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「――……っごかったなあ! なんだあれ。なんだあれ!?」
「いやー……俺たちが相手とかおこがましかったわー……長も言ってくれればいいのにー……」
「……っす……俺、自信無くしそうっす……」
 戦った三人が興奮したり落ち込んだりして転がっている一方、いつの間にか集まっていた観戦者たちがキヨツグに群がっている。
「すごかったです! 天様がお強いって本当だったんですね! 俺、俺、感動しました!」
「稽古つけてください! お願いします!」
「ただ振ってくれるだけでいいんです、見て覚えます」
 キヨツグと戦っていたヨシヒトは、そこにいない。彼が去った方向を見ていたアマーリエは、キヨツグを気にしつつ、ヨシヒトの後を追った。
 本当なら、妻として、キヨツグを労うべきなのだろう。そうすれば、きっと喜んでくれる。愛おしさを伝えてくれる。
 そうわかっていても、敗北したヨシヒトの晴れ晴れとした表情が、気になって仕方がなかった。
 試合そのものは、壮絶、と表現するに値するものだったと思う。素人同然のアマーリエでも、それまでとは比べものにならないくらい洗練されていると感じた。キヨツグは間違いなくヨシヒトを一撃で倒そうとし、これまでと同じようにまったく手加減しなかったはずだ。なのに、ヨシヒトは一撃目を受け、二撃目を躱し、続く攻撃を許さず、自らも一打ちを繰り出したのだ。
 そこからは、ほとんど目で追えていない。速すぎて、理解が追いつかなかった。そのようにして試合の最長時間は更新され続け、いつの間にか観客が増え、息をもつかせぬ打ち合いがいつ止むか、止むときは来るのかと全員が固唾を飲んで見守っていた。
 キヨツグは無表情だが、跳び、躱し、翻弄し、相手を狙うために全神経を集中させている。研ぎ澄まされた刃、という表現では無骨だろう。もっと澄んでいて、なのに妖しいほどに美しい。
 ヨシヒトも表情を失っているが、時折苦しげに眉を寄せたり、鋭く息を吐き出したりと、戦闘意欲を剥き出しにしていた。額から汗が流れ落ちる姿は、多くの女性を魅了する精悍さに満ちている。
 どのくらいの時間が経ったのか。――終わりは唐突にやってきた。
 高いのか低いのかわからない剣戟が一つ、高らかに響いた。後から聞けばそれは、同等の力で打ち合ったときに聞こえる不思議な音なのだという。倍音に近いものなのだろう、頭の奥でいつまでも鳴り続ける、福音のような。
 その瞬間、二人は同時に反動を受けた。
 そしてコンマ一秒の差で、キヨツグの蹴りがヨシヒトの腰に入った。
 受け止めようと、身体を捻り、腕を出したものの間に合わず、ヨシヒトは吹っ飛んだ。受け身をとったが、起き上がれず、膝をついて荒い呼吸を繰り返し、一言、「負けた」と告げた――泣きそうな笑顔で、キヨツグを眩しげに見上げて。
 そうして退散したヨシヒトは、先ほど戦った場所とは正反対に位置する、天幕地から離れた草原に佇んでいた。
(……泣いて……?)
 冬空を仰ぐ姿が、涙を流しているように思えて、追ってきたにも関わらずアマーリエは近付くのを躊躇った。
 だが、杞憂だった。気配を感じて振り向いたヨシヒトは、きょとんとした顔でびくつくアマーリエを見やり、くすっ、と優しく吹き出した。雰囲気が柔らかくなったのをきっかけに、アマーリエはゆっくりと彼の隣に立つ。
「みっともないところをお見せしました」
「いいえ。とても素晴らしい試合でした」
 お世辞抜きに、しみじみと言うと、ちゃんと伝わった。
 照れくさそうに顔を緩めてくれたヨシヒトは、「キヨツグはね」と誰に聞かせるでもなく呟いた。
「がきの頃から、飛び抜けて出来がよかったんですよ。立ち居振る舞いも、人生何周目? って感じで。俺はそれが気に食わなくて、色々振り回しました。みんなで森に行くから一緒に来いとか、遠駆けに付き合えとか。返事は『わかった』か『断る』のどっちかで、断られたときにはまた腹が立った。こいつ、俺が気を使って誘ってやってるのに、単独行動するのかって。集団でいるとき、別行動を取るやつって、雰囲気を壊すって嫌われるでしょ。キヨツグはそれが怖くない子どもで、俺たちみたいに弾かれたら生きていけないなんて思ったことがなかった」
 構わなくていい、と仲間たちは言ったそうだ。その気になったら来るだろうから放っておけと言われ、確かにその通りだと思った。しかし、放っておけなかったのだと、ヨシヒトは苦笑した。
「あなたならわかるんじゃないかな……――他人がどうでもいい人間って、自分のことも興味ないんです。つまり、生きる喜びを知らない、生きることへの執着がないってことでしょう」
 それって、すごく悲しいじゃないですか。
 ヨシヒトの呟きが、アマーリエを追想へ誘う。見たこともない、幼いキヨツグ――何を考えているかわからないと言われ、それを何とも思わない少年の彼。永く続く命数に、川の流れを見るように、時の向こう側へ去るものたちを淡々を見送るのがさだめだと知っている。特別なものなどなかった、アマーリエの知らない、キヨツグ。
「それが……」
 ふっ、と、ヨシヒトはかすかに笑い、やがて、くつくつと大きく笑い出した。
「あのキヨツグが『絶対勝つ』って気迫で来るんだもんなあ! 可愛い奥さんの前で絶対負けられないからな。俺が予想以上に強くなってたから必死も必死。ははん、ざまあみろ!」
 天空に、笑い声が消えていく。それを見送るヨシヒトは晴れ晴れとしていて、アマーリエはそっと微笑んだ。この人がいたから、キヨツグに出会えた。そんな気がして。
「……キヨツグ様は、ヨシヒト殿のことを大事に思っています」
「そうですか?」
「はい。だって私、ものすごく嫉妬しましたから。今日お会いするまでに、キヨツグ様がヨシヒト殿のことを話してくれたんです。私がこれまで見たことがなかった、懐かしそうで、嬉しそうな、素敵な表情で」
 ヨシヒトは大きく見開いた目を瞬かせている。
 キヨツグを構い過ぎたせいか、彼は少々鈍感になってしまったようだ。キヨツグが自分をそれほど重く捉えていないと思い込んだままでいる。
 アマーリエはくすりと笑った。嫉妬を抱かせた相手を驚かせることができて、ちょっとすっきりした。
 キヨツグにヨシヒトのような人がいてよかったと思う一方、アマーリエが決して所有できないキヨツグの過去を知っている彼は、大人のふりをして、いい子のように振舞っていても、やっぱりどうしても、憎たらしいし、ずるいと思ってしまう。キヨツグが好きで、愛していて、私のものだと思うからこそ、こうして黒い感情も抱く。そのことに、少しずつ向き合えるようになってきた。
 アマーリエが笑っているので、ヨシヒトはどこか気まずそうに、苦笑いを浮かべた。
「……それじゃあ、一通り遊んだし、そろそろ仕事の話をしようかな。キヨツグは……」

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