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 都市から目が離せなかった。あんなことを言われたのに、その態度を貫くことはキヨツグに対する非難や反抗に違いないと自分でも思っていた。少しずつ平地に戻っていく頃には遠いビル群は見えなくなり、そのあとは風にそよぐたてがみと馬の首を見て決して支えられている手の平を意識しないようにしていた。
 キヨツグは手綱を引いた。目を上げると、ユメとオウギが待っていた。
「どうした」
「リィ家の巫女様がご来訪になられました」
「リィ家の。叔母上が?」
 キヨツグの言葉には驚きと不審が混じっている。リィ家という名前に聞き覚えがあると思っていて、思い出した。マサキの家だ。キヨツグの叔母なら、マサキの母親が来たのか。
「客棟にお通ししてございます。マサキ様がお相手になっておられる様子」
 キヨツグは心得たと頷くと馬を下りた。手伝われそうになったが、アマーリエは無視して自力で下りる。しかし地面に足をついた途端、罪悪感がもたげた。それでも、謝罪するのは少し違うだろう。
「私もお出迎えするんですか?」
 何とも思っていないという事務的な態度で尋ねる。後ろでユメが眉をひそめているのが見えたが、キヨツグの表情には何の戸惑いもない。
「……いや、後で構わぬ。時間が来たら呼ぶ。恐らく夜になるだろう」
「分かりました」
 対し方も事務的だった。頑なだと思った。謝らないと言ったのを撤回する気はないのだ。ぎゅっと、拳を懐の前で握りしめる。あるのは、悲しみと決意だ。懐の四角い感触を確かめ、ユメを連れて、王宮へ戻った。

 その日のサコの授業はお客様のもてなしに関するもので、記憶を司る大脳がフル稼働する。サコをお客に見立てたり、逆に主人に見立てたりして、もてなしもてなされる作法を学習した。お礼の言葉を述べていると、かなり喋り方の幅が広がっていることに気付く。うまく使い分けられれば文句無しなのだが。
 夜になり、アイたちが火を入れに部屋を回っていく。その合間の薄闇の中で、アマーリエは廊下に座り込んで携帯電話を開いていた。次第に暗くなっていく世界で、ぼうっと人工的な青白さに光るディスプレイが、アマーリエの顔を照らしている。眩しい画面を見つめ、両手を使って本文を入力する。メールの送信先欄にはいくつものアドレスが連なっていることを確認し、送信ボタンを押した。しばらく送信中のアニメーションが映し出されていたが、これで良いと満足する自分と、どうなっても知らないと投げやりな自分を感じた。送信完了しましたの表示を見た後はすべてに蓋をするように携帯電話を閉じ、電源を切った。


 キヨツグに呼ばれ、応接の間の上座につくことになった。するすると滑るようにして、キヨツグの隣に座る。誰かに応接するというのは初めてのことだったが、ひどく冷静で頭の芯が冷えきっていた。多分、今の自分はとても冷たい表情をしているはずだ。緊張もなく怯えることもない。一度きっかけがあれば素早く仮面をつけることが出来る。百戦錬磨、玄人の女優のように。
 華麗な人が向こうに現れた。彼女を先導しているのはマサキだった。しかしその後ろで一見して分かる、光り輝くように派手に美しい人。彼女は優雅に膝を折り畳むと、赤い唇に笑みを浮かべた。
「変わりないかえ、キヨツグ」
「はい。あなたも。シズカ叔母上」
 化粧の具合かもしれないが、シズカはかなり厳しい印象を受ける美女だった。目元はつり気味で縁が黒く、睫毛も長い。眉も流麗。口紅のせいだけではない妖艶な表情。かなりの美女だが、なんとなく尻込みしてしまう雰囲気がある。
 シズカはほうっと物憂げに息をついて部屋を見回し。
「ああ、本当にこの宮も変わらぬの。懐かしい香りがする」
 そして、アマーリエに目を留めた。アマーリエは改めて背筋を伸ばし、両手をついて深く頭を下げる。
「叔母上。これは我が真。アマーリエ・エリカという」
「アマーリエ・エリカでございます。リィの巫女様にはお初にお目にかかります」
 シズカが笑ったのが感じられた。
「ヒト族と聞いておる。ここでの暮らしには慣れたか」
「はい。特にリィ家の当主殿には目をかけていただいております」
 それはなにより、と笑い声が響いた。
「今度私のところで茶でもどうかえ」
「ありがとうございます。是非お窺いさせていただきます」
 その後、キヨツグとシズカがしばらく会話していた。彼女は叔母上というキヨツグの言葉通り、彼の父親の妹なのだという。王宮で生まれ育ち、リィ家に降嫁したという彼女は、笑い声ひとつ取っても上品で洗練されていた。あんなに楽器のような声は聞いたことがないと思うくらいだ。目のやり方、息の吐き方、手の動かし方、すべてを取ってもシズカは完全な姫君の形をしていた。
  しばらくの会話の後、彼女はマサキを伴って退出していった。来たときと同じように先導するマサキがつとこちらを見て何か言いたげにしていたが、何が言いたいのか分からずに首を傾げるしかできないアマーリエだった。


 寝室の窓を開け放つ。キヨツグは今夜もここにはいない。見上げた空の、雲に隠れつつある無数の光は、眠らない街を今は思い出させた。雨を呼ぶ風も、都市を出る少し前に感じたビル風の冷たさと似ている気がする。
「アマーリエ」
 ふと囁くように聞こえた声に、アマーリエは周囲を見回した。部屋の中にはもちろん誰もいないし、外には。
「アマーリエ、ここ」
 ゆっくりと外の闇の中を見ていると、浮かび上がった影があった。
「ま……マサキ!?」
 大声を上げてしまい、慌てて口元を押さえる。窓から身を乗り出すようにして「どうしたの!」と声を抑えて問いかける。
「こんなところ、人に見られたらただじゃすまないでしょう。寝殿なんだよ。キヨツグ様の従弟だからって、こんな」
「今誰かいる?」
 アマーリエの焦燥で乱れた言葉を受け流して、マサキは訊く。アマーリエは首を振った。
「そ。なら良かった」
 身軽に窓枠を乗り越えたマサキは、床に足を着くことはせずに、窓枠を跨ぐようにして腰掛けた。目が合うと、にこーっと嬉しそうに笑われるので、頭痛を覚える。
「……もう」
「悪いな。実は会いたくてたまんなかったんだ」
 そして手を伸ばす。頬に指先が触れた。一歩引いて避けると、彼は苦笑した。
「なんかあったろ」
 傷付けたはずなのにこちらを気遣うその言葉に面食らう。反応するつもりはなかったのに目を逸らし、伏せていた。
「母上か?」
「……シズカ様?」
 マサキは息を吐いていた。安堵の息に聞こえた。
「そう。あの人、リリス至上主義なんだよ。早速なんかされたのかなと思ったんだけど、そっか、違ったんならいい。でも気をつけろよ」
 気をつけるというのは難しく感じられたが、頷く。実は気難しそう、少し意地悪そうだと思ったのも事実だったのだ。あからさまに避けられはしないが、心の武装は出来るだろう。不意をつかれるほど、精神的に大きなダメージはない。リリス至上主義の具体的なものが分からなかったが、ヒト族が他種族を見下しているのと同じだろうか。これまで笑顔で接してもらってきた自分が今まで遭遇していないことが、不可解で奇妙に思えた。
「……もしかして、それを言うために来たの?」
 マサキはさあねと曖昧に笑った。
「なんかあったのは、天サマ関連?」
 代わりの言葉がそれだった。アマーリエは首を振る。
「大丈夫。なんとかできるよ。難しいことじゃないから」
 このままならば何も変わらないのだ。平穏でいられる。アマーリエが都市を思ったり景色を思い出したり、帰りたいと少しだけ感じたりする、胸に抱き続けること。それらを決して口にしなければ誰も不快にはならない。秘められた問題は問題になって周囲に現れることはない。自分ひとりが秘めておけばいい。理解されるはずがないというのもあった。お前は、ここで平穏に暮らせているではないかと言われると分かっているのだった。
 アマーリエは、ヒト族だがヒト族とは言いがたい。リリスに嫁いだ人間なのだ。でも、リリスとも言えない。それでもここで生きていく。生きていかねばならないのだから、居場所を持っている必要があった。
 居場所は、都市にも残っているはずだった。懐を押さえる。まだ繋がっているのだから。
 マサキは難しそうに目を細めていたが、言った。
「なんかあったら、俺を頼れ。俺は、お前の味方でいる。ずっと」
「うん。ありがとう」
「分かってねえな。ホントの言葉だぜ、これ」
 そう言われて、大切に取っておこうと言った自分を思い出した。大切なものがあれば前を向ける。マサキの言葉はずっと真実だったのだろう。大切な言葉をずっとくれていた。それに、答えを出さなければならないのではないか。
「あの、マサキ」
 答えを口にしようとすると、マサキはふわりと外へ飛び降りた。何を言おうとしたか気配を察したようなタイミングだった。
「おやすみ、アマーリエ」
 地面を蹴る音がする。雲のせいで星はほとんど見えなくなっている。音が遠くなり気配だけが残っていたが、風に吹かれて消えていった。見つからなければいいと祈る。まだ夜の雨がそろそろ降り始めようとしていた。

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