良ければ周囲も安心する。疑問もないし、問題も起こらない。平穏に治めることが族長たる天の務めならば、きっと、優しさは義務なのだろう。
「……なに……なんだろう……」
 急に目が熱くなってきた。熱を出した時みたいに、心細いような気持ちになった。だから、ぎゅっと目をつむって、毛布を巻き込んで丸まった。

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