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 キヨツグはアマーリエの発言をさらりと流した。少し内輪で話をしたいと何もなかったかのよう言えば、返答も聞かずにさっさと退出してしまった。アマーリエもその場に残っているのは不自然だと思ったため、慌てて後を追いかける。呼び止められる度胸を持った者はいない。ここはリリスの土地である。
 キヨツグは出たすぐのところでアマーリエを待っており、こちらが思わず足を止める前に再び歩き出した。
 人気のない離宮はしかし手入れがされているらしく庭木の花が鮮やかだ。甘く爽やかな香りは林檎のような気がする。白い花弁がそよりと揺れて、緑は次第に濃くなっていく。
「……大胆なことをしたものだ」
 花を眺めるように目を細めていたキヨツグはそう言った。咎められるよりもずっと堪えて項垂れる。
「……すみません」
 でも、と顔を上げた。
「せっかくリリスにいるヒト族なんですから、十分に利用してやろうと思ったんです。私が喋ることになれば、台本にはリリスの意思が反映されないと前に進みませんし、会見もできません」
「……そう、あの男に決定権はない」
 同意見だった。しかし何故発言力の低いモーガンが送られてきたのかは疑問である。リリスを表に出すことに、都市の目的があるのだろうか。モーガンは詳しいことを知らない気配がする。しかし、もし都市が愚鈍な使者を寄越してリリスを後手に回そうとしているのなら効果的である気がした。
 もう少し自分が都市と強固に結ばれているのなら探ることも出来るのだがと、アマーリエは嘆きたくなる。
「携帯電話のこと、もうちょっと黙っておけばよかったかもしれません。勝手に解約されてしまうかも……」
 その時心底から溢れたような深い息がキヨツグから吐き出された。少しばかり困惑したものと、何らかの感情を込められたそれに、どうしたのかと尋ねた。
「……お前の本性が少し怖い」
 答えはわずかな微笑を持って告げられた。
「……自身の保身のために、友人に政略結婚を知らせたのだな。都市での己の価値を得るために。報道によって人々の知るところになれば、揉み消しは難しい。今回のことはそれを利用したわけだ」
 アマーリエは唇を噛み締めて俯いた。
「……すみません。……汚いですね」
 あの時は手段を厭わない気持ちがあった。悲しくて苦しくて辛くて、あらゆるものに縋り付くくらい心細かった。居場所がなければ、どんなことをしても手に入れようとする、凶暴な希求。例え無意識に選択した手段でも、どんな汚さもこの人は見抜いてしまう。
 好きになることは明かすこと。隠し事をなるべく作らないようにすること。相手をよく見ていること。
 この今は、それが辛い。
 キヨツグが肩を引き寄せた。不意だったのでととっとよろめいたが、しかしそっと頭をもたれる。
「……人の心に純粋に美しいものがあったとしたら、このような世界にはなっておらぬ。それでもお前の居場所はこの世界の、ここに、ある。忘れるな」
 肩を抱く手に力がこもる。手を添えると、薬指の指環に触れた。固い感触。絆の強さの証を指先から伝い、心にそっと染み込ませる。
「……ただ、驕るな」
 静かな声がさっと呟き、アマーリエがはっとした瞬間にキヨツグの手はぽんと叩いた肩から離れた。
「……政治は私の役目だ。必要な時には手を借りる」
「じゃあ、どうするんですか?」
 キヨツグの頭上に木漏れ日が注いでいた。緑は盛り、太陽も眩しい。草原の自然は影すらも優しく陰りがない。
「……都市へ行く」
 キヨツグの声ははっきりとしていた。
「……同盟を結んだのなら代表者が顔を出しても良かろう。族長が掟を破ることは避けたいが、逆に族長であるから許されるという部分もある。リリスにヒト族への敵対心がないという示しもなろう。お前を切り捨て同盟を破棄すれば、非難が集中するよう仕向けてやろう」
 リリスが、ヒト族の都市に行く。考えすぎて目を回しそうだった。どういう騒ぎになるかなんてあまりの大きさに想像がつかない。リリスを乱したくはないという思いが、このような形になるなんて。
「も……モルグには、敵対の意思があるんですか?」
「……モルグには元々領域侵犯されている。反撃しても異論は言わせぬ。お前と結婚した時点で敵対の意思を示したに等しいだろう。今更というところだ」
 なんだかずれたことを訊いてしまった気がするが、これといった的確な疑問が言葉にならない。本当に良いんですかとか、怒ってませんかとか、私はどうしたらいいんですかなんて、訊いても仕方のないことだろう。訊けば軽蔑される。子どもだからと言える年齢ではない。片手で顔を押さえたが、何を言うべきか分からない。
「すみません……私……」
「……良い。元々この話はあった。……それとも都市の人間は懐かしかったか?」
「……? 懐かしいことは確かですけれど……他人ですから」
 疑問符を浮かべつつ答えると、キヨツグは明らかに笑って、頭を撫でていくとすれ違って去っていった。重臣たちと話し合いにいくのだろう、先程から距離を置いて待機していた官吏を連れていく。
 懐かしいか、と問われた意味を考えた。会話を反芻し直して、これかと思う答えがいくつか出た。
(……また家出するのを心配しているのかな……それとも)
 都市の意のままに動かそうとしていることを、アマーリエが悲しむかもしれないと心配しているか、だと思った。
 聞き流してしまったが、キヨツグは仕向けるという言葉を使った。それをするのはアマーリエのためだろう。あの人は、あちらにも居場所を作ろうとしてくれる。誰に政治と言われても、アマーリエはそう考えるだろう。
「心配かけたくないのにな……」
 話題の逸らし方も、アマーリエを気遣うものだ。すぐに行ってしまったのは、きっと、自分が側にいると傷付くと、察知したのだ。
 責任の取り方を教えてほしいと思った。気遣いは、思いやりだけれど傷にも繋がってしまいそうだった。守られて、守られて守られて、何も出来ないのかと思うと、たまらない。
 もう怖いものなんて何もないような気がして、何でもできそうな気がして行動してしまったけれど、きっとあの人には、自分は小賢しいに過ぎないのだろう。都市の使者と対面したときの澱みない喋り方に、彼のもう一つの面を見た。切っても切れない片側は、これまで知らなかったあの人の要素だ。
 それにふさわしくあらねばならないのに。
 隣に立つには、側にいるためには、もっと知らなければならないけれど、『人』を知ることに必要なものがある。
 己の心という、等価だ。


 部屋に戻ると、人の言い合う声を聞いた。
「いいじゃないの。私は彼女の親類なのよ」
「申し訳ございません。こちらから先はお通しできません」
「だから呼んでくれればいいんじゃないの。私はね、アマーリエの都市での、」
 気の強く少し低い女性の声が名を呼んだ瞬間、アマーリエは裾をからげて走り込んでいた。
「真様、いけません!」
 攻防していたのはアイだった。ぎょっとしたように制止するが、その前に言い合っていた女性が振り返る。一糸乱れずに結い上げられた金髪が一瞬輝き、青い瞳が、まんまるに開かれた。
「……イリア!?」
 青い目は確かにアマーリエを認めて喜びに輝いた。
「ハイ、アマーリエ!」
 それでも飛びついてきたりしないのは、彼女が大人である証拠だ。淡々としていて、冷静で、行動力のある、愛すべき、従姉、イリア・イクセン。
「本当にイリア?」
「あらひどい言い草。まあ仕方ないわね、久しぶりだもの。聞いてぶったまげたわよ、政略結婚だなんて!」
 ぶったまげた、なんて言葉は久しく聞いていなかったために、若干おののく。
「ど……どうしたの、一体。なんでリリスに? 異種族交流課にいるの?」
「そう。おじさまのコネじゃないわ。実力よ」
 イリアは片目をつぶってみせる。自信に溢れながらそれを笑ってみせる従姉に、アマーリエは都市での記憶を思い出した。家族で集ってはアマーリエを引っ張っていったイリア。何でも出来るくせに決して自分から出来たとは口にしない、褒められようともしなかった従姉。
「まだ、最年少議員を目指してるの?」
「もちろん。そのために頑張ってるの。これでも人脈あるのよ」
 そしてイリアはにっこり笑ってアマーリエの手を取る。視界の隅でアイが目を吊り上げたのが見えた。
「ねえ、話聞かせて。さっきのあなたの喋り方、すっごく堂に入ってたわ」

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