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 雨の気配が空から降りている。
 とっておきの訪問着を自分で着つけ、アイたちから太鼓判を貰った。まだ色の重ねなどは覚えられていないが、出されたものを着ることくらいは出来るようになった。そうしてアマーリエは、客棟の近くにある茶室を訪れた。この日女官は連れず気の置けない者で集まろうという、シズカの催す茶会があったのだった。
「本日はお招きありがとうございます」
 茶室には晴れやかな衣装の女性たち、当然みんな美しい人ばかりが集まり、頭を下げたアマーリエの叩頭に揃って微笑んで頷いてみせた。というのは主人であるシズカが笑ってようこそと告げただからだと、分かってしまった。
「よう来た。さ、こちらへ」
 茶室に入る時、サコから言われたすべての礼儀作法をなぞった。
 シズカが来訪したという話を聞いたサコは、少し考えるように顎に手をやり、そうしてアマーリエにこれまでのすべてを叩き込み直したのだ。歩き方から座り方、喋るとき、笑うときの手の持っていき方、今流行の書物など。もちろん茶道に関してもあった。
 決して怯えてはなりません。粗相をして申し訳ないと思うことは正しゅうございます。ですが、そこで謝罪することと許してもらおうとすることは違います。謝罪は誠意ですが、何でも言うことを聞くことは追従にございます。心で負けてはなりません。
 胸を張り、息を吸い込む。そうして微笑んだ。
 お菓子を頂き、お点前をちょうだいをして、器を回し、何度かに分けて飲む、飲み口を拭いて、懐紙で指を拭う。茶碗をさきほどとは逆に回して畳のへり外に置いて茶碗を拝見。動作が一通り終わると、茶器と茶杓を拝見する。言葉を並べてみると単純に思えるが、練習の時は飲んでも最後まで気が抜けないと思ったものだ。席の立ち方まで気を配らなければならない。
 なんとか一通り終えて、だがため息をついてはいけないと前を見つめ続けた。そして、周囲を取り囲む美女たちからの声に応える。
「真はいくつだったかの」
「十九になります」
「まあ、十九! とてもお若くていらっしゃるんですのね。お肌の張りが違いますわ」
「お名前が不思議な響きですね。あま、あまーりえ、とおっしゃいましたかしら」
「こちらの方は発音が難しいようですね。私も、リリスの皆様のお名前は不思議な心地がいたします」
「伝統の名前でございますわ。東洋古語を使うんですのよ」
「この菓子が美味だの。真もどうかえ」
「ありがとうございます。いただきます」
 女性たちがそれまでのおしゃべりをぴたりと止め、菓子を薦めたシズカとアマーリエを注視している。器からいくつか手のひらに乗せたアマーリエは、笑って「皆様もいかがですか」と薦めた。小さな笑声が広がり、彼女たちは次々に菓子を取って行く。どうやらこの対応で良かったらしい。
 しかし、どうしてこうも彼女たちの見分けがつかないのだろうと思う。みんな同じ顔、同じ喋り方に思える。彼女たちは華やかな美人で、アマーリエはため息をつきたい。幼い顔立ちと貧弱な身体は明らかに浮いているのだ。これがリリスとヒト族の違いなのか。
「十九か。若いが、若すぎるのう。まだ子どもではないか」
 零すようにシズカが言い、女性たちが笑った。声を立てるのではなく、喉だけでくつくつと鳴らして口元を覆い、アマーリエには分からない視線を交わす。嫌な笑い方だと思った。中学校の教室でよく見られるような、それこそ、サコの言う追従だ。シズカはアマーリエの身体を不思議そうに眺め回す。
「十九は、ヒト族では婚姻が出来るのか?」
「はい? はい、女性は十六歳で、男性は十七歳で結婚できますが……」
 それが何だと言うのだろう。シズカはなるほど子どもではないのだなと呟いて、側の女性の笑声を聞いている。そして歩き出した。アマーリエや女性たちはその後に続くが、なんとなくついて回るような感じであまり嬉しい気分ではない。
「真は茶は初めてかえ?」
 話が変わった。
「正式なお席にお招きいただくのは初めてです」
「左様か。しかし立派なこと。なかなかの作法であった」
 妖艶に微笑まれ、思わず俯いた。
「ありがとうございます。そんな、褒めていただくようなものでは」
 庭には露台が出してあり、そこでみんなでお茶を頂く。今度は菓子の方が多く、作法もあまり気にしない様子で少し気が楽になった。
 マサキはああ言ったが、シズカはどちらかというと好意の方を見せているように感じた。笑い方は少々怖いものを感じるが、多分あまりに美しい容姿のせいだろう。リリス至上主義というものがどんなものか分からなかったが、アマーリエはヒト族であるけれどリリスに入っているのだから対象には入らないようだ。
 そう、思っていた。
「そろそろ解散にしようか。真を遅くまで引き止めておけぬであろ」
 シズカが立ち上がれば、女性たちもそうですわねと席を立った。
「本日はお招きありがとうございました。失礼いたします」
 楚々と席を立ち、一礼しておいとまする。自室に戻るまで気を抜いてはならない。だがいつも通りに。良かったうまく行ったと力が入っていたらしい肩を降ろして安堵しながら、自身の宮殿に戻る道を行く。
 だが不意に、自分の手のひらが空っぽなのに気付いた。扇子がないと飛び上がったのもつかの間、置いてきてしまったのだと気付いた。どうしようと思いはしたが、すぐに戻れるので踵を返す。
「所詮リリスに劣るヒト族よ」
 吐き捨てるような声が聞こえてきたのは、庭の木の影から足を踏み出そうとしたときだった。
「貧弱な身体でしたわね。美しくもありませんし。肌が黒うございましたわ」
 冷水を浴びせられたかのようになった。氷で鎖されたと言っても間違いではないかもしれない。視界がぐらりと歪み、音までひしゃげたようになるが、しかし意味が取れる意識が奇妙だった。
「あんな子どものような身体でよく真夫人と言える」
「本当ですわ。健やかな御子ができるとは思えません」
「おおいやだ、次期族長となる人間が醜いなんて許せませんわ」
「大体、何故リリスにヒト族がいるのでしょう」
 動悸が激しい。このまま吐いてしまいそうだ。口を押さえ、必死に堪える。出て行くことが出来ない弱さで、懸命に心を固くする。傷付かないように。だが耳に入る言葉のすべてが鋭く深く傷を付け、アマーリエに思い知らせ始めた。
 シズカが吐き捨てたのが、決め手だった。
「いくらリリスを装ってもリリスにあらず。真と仰がれ驕る者は醜いの。いくら模倣しても模造品以下だわ!」
 弾かれたように走り出した。
 夕方の暗闇。悪意がとぐろを巻いて毒を吐き出しているような、沈んでいく黒。顔は分からないが、あそこにいたのが誰かくらい分かる。
 ぶるる、と帯の内側が震える。びくっとしてそこに携帯電話があることを思い出す。電源を切るのを忘れていたらしい。マナーモードでよかったとありふれたことなのに奇妙な感覚で安堵しながら、そこにあるメールに愕然とした。それは、この間メールを送らなかった同級生からの、アマーリエを案じるメールだった。
『元気? 後期の成績出たよ。私なんとか進級できそうなんだ! 私らはもうすぐ実習始まるよ。教職の子は介護等体験の行き先の見当を始めたみたい。アマーリエを最近見ないから心配してるよ。元気だったらいいな』
 彼女とはほとんど一緒にいることがなかった。あのメールを送らなかったくらい、アドレスを知っているだけの存在だった。いつもなら彼女は自分を案じてくれているのだと喜べるのに、今呼んだのは深い深い絶望だった。
「……私……何してるんだろう……」
 ヒト族だから、リリスのことを覚えてリリスの一員として恥ずかしくないように、リリスであろうとした。ここでずっと生きていけるように居場所を作ろうとした。悪意に晒されたことはなく、みんな善良な心を持った人々だった。悪意が存在しないとは思っていなかった。だが自身が対象になるとは思いも寄らなかった。恵まれていたと気付かされる。だがさきほどの悪意はただ言っていたのだ。ヒト族でありリリス族ではないと。そして、彼女らは知らなくても、アマーリエがこの場所で役目を果たしていない、果たせないであろうことを指摘したのだ。
 普段ならあんな陰口に負けたりしない。表面上仲良く出来るくらい年齢は重ねてきた。
 けれど、あの言葉は言ったのだ。模倣しても模造品以下だと。それは、今までなんとかリリスの中であろうとしたすべてへの否定ではなかったか。
 いくら懸命にリリスであろうとしても、模造品以下と言われるのなら、ここにいる意味はあるのだろうか。今の自分に意味はあるのだろうか。
 メールの向こう、都市には未来がある。アマーリエがなくしてしまった未来が。
 リリスに何があるのだろう。未来が見えない。分厚い覆いが足下まで降りて、身体を冷たい暗闇に置く。道が脆く崩れ落ちていくのは、居場所がないという意味だった。
 リリスに何の益もない、ヒト族のアマーリエ。ここで何が出来るのだろう。
 自分は何者だろう。ずっと考えていた。
 そう、出来ることはここには何もない。
「アマーリエ? 良かった、待ってたけどなかなか戻って来ねえから」
 走ってきたのか、マサキが弾んだ声で近付いてくる。そして、アマーリエの顔を見てはっとした。
「……どうしたんだ」
 携帯電話のディスプレイが、ふっと発光を消す。それをマサキは奪い取る。彼の顔が淡い光に照らされる。
「……私に、意味はあるの?」
 口をついていた。
「いくら頑張っても、どんなに相応しくあろうとしても、結局私はリリスになれない。リリスの真似をしてるだけ。都市にいた頃はそんなの考えもしなかったのに。私は普通に生きて、普通に学校を卒業して、自分のやりたいことをやるんだと思ってたのに」
 普通に生きること。都市で感じたあんなに見通せない未来は、多くの選択肢が目の前に広がっていることを示して、ありふれた、都市に埋没するような生活が本当は幸福の一つなのだと知らせていた。当然に誰かと関わり、当然に仕事をし、当然に生きる、命をつなぐ。その当然がここにはない。
 みんな、優しい。優しくするべきことを示してくれる。でもそれは欲しい未来のために選んだものではない。
 キヨツグは優しい夫だ。無理強いはしないしさせないと言ってくれた。大切にしてくれている。義務からの言葉や優しさ。彼が恋を抱いているわけではない。泣きたくなるほど悲しいその事実。
 アマーリエは、未来も恋も手に出来ない。
「ここじゃそんな些細なこと、何も叶わない」
 マサキが腕を取った。
「行こう」
 どこへ。
「アマーリエが苦しいんなら。ここで何もないって泣くんなら。俺が、連れていってやる」
 マサキの瞳が強く切ない光を零していた。

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