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 マサキとの別れの日は、春の陽気が感じられる晴れた日だった。花は次々と咲いて、風は遠くから吹き渡る。彼が引き連れてきていたリィ家の武士たちは、シズカの手勢と合わせて膨れ上がり、統率が大変だと出発前からマサキは愚痴をこぼしていた。
 宮殿で見送ったのは長老たちで、アマーリエは真として、またマサキの友人として、天たるキヨツグと共に愛馬の落花に騎乗して草原まで出て見送った。
「気をつけて」
「何かあったらすぐ呼べよ。いつでも駆けつける」
 言いながら彼はリィ家の当主で領主である。どのくらいの距離で時間がかかるのか、アマーリエには実感がないが、簡単にはやって来れないことは分かっていた。ただ、こうして味方ができたことは心強く、嬉しいことだった。
「私の方こそありがとう。あなたがしてくれたこと、忘れないから。懲りなかったらまた、会いにきてくれる?」
「トーゼン。来んなつっても行ってやる」
 そうしてマサキはキヨツグに顔を向ける。それは機嫌を窺うものではない。
「お騒がせしました、族長殿。きちんと言えなかったことを、ここで申し上げても?」
 頷いたキヨツグに対して、マサキは表情を改めると、後ろのリィ家の臣下たちを振り返る。ざと音を立てるように武具や背筋を正して一斉に人々が礼をする。顔を戻したマサキは、アマーリエを見、再びキヨツグを見て背筋を伸ばし、言った。
「この度のご成婚に言祝ぎ申し上げる。我が従兄上でありリリス族長キヨツグ様、そして、ヒト族のアマーリエ・エリカ様に、太陽の祝福と変わらぬ天空の光あらんことを」
 アマーリエは目を見張る。
 マサキの、はっきりとした意思だった。
「言祝ぐそなたにも、草原の風が吹くように」
 まるで言葉が連れてきたようにその時風が吹いた。キヨツグの目が向けられ、はっとしてアマーリエも居住まいを正す。
「あなたの幸福をお祈り致します。……ありがとう」
 彼の求める答えを必死になって返しながら、最後に付け加えたのは彼に対する感謝だった。好きだと言ってくれたけれど、違う男性と共にいることを、周囲の人々とともに祝福の言葉をくれたマサキへの。
 マサキはまた表情を変えて、いつものようににかりと笑い、馬首を彼方へ向けると、出発の号令を発した。人々のただ中にある馬車にはシズカが乗っている。これからのことに恨み言を言っているのか、それともこれからキヨツグの怒りを恐れて回るのかは分からなかったが、アマーリエには分かったことがある。
 リリスは、優しいばかりではないこと。人間と同じように、敵意や悪意が存在すること。
 それは、本当に生きているものの証だ。どんなことも表と裏がある。喜びもあれば、痛みも。
 キヨツグを見る。この人に、妻が傷付くことを避けさせるような、弱い人間のままではいないでおこう。約束の環は心に調和を描こうとする。だから、強くなろう、側にいられるように。



「安堵されましたでしょう。恋敵が戻られて」
 ユメがキヨツグの側に馬を寄せる。からかいの色があるのを、無視しつつ答えた。
「冷や冷やさせられはしたが、リィ家の守護を得たことは幸運だ」
 シェン家に次ぐ家系がリィ家だ。そのリィ家の当主は、シズカが何と言おうともマサキである。しかし、前族長の妹としてのシズカはかつての権威があって人を集めやすい。マサキに戻るよう命じたのは、群がってくる輩に注意するようにという目付の役目を与えるためだった。例え、シズカに反旗を翻す考えがなくとも、その周りがどうかは分からない。
 そのために起こった族長就任に際しての跡目争いを、キヨツグは忘れたことがない。もう終わったことで、今では誰もが自分を認めるところとしても、異質なものは認めないとするのが人種の心だった。
 しかしリィ家のマサキはアマーリエを認めた。マサキがアマーリエに思いを寄せるかぎり、リィ家はシェン家を重んじる。そして周囲もまたそうせねばならないのだ。マサキにもう一つ、仕事を命じたのは余計だったかもしれない。書き写させたアマーリエの教科書類に、彼は目を輝かせていたが。
 こうなると、各領主にアマーリエを引き合わせることを考えるべきだろう。長老から話は聞いているだろうが、実際に確かめることもさせるべきだ。一度招集をかけて宴席を設けてみるのも良いかもしれない。
「流石に余裕でございますな。知りませぬぞ、横から攫われても」
 考え込んでいるのをユメはからかった。「お前ではあるまいし」とキヨツグは言い返せば、にっこりとユメは笑顔を浮かべた。
「わたくしは夫を自分で選んだまで。それに相手の方に魅力がなかったからでございますよ」
 キヨツグは手厳しいと肩をすくめた。
「飽きられぬようにしよう。――エリカ!」
 向こうまでマサキを見送っていた妻を呼ぶ。アマーリエは髪を押さえながら、振り返って笑った。キヨツグの懐には修理に出していた時計が収まっている。これを渡せばその笑顔は一層華やかになることだろう。素直な愛おしいその表情に、秘密を抱えたままの胸は少しだけ疼いた。

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