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 着替えがいつもと違った。着るのは自分でやったものを女官たちが少しずつ修正したり手ほどきをしてくれたりしたが、身につけるものがいつもとは違っていたのだった。裾は引きずらずに短く、下は大きく広がる打袴ではなく男性が履くような袴だ。髪も付け毛やかんざしは付けず、ポニーテールに結われた。
 というのは、朝食前にキヨツグからお呼びがかかったからだ。王宮内ではなく、外に来るようにと言われていた。外に行くにはいつものような衣装はなかなか動きづらいと、アイたちが動くことを重視したものを揃えてくれたのだった。
 案内された外、草原の大地は昨夜の夜露できらめいて、空は冷たく澄んでいた。向こうの山並みの天辺には雪が白く、今が冬だと実感した。冬、都市では雪は降っても珍しいため、白い山自体見たことのない者が多いはずだ。映像でしかアマーリエも覚えがなかった。吸った息が温かい身体に心地よい。
「おはよう、真」
「おはよ」
「…………」
「おはようございます」
 四人から挨拶を貰う。キヨツグとマサキ。気になったのは言葉がなくても丁寧に頭を下げた男性と、見知らぬ背の高く髪の短い女性だった。どちらも剣を佩いて、服装は、軽くはあったが武装していた。全体的にぴったりとした鎧や篭手が、傷の合間からつやつやした光を放っている。かなり、こういう格好に慣れた人だ。
「おはようございます。遅くなりました」
「いいや。では紹介をしておこう」
 キヨツグはまず無表情なすらりとした男性を示した。キヨツグは艶やかで男性らしい美しい人だが、この人は中性的な顔つきで更に背が高く、目に入ったのは腰の大刀だった。
「オウギ・タカサ。私の護衛官で側近だ。あまり喋らぬし気配を殺す達人だが、大体私の側にいる」
 オウギは頭を下げる。アマーリエもつられてお辞儀をした。続いてキヨツグは先程からそわそわして落ち着きがないマサキを示そうとして、動きに苦笑する。
「マサキのことは知っているな。マサキ・リィ。リィ家の当主。我が従弟だ」
「はい。…………え、い、いとこ!?」
 紹介されたマサキは不思議そうに首を傾げた。
「あれ、言ってなかったっけ」
「聞いてない! 道理でサコ先生が怒ったはずだ……」
 そうして言葉遣いや態度を改めなければならないと言われたのだ。結局キヨツグがしなくても構わないと言ったのだが、しかし今の言葉遣いは体面も何もないことに気付く。気をつけよう。
「でも言ったってよく分かんないだろ。ヒト族には一族って観念が薄いって聞いたぜ」
「それはそうだけど、でも血の繋がりがあるんでしょう。大事なことくらい分かります。それに心構えってあるじゃない。……じゃああなた、王族?」
「まあ。でもべっつに、俺そういうの興味ないし」
「興味なくても周りはそうは思わないんだよ! 生まれたからには相応しい振る舞い方ってあるでしょう」
 市長の娘の立場を与えられてしまい、望むにも望まざるにも相応しい振る舞い方を求められていた自分と重ねてしまっていた。特に辛いと思ったことはなかったので、そういう注意するような言い方になったのだが、ふとマサキが悲しげな顔をしたのを見て、はっとした。
「ごめんなさい。偉そうなこと言った」
「いんや。俺いっつもきちんとしてるしなー。一応『前族長の妹の息子』で『族長候補』だったけど今は普通に『家長』で『当主』だもんなあ」
「っほら! こういうのがあるから私礼儀作法常識を習ってるのに!!」
 ぷっと噴き出す音。はっとそちらを見て、興奮して我を忘れていた自分に恥じ入る。くつくつ笑っているマサキを睨みつけた。仕返しとばかりに並べ立てられた彼の役柄は、そんなに年が変わらないであろうアマーリエが態度を改めなければならないと思わずにはいられない大層なものだった。彼は彼の役柄をきちんとこなしているのは、きっと空が晴れるくらい確かだった。アマーリエとは違って。
 おかしそうに笑っている女性は、キヨツグに目を向けられて片膝を突いた。
「申し訳ありませぬ。どうやら大変お元気になられたようで」
 その声に聞き覚えがあった。何故だろうと思っていると目が合った。微笑まれたその気配。
「もしかして、王宮に来るまでに護衛をしてくださった方ですか?」
 女性の笑みが深くなった。
「彼女はユメ・イン。ユメ御前と呼ばれている。女性ではあるが、生まれた時から刀と共に育った生まれながらの武士だ」
 キヨツグの紹介に大袈裟でございますねとユメは笑う。アマーリエは名も聞かずにいたことを思い出し、頭を下げた。
「私、あなたの名前を聞いてませんでした。ごめんなさい、あの時はありがとうございました」
「いいえ。私の方こそ至らぬ点が数多くございました。このようにお元気な姿を拝見できて嬉しゅうございます」
 爽やかな気持ちのいい口調でユメは言った。
 遠い草原に馬のいななきが聞こえた。さきほどから気になっていたのだが、風の向きによって動物のにおいが時々する。見える範囲には小屋が見え、恐らく厩舎だろうと見当はつけていた。
「今日から馬術と剣術の稽古をしてもらおうと思う」
 キヨツグは視線を動く生き物に向けていたアマーリエに言う。
「馬術と、……剣術ですか?」
 大体予測していたのだが繰り返す。不安が過ったのだ。馬術はなんとかなりそうだが、剣術はとてもじゃないとと武部を通りかかった時の兵士たちの動きを思い出して思った。
「そうだ。指導するのはユメだ。ユメはお前付きの護衛になる。外に出る時は彼女を伴え。マサキは王宮に滞在する間、稽古の補佐を名乗り出た。若いがマサキもかなりの使い手だ」
 二人を見ると、二人とも笑う。アマーリエは不安でたまらない。
「不満そうなカオ」
「不満なんて思うわけないでしょ!」
 どうしていちいちそんなことを言うのだ。頬を突こうと伸ばされた手から逃げる。それにまたユメが笑っており、キヨツグは。
「……」
「……」
 見た瞬間目が合って、逸らされた。
「…………」
「では、真様の馬をお目にかけまする」
 何気なくショックだったのが、目の前に現れたものに吹っ飛んだ。
 連れて来られたのは、純白のたてがみが美しい真珠色の毛並みの馬だった。つやつやと輝いて光沢があるのは、本当に宝石のようだ。そして、ひどく美しいのはその青い目だった。絵の具よりも透明感のある鮮やかな青、空よりも深い色、宝石よりも強い輝き。
「触っても、大丈夫ですか」
「はい」
 手を伸ばす。
 大きな生き物だった。人間なんて、特にヒト族なんてあっという間に踏みつぶされてしまいそうな威圧感を感じるのはその大きさだけではなく、目が澄みすぎてこちらを見通しそうなくらいだからだろうか。生き物は美しいと感じずにはいられない、力強い四肢。
(すごく、綺麗)
 馬が顔をこすりつけたのは思った次の瞬間だった。頭を下げ、気遣うように手のひらに大きく長い顔を寄せる。アマーリエは手を寄せて、温かく滑らかな毛並みの生き物を撫でた。
 ため息が後ろで聞こえた。気がつくと後ろから大きな手が伸びていた。
「……馬は、人の心が分かる。怖がれば分かるし、怯えも伝わる。何を思った?」
 キヨツグは堂々と馬を撫でていた。慣れているのか、馬もアマーリエに対するより親しげに鼻を鳴らしている。
「特に何も思ったりはしてないですけど……」
 不思議だ。綺麗だなと思っただけなのに。
「名は落花。真様の馬でございます」
「私の?」
 綺麗な瞳が瞬きをする。不安を感じ取ったのだろうか。
「世話できるかなあ……」
 くっと押し殺された声が聞こえ、続いて同じ声が爆発するように大笑いを始めた。マサキだった。
「世話って、イヌネコじゃねえんだぜ!」
 言われて、気付く。自然と、餌をやり、散歩に連れていき、トイレの世話をして、玩具で遊ぶようなことを思い浮かべていた。いや馬の飼育とそれらは変わらないはずだが、微妙にニュアンスが違うのだ。
 見ればキヨツグもユメも微笑み、オウギだけがじっとしている。
「馬の世話は役目の者がおりまする。真様がお手伝いなさるのならそれもよろしいでしょうが」
 かーっと頬が熱くなった。失敗した。
「……お前が世話をしようというのならそれも良い。落花も嬉しかろう」
 そうだなと声をかけると、落花は軽く頷くように頭を動かした。が、実際には草を食んでいた。おかしくて笑ってしまった。
「リリスにいる限りは必要になることだ。よく励め」
 笑顔と分かる表情で言われたのが、嬉しかった。
「はい!」
 思わず元気よく返事が飛び出す。その顔を見て自分の台詞を思い出したのか、キヨツグは一層深く笑ってひとつ頷いた。
「ユメ。マサキ。よろしく頼む」
「承知致しました」
「了解しました、天様」
 二人の礼に頷くと、キヨツグはオウギを伴い、アマーリエに午後から練習をすればいいと告げ、朝議があると断って去っていった。彼が見えなくなるまでユメは頭を下げ、しばらくすると立ち上がりアマーリエに向き直った。
「王宮の生活はいかがですか? 道行きでは当然ながら悲しげでいらしたので、気になっていたのです」
「あ……ごめんなさい、もう大丈夫です。今日からよろしくお願いします」
 頭を下げた。知らずに心配をかけていたなんて、もっとしっかりしなければならない。鉄の心が欲しいものだった。
「こちらこそよろしくお願い申し上げます」とユメが微笑めば、落花を見ていたマサキがひらひらと手を振った。
「まあ、テキトーにやろうぜ、テキトーに」
「私は真剣にやるんです! マサキは名乗り出たって何それ。暇なの? 家長で当主なんだって見直して損した」
「あ、ひでえ、傷ついた」
 と言いつつマサキは笑っている。どこにでもあるけらけらと笑い声が、高い場所まで上っていくようで、気持ちがよかった。
「では午後にまた」というユメの言葉で、毎日午後からやることが決まった。王宮までの戻り道、マサキは自分がどんな仕事をしているのかを丁寧に教えてくれたが、アマーリエはわざと素っ気ない返事を繰り返し、マサキが拗ねたところを笑ってやった。

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