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「本当に、本当に、行かれるんですか?」
 何度目かの確認にアマーリエは苦笑する。取ってもらった帯を受け取って身につけていき、姿見で確認しつつ裾を合わせていく。その姿見に映るどの顔も心配げで、唇を尖らせていたり、明らかに憤慨している。アマーリエの着付けに文句を付けているのではない。それを着てどこに出掛けるのかというのが、彼女らの怒りの矛先なのだった。
「シズカ様のお茶会なんて、また嫌な思いをするだけですわ」
 アマーリエ出奔の理由は、いつの間にかアイたちに伝わっていた。シズカから招待状が届いた時、彼女たちが口々に非難しながらそれを破り捨てようとしたことでアマーリエは知れ渡っていることに気付いた。誰にも言わなかったはずなのに誰が、と頭を抱えつつ、明確な言葉は避けて、こうして準備を手伝ってもらっている。しかしはっきりと口にしないということが、こうした何度も繰り返される確認になっていた。
「真様」
「だって、呼ばれたもの」
 それでも、と彼女たちは不満そうだ。
「あの……やっぱり知ってるんだ?」
「あの方のお席の直後にああなれば、あちらで何かあったと思うのは当然ですわ」
「ココ、正直におっしゃいな。真様、実はわたくしたちはユイコ・ミン様から窺ったのですわ。天様にご報告申し上げているユイコ様を、廊下の途中で捕まえて」
 髪の綺麗なあの人がと思い出して瞬きをする。よく考えると、船遊びで初対面ではなかった気がする。あの茶会にいたような。
 お茶会。あそこではシズカによる面子の紹介などはなくただ喋っているだけで、もしかしたらそういうものだと思っていたのだが、やっぱりおかしかったのかもしれない。交わされた会話は嘲笑を含んだものだった気がするし、シズカに嫌われていると明らかに分かって、紐を結ぶ手が止まった。
「……やっぱり行くの止めたいな……」
「あら! それじゃあ脱ぎましょうか! そうですわ、せっかくですから天様をお誘い申し上げて……」
「ご、ごめん、嘘! 返事したからちゃんと行くよ。ごめんなさい、手伝ってくれる?」
 四方八方から伸びてきた手は、むっつりと下ろされていき、黙ってアマーリエの着付けを手伝った。アイなどはまだぶちぶち文句を言っていたが。
 全てを身につけ終え、髪を少しだけ整え直した後は、ひとつ頷いて、彼女たちに笑った。
「大丈夫。頑張ってくるね」

   *

 今日の茶会は普通の緑茶と菓子をつまむ簡略なもので、あちこちで笑い声の花が咲いている。茶碗は美しい黒で、油滴がきらきらと輝いていた。高級な茶碗というのが分かるのだが、しかし他の茶碗には上絵で花が描かれており、明らかに一つだけ違う茶碗、なのである。
 そうして入れられた茶は不透明で、じいっと見ているとシズカが楽しく歌うように言った。
「美味なる茶はリリスの妙薬よ。真にも是非にと思ったのでな」
 手ずから入れてくださったお茶なので、礼を言ってまず一口。
 舌の感覚に、アマーリエは密かに眉を上げた。口の中でそれを転がしながら、周囲を窺う。彼女たちは談笑しながらこちらに特に意図するものはないようだが、シズカはアマーリエを見て麗しく笑った。
 その間に色々考えてみたものの、思い浮かんだのは。
(……まあ、これなら大丈夫かな)
 器を持ち直し、飲もうとした瞬間、だだだだと凄まじい音が近付いてきた。音高く戸が開かれ、仰天する目の前に物を蹴り飛ばす勢いでずかずかと上がり込んだ彼にシズカは眉を吊り上げた。
「マサキ、何をしに来たのじゃ!」
「母上。このクソババア。俺だけじゃないですよ」
 慇懃に話しかけながら無茶苦茶な呼びかけをするマサキの背後から、更に現れたキヨツグにもアマーリエは目を見張る。
「ねえ、族長殿」
 横から茶碗を奪われ、それを飲み干した彼は適当な女性に器を返す。彼女らも族長のお出ましに呆然としていたが、しかしキヨツグが静かにすべてを一瞥した瞬間、慌てて平伏した。衣擦れの音が収まった頃には、アマーリエとシズカだけが目を上げて彼らを見返している。
「叔母上」
 シズカが一瞬跳ねて身を引いた。
「この薬草茶がリリスにとっては滋養でも、ヒト族にとっては害であると、存じておらぬあなたではないだろう」
「そ、そうじゃそうじゃ、失念しておったわ。真はヒト族であったの。それは悪いことをした」
 引き攣った呼吸をするシズカは、それでも虚勢を張る。扇を広げて優雅にあおぎながら途切れがちに笑っていた。
「クソババア、しらばっくれる気か」
「これは事故じゃ、仕方なかろう。おお、真に大事がなくてよかったわ」
「認めないってか」
「認めぬも何も、事故じゃ。事故であったからには責任などありはせぬ」
 マサキはキヨツグと顔を見合わせ、懐から何か四角い物を取り出した。
「おいババア、これが何かお分かりですか」
 長方形の箱は明らかに機械だ。露骨に嫌悪感に眉をひそめるシズカであったが、アマーリエにはそれが何という道具で、どういうものなのかを知っていた。でも一体何をと口を開きかけたアマーリエにマサキはにやりと笑って、いくつかの出っ張りの一つを押し込んだ。
『……これで弱体なヒト族はころりといくであろうよ、さて、楽しみじゃ』
 ぎょっと空気が詰まり強ばった。彼女らは知るまい。何故その小さな箱からここにいる人の声が流れ出してくるのか。
『リリスにヒト族が混じるなど汚らわしい。我が族長家はリリスの規範たらなければならぬ。それを乱すヒト族の真など、必要はない』
 かしっと音がしてマサキが音を止めた。都市ではもう使われないような、古いレコーダーは、しっかりとその機能を果たして彼の手の中にある。
「これでも言い訳できますか」
 みるみる内に血の気が失せた青い顔で、シズカはぶるぶる震えていたが、やがて顔を真っ赤にして怒鳴りつけた。
「偽物じゃ!」
「偽物か否かは聞く者が決めよう」
 さっと再びシズカは青ざめる。
「叔母上。私が願うのは真にこれ以上手出しせぬこと。あなたはシェン家の方だったが、今はリィ家の方。真を害してもあなたに栄光は戻ってきませぬ。早急に立ち去られるが良い。――エリカ」
 それまで呆気に取られていたアマーリエは呼ばれて反射のように立ち上がる。キヨツグは背を向けて歩き出すので追いかけようとしたが、部屋の人々に礼を欠くことに気付き、サコに教わったように丁重に暇を述べたけれどそれは嫌味だったかもしれない。
 部屋に戻り、戸を閉めると、マサキが拳を振り上げた。
「やったぜ! あのクソババア、これでアマーリエに関わらないからな!」
「……真」
 踊り出しそうなマサキだったが、キヨツグの声は低く、思わず背筋を正す。
「……お前、あれが何か分かっていたろう」
 マサキが動きを止める。
「ハナ・リュウ殿の講義を受けて、薬剤の調合に手を出しているお前が、これは危険だと分からぬことはないだろう」
「…………」
 なんとか言おうとしたが、観念する。じっと見られれば、確信を持たれていると分かって、嘘をついても仕方がないと気付くのだ。
「……一口飲んでも死ぬ危険性はないと判断したんです。大体何を使っているのかは分かっていたので、すぐに先生に薬をいただいたら大丈夫だろうなって思って」
 マサキが目を剥いた。
「そんな危ねえことしたのかよ!」
「あの方が収まらないと思ったの。誰かを使って自分の位置を確認したい人だから。不安なんだよ、変わっていくことが」
 過去があまりにも幸福で満ち足りていて、その思い出をずっと抱き続けて。自分にないものは何もないと信じていたのに、時を経るにつれこぼれ落ちていくように思えるのだろう。必死に掻き集めて身体に塗り付けても、それは完璧だった思い出にはほど遠いのだ。
 リリスは、アマーリエの存在で少し形を変えた。アマーリエには明らかな形はまだ感じ取れないけれど、リリス族長に異種族の妻が迎えられたということは、リリスの血が変わるということになる。そして、マサキのようなリリスがいることも。
 多分マサキが都市びいきなのもあるんじゃないかな、と呟いた。
「俺が?」
「息子、つまり自分のものが思い通りにならないから、意固地になるの。シズカ様、さっきの席でマサキの話ばかりしてた」
 マサキは微妙な顔をする。どうせ悪いことばかりだろうと言いたげだったが、本心では知っているのだ。多分、幼少時の記憶がそう想像させる。シズカは、きっと子どもには甘い母親だったのだろう。
 気まずげに視線を逸らした彼に微笑めば、キヨツグも同じように表情を緩めていた。
「マサキ。お前は叔母上と一緒に帰れ」
「え、なんで!」
「確かに叔母上はお前に固執している。しばらく抑えておけ。お前がいると勝手はせぬだろう」
 マサキはアマーリエを見て、むうっと顔をしかめる。
「……いいんですか。リィ家に戻ったら、軍を組織して王宮に攻め込むかもしれません。俺に固執してるって言うんなら、俺を跡目にしようとするかも」
「その辺りは心配しておらぬ。これでも私は……命山の認めるところにある。正当な後継者を討てば、名に傷が付こう。リリスで、シェン家を重んずる叔母上は、汚名を被るのを避ける」
「……母上がそうでも、」
 マサキは何か言いかけたが、ふっと口をつぐんだ。次の瞬間きつくキヨツグを睨み据えたかと思うと、やられたと悔しそうに頭を抱えた。
「はいはい分かりました! まあライカ様の釘止しもあるだろうし、母上にはしばらく大人しくしてもらいます!」
「そのお知らせでございます」
 さらりと現れた訪問者に驚いたのはアマーリエだけだった。二人とも訪れを知っていたらしく、人を連れずに現れたユイコ・ミンの礼を見下ろしている。
「申し上げます。先程、ライカ様よりシズカ様へのお言葉がありました。リィ家領地の塚や祠、社などをお清めになるように、とのこと」
 そりゃ大変だとマサキは眉を上げる。
「あそこは古い土地だからなあ。この辺りとは比べ物にならねえくらい塚や社がある。母上も大変だ。ライカ様厳しいわ」
 言いつつも他人事のようだ。
 アマーリエはなんとか考えて整理してみる。ユイコがシズカとのことを知らせる役目を負っていて、救出してくれたのはキヨツグとマサキだが、厳しいらしいタイミングのいい指示からすると、もしかしたらライカが静かに一矢報いるために画策した黒幕、ということだろうか。
 キヨツグの袖を引いた。
「ライカ様って、すごい方なんですね?」
 少し苦笑するような「……あの方はヌシだからな」というのが返答だった。
「真様」
 すっとユイコは近付き、アマーリエの耳に口を寄せた。
「かんざしを盗んだ者は処罰しました。途中で獣に取られたと言っていましたが、盗んだことに変わりはありませんもの。それから、船の舫を解いた者も、天様が」
 にこにこと笑う彼女は少しだけ怖かったが、それ以上に何をしたかを聞けない相手がキヨツグだった。一連の事件にどう決着を付けるのか詳しく聞けていないまま、シズカのことを聞いている。
「あの……キヨツグ様。シズカ様を処刑なさったりしませんよね?」
 キヨツグは眉をひそめた。
「何故に」
「相応の処罰は必要でしょうけれど、痛めつけるとか、そういうことは。あの薬草茶はあれだけ飲んでもしばらく寝込むくらいです。殺人にはなりません。それに、さっきの録音テープには明確な言葉はありませんでした。殺人未遂罪を問うのは少し難しいでしょう?」
 呆れたため息はマサキだ。
「毒盛られたっつーのにアマーリエは甘い」
 首を振ったキヨツグも同じことを言いたいだろう。
「……叔母上にはしばらく領地から出てもらわぬようにする。監視を付け、行動を逐一報告させる。他の者の処分でも拷問などはさせぬ。法に則って処罰しよう。心配はいらぬ」
 確かに甘いだろう。だが、あれは単純に悪意が行き過ぎたものだ。殺害を企てているのならもっと自身に罪が被らないようにするだろうし、あのように手ずから入れた茶を勧めたりしないだろう。
 キヨツグやマサキが額を押さえたりため息をついたりするのは、それが分かってのことだった。彼ら個人としては処罰したいだろうが、彼らは為政者だ。だから、キヨツグとマサキ、そしてユイコ個人に、言った。
「ありがとうございました。助けてくれて」
「当然だろ! お礼はここに口付けて……」
 マサキは次の瞬間はっとして部屋を飛び出した。素早く立ち上がったのはユイコである。
「マサキ様ったら、何故逃げられるのでしょう。……逃がしはしませんことよ!」
 ほほほと可憐な笑い声を上げた彼女は、そうしてキヨツグとアマーリエに丁寧に礼をするものの、一転して裾を激しく捌いて追いかけていく。そういえば、彼女はマサキに対して好意を抱いていたなと思い出して、恋敵になってしまうことに気付きいたたまれない気分になった。それでも礼を尽くしてくれるのだからユイコは人間としてできている。
「……エリカ」
 名を呼ばれて顔を向ける。
「……出来れば、自分を犠牲にせぬ方法を取れ。……また肝を冷やした」
 顔を覆って疲れたように言われた。もう懲り懲りだと言わんばかりに、顔色がいつもより白いように見える。
「あ……」
 アマーリエは肩を落とす。心配を、かけてしまったのだ。せっかく一人でやろうとしたのに失敗してしまった。キヨツグはやがて手を伸ばして頭を撫でてくれたが、大丈夫だと言われた気がすると、やっぱり少しだけ悲しみがあった。きちんと役目を果たしたいのに、うまく出来ないのだと思うと。
「すみません……」
「……悪いと思うなら、来い」
 身を屈めて両手を広げられ、アマーリエは泣きそうになる。
「……よく逃げなかったな」
 子どもに言うように言われて、緩く瞬きをする。そういえば、本当にそうだ。よく逃げなかったものだった。周囲が行かなくていいと引き止めようとしていたのに、行くと言ったのは自分だった。本当の、悪意の固まりを飲み干そうとしても、大丈夫だと何のためらいもなく思った。
 なんとかなる、自分でなんとかできると考えたからかもしれない。
「……ほら、来なさい」
 そうして抱きしめてもらいながら、もっと強くなろうと未来を思い描いた。この人の隣に立つ未来を手に入れよう。心配ばかりかけるけれど、他に方法を知らないのだった。

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