―― 初 恋 は 遠 き に あ り て
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 ずいぶん、綺麗になった。
 たった数日、会えなかっただけなのに、蕾だった彼女は咲き初めの花のごとく、美しい女性へと変化を遂げていた。一目見た途端賛辞を送りそうになったが、相手はまごうことなき人妻。マサキのそれは、懸想していると糾弾されかねない。というより、実際それに近いことが起こってちょっと危なかった。
(ホントに人妻になっちゃったんだなあ……)
 下世話な、と眉をひそめられそうなことを考えて、マサキは大の字に転がった。
 広げた手の先には、集めてきたお気に入りの機械たち。これを手にして、懐かしい、と微笑んだ少女は、きっと半年もすればすっかり消えてしまうのだろう。他人のものならば、それも地位のある人間の傍らに立つのなら、なおさらだ。
 でも思い出されるのは、すぐに恥ずかしがり、ぷるぷると震える、子猫のような彼女だ。とてつもなく可愛らしい、マサキと同じ視線に立ってくれる女の子。
(アマーリエ)
 さらっていくのは、容易い。反乱を覚悟すれば。
 けれど、その決断に至るには、自分が優しすぎることをマサキは知っていた。一族の長としての責任もある。家臣と領民を従えた身では、アマーリエを有無を言わさず連れていくなど、とてもできなかった。あのときは、アマーリエはまだ誰のものでもなく、涙を流す姿に「逃げたい」という意思を感じ、それを叶えようとしたからだ。アマーリエも、拒絶しなかった。
 二人の逃避行は、しかし、失敗に終わった。アマーリエを言い訳にしただけで、本当は、マサキ自身が彼女と一緒にどこかへ行ってしまいたかっただけなのかもしれないとも思う。
 長として生きるには、自分はまだ若く、優秀な族長とどうしても比べずにはいられなかった。臣下たちは派閥を作り、特に実母シズカにつく者たちを押さえるのは毎度苦労させられる。そして実母にも関わらず、シズカはマサキを言いなりにしようとし、マサキは、彼女を消し去りたいほど嫌っている。そんな息苦しいところで、これから何十年、ともすれば百年以上生きていくのかと思うと、どうにかなってしまいそうなときがあった。
 機械の類に入れ込んだのは、それらが誰にも理解されず、自分だけの世界に没頭できるからだということは、しばらくして気付いた。
 けれどアマーリエが現れて、本当は、一緒に楽しみたいと、孤独を感じていたこともわかった。
 そうして、結局あんな騒ぎを起こしたマサキは、現在軟禁状態で沙汰を待ちながら、自己嫌悪の真っ最中なのだった。
(従兄上があんなに怒鳴ったの、初めて見た)
 痛てて、と寝返りを打った途端に走った痛みに顔をしかめる。逃げるときに、アマーリエを庇ってぶつけたのだ。でもいっそ、殴られてしまった方がよかった。マサキは、従兄が嫌いではない。直接の血の繋がりはないが、彼が非常に有能で、リリスに仇なす者でない限り非常に寛容なのは、機械の類が取り上げられないことから明らかだ。
 ただ、あのときは違った。激情と、静かな怒りと悲しみが、夜を裂く稲妻のように降ってきた。
 だから、多分、マサキに勝ち目はなかったのだ。
 再び寝返りを打ち、思い浮かべるのは、繰り返しのようにアマーリエのことばかりだった。馬上で、誰にも憚らずに彼女を抱きかかえた感触。小さくて、柔らかくて、薬草と花の甘い香りがしていた。リリスにはない、薄墨のような髪の艶やかさ、鉱石の欠片のような爪、震える指先の冷たさ。縋りたいと思いながら葛藤する、揺れる瞳。愛おしく、決して自分のものにはならない、アマーリエという少女のすべて。
(たとえ俺のものにならなくても。俺は、アマーリエが好きだ)
 あのとき触れられて、よかった。でなければ、この想いに区切りをつけることができなかった。
 弾みをつけて、起き上がる。
 夫婦になり、家族となり、愛し合うだけが愛情ではない。
 マサキはマサキの方法で、アマーリエに愛を示す。そうすれば、いつか、万にひとつ運がよければ、彼女とともに生きられる道になるかもしれない。
 我ながら、気の長いことだ。
「……さぁて。それじゃ、いっちょやりマスか」
 ぐるぐると腕を回し、組み合わせた指を鳴らして、気合いを入れる。
 族長直々に打診されていたそれを、取引材料として思い浮かべながら、マサキは侍従を呼び、謁見の依頼を伝えた。

 このことがきっかけで、マサキは誰よりも先んじて都市に潜入し、以前から潜伏していた複数の同胞と接触しながら、ヒト族の文明の最たる機械や電気、ネットワークについて学ぶこととなった。そして、その技術が、一時的にアマーリエを助けるものにもなった。
 現在、リリスではヒト族の短期滞在を認めるべく動いている。都市もまた、リリス族とモルグ族の限定的な入市を可能とするよう調整中だ。マサキが身に付けた技術は、いずれリリスの若い世代も学ぶことになるだろう。マサキ自身が、リリス族であると自己紹介する日も、きっと遠くはない。
 それでも、油断は禁物だ。マサキの活動拠点はほぼ第二都市だが、必要に応じて、リリスに戻り、報告を行っている。そのときに必要な物資を持ち込んだり、向こうに運び入れるという作業がある。
 リリス族の特徴である縦長の虹彩を隠すため、常時着用しているコンタクトレンズを外し、服装をリリスの民族衣装に改める。さすがにあちらの服装でうろつくのは目立ちすぎるのだ。時刻は夜半。ほとんどの官が終業しているので、指示された通りの道を行けば、こちらを知っている者に出くわすこともない。
 指定された部屋には先客がいた。灯明が作り出す影が、陰鬱な顔をさらに陰気にしている。
「あれっ、なんでこんなトコにいるの、カリヤ長老」
「仕事だからです」
 何か? とでも続けそうなくらい、嫌な顔をして言われたが、マサキは気にしない。このイン家の長老が気難しい人柄なのは、幼少期から知っている。
「へー、秘書官になったってホントだったんだ。意外だなあ。とりあえず、出世おめでとー」
 カリヤは軽々とそれを無視して、扉を叩き、奥へとマサキを先導した。そして、その奥まった部屋の扉に向けて、声をかけた。
「天様。お越しになりました」
「入れ」
 カリヤがマサキを促す。どうやら彼の役目は、ここで見張りをすることのようだ。どうも、と彼に会釈をして、マサキは部屋の中に滑り込んだ。
 ほの明るい部屋に、夜の化身のような男が座っている。手には書類があり、待ち時間にも政務を行う勤勉ぶりに、呆れそうになる。趣味らしい趣味といえば武術の稽古と乗馬、そして仕事という人ではあったので、らしいと言えばらしい。
「息災で何より」
「従兄上も。ご無沙汰しております」
 昔のことを思い出していたら先に言葉をかけられてしまい、素早く拱手する。キヨツグは仕事を置き、マサキに任務の報告を求めた。都市の情勢は、リリスにはなかなか届きにくい。
 都市政の動き、ネットワーク上における市民の意識や言動について、報道の状況、大きな事件など、報告をするうち定まったものを、まず、告げる。そして、今回マサキが戻った本題に入った。
「今回、ご指定されたものを持ってきました。こちらを、どうぞ」
 布に包んだ、艶やかな黒い板。ヒト族が「携帯端末」と呼ぶ、通信のための機械だ。マサキはこれをキヨツグに渡すためにリリスに戻ってきたのだった。
 機械を禁じているリリスだが、ヒト族の通信網は、この広い草原では渇望に等しいほど求められている。端末さえあれば、遠方であってもすぐさま連絡を取ることができ、緊急事態にすぐさま対応できるようになるだろう。
 なお、ネットワークに繋がる端末は、キヨツグを始め限られた人間が使用できるようにする予定だ。ここにはアマーリエがいるので、頼めば快く教えてくれるはずだった。
(アマーリエ、アドレス教えてくんねーかなー)
 携帯端末を当たり前に使うようになったので、連絡先さえ手に入れてしまえば簡単に彼女と連絡が取れる。その気になればいささか面倒な手段で時間をかければ知ることができるが、あまりにも危険が大きすぎた。リリス族が潜伏していると都市側が気付いていないわけがないはずだが、目立つ行動は避けるべきだ。実際、アマーリエの携帯端末に届く情報は、都市側が把握していると聞いている。
「こちらの仕様書に使い方の説明があります。操作に慣れていただくために、通信回線は切ったままにしていますので、通話やネットワーク接続はまだできません。接続は、ある程度触れるようになってから、こちらの専用回線が整い次第、ということで」
 キヨツグの知人だという協力者の伝手で、現在、偽装工作を施した回線を準備している。ちらっと聞いたところによると、市職員も複数人、噛んでいるらしい。市職員にアマーリエの身内がいるそうなので、その辺りか。
 ともかく、無事に任務を終え、漆黒の携帯端末はキヨツグの手に渡った。色男が手にすると、ただの電子機器が非常に艶かしい。ネットワークでの定型文で表現するなら「生まれ変わったら彼の携帯端末になりたい」「指先でぽちぽちされるためにはどれだけ得を積めばいい?」だろうか。端末に触れる手が、マサキがいまも恋する女性を日常的に撫で回しているのだと思うと、やっぱりいまでも悔しいし腹が立つ。
「どうした」
 んで気付くんだよなあ、そういう気配を。
 苛立ちを押し隠して、マサキは「いいえ、なんでも」と首を振った。
「リリスは変わりありませんか? そういえば、そろそろ御子様のお披露目の時期ですね」
 アマーリエとキヨツグの息子、コウセツの満一歳のお披露目に、マサキは祝辞だけ送る予定だ。あの二人の子どもだからさぞかし可愛かろう。一目会いたいところだが、いまそれを要求するのは越権行為だし、そろそろ一年とはいえ、顔を合わせてアマーリエを動揺させたくない。マサキは、昔もいまも、彼女にとって都市を想起させるものだろうから。
 こういう気遣いのせいで結婚できねーんだわ、という自嘲は、冗談と本音が半々だ。
「活発でよく笑う子ゆえ、『毎日ご機嫌だ』と真は表する。顔立ちは私に似ていると皆が言うが、少なくとも性格は似ておらぬようで、安心している」
「可愛いですか」
「可愛い。あのように愛くるしい生き物がいるのかと毎日思っている」
 真面目かつ淡々と言われ、ちょっと仰け反りそうになったマサキだ。
 そのとき、キヨツグの手の中で、キシャッ、と電子音が響いた。適当に触っているうちに、端末内の機能の一つであるカメラを呼び出し、シャッターを切ったようだ。
「あ、それは、」
「写真だな。なるほど、このようにするのか」
 端末をかざし、指で触れると、再びシャッター音が鳴り響いた。
「ええ、もう使いこなしてるじゃないですか! 俺の立つ瀬ないですよ」
「これだけはな。コウセツの姿を収めるために必要ゆえ」
 マサキは目を瞬かせた。
(えー……と……そういえば……端末を選ぶとき、必須機能に撮影があったな……?)
 なんということだろう、この族長、政務に必要な端末を息子の写真を撮るために使うつもりだ。
 公私混同も甚だしい。諌めるべきか迷っていると、従兄の目がマサキを捉えた。
「写真は要るか」
「ください」
 食い気味に返事をした。アマーリエの子どもの写真なんて、欲しいに決まっている。なんなら母子二人で写っているものが欲しい。
 きりりと表情を改め、マサキは、都市に戻り次第、ネットワークの整備を進めると宣言した。写真をやり取りするためには、ネットワークを利用するのがもっとも手っ取り早い。絶対に早く終わらせて写真を手に入れてやる。
 今後の予定をいくつかやり取りし、報告を果たして退室する。途端にほくほく顔になったマサキを迎えたのは、仏頂面のカリヤだ。こちらの機嫌が良いことを察しながら、敢えて触れず、黙って帰路を先導する。
 その道すがら、そういえばこの人も子どもがいるんだった、と思い出した。
「なあ、カリヤ殿。カリヤ殿の子どもって、いくつになったんだっけ?」
「なんですか、突然」
 嫌そうな顔をされたが、キヨツグへの報告の際に御子様の話になったのだと察したのだろう。ため息をついた。
「三歳です」
「三歳かあ。もう結構喋るの?」
「ええ。いささかお喋り過ぎるくらいです」
 言葉の割に、うんざりしているわけではないのは、これまでの態度と明らかに違うからだ。どちらかというと、そうしたわずらわしさも捉え方次第では面白い、とでも言いたげだった。にやにやしているマサキに気付いたカリヤは、途端に表情を険しいものに戻す。
「娘だっけ。可愛いんだろうなあ。御前に似たらいいな」
「ご期待通り、似ていますよ。成長しても似ているとは限りませんが。そして、こんなところで喋くっていると私の退勤時間が遅くなるので、さっさとご自分の仕事に戻ってもらえませんか。過重労働気味なので早く私を帰宅させてください」
「あー、ゴメンゴメン。家に帰って可愛い娘ちゃんと遊びたいよな、うんうん」
「残念なことに今月は寝顔しか見ていませんし、見れません」
 年末年始に向けて疾走する十二月、多忙の極みだ。さすがに可哀想になって、その話題は止めた。
「……ってか、カリヤ殿、よく秘書官を引き受けたよなあ。そんなに表情に出してて大丈夫か?」
 族長付きの秘書官は、これまで専属はいなかった。その役目を果たすのは侍従長、あるいは護衛を兼ねたオウギだったからだ。そのオウギが何者であったのかは、噂を繋ぎ合わせて大体は理解している。
 もともと、オウギは巫女家であるタカサ家の強い後押しがあり、幼少期からキヨツグの護衛につくよう決められていたそうだ。彼の素性を隠しつつ、後ろ盾となれるのがあの家だったのだろう。リオンが一時期、彼の過去を調べようとし、諦めたのもその辺りが絡んでいる。
 オウギは、常に影だった。公私ともに存在を消すようにしてキヨツグを守り、誰とも関わりを持たなかった。マサキがいま、彼の顔を思い出そうとどれだけ努力しても、脳裏には曖昧な影が揺らぐだけだ。そういう、痕跡を残さないようにする不思議な力が働いているのだろう。
 そんなオウギが去ったことで、新たに専属の秘書官に就任したカリヤは、彼とはまた別の意味で『影』だが、自己主張の強過ぎる影でもある。これは族長が目を通すに値しない、この内容は本当に詰めたとは思えない、報告事項に抜けが多過ぎる、と、仕事を選り分けているのだ。さらに、キヨツグとのやり取りも、周囲が聞いていてはらはらするような険しい言葉を投げつけることがあるという。情報源が、後々都市に出向する予定の、誠実と爽やかさの集大成と言われるハルイ・トン長老なので間違いない。
 その当事者は、というと、このように言った。
「天様が顔に出さない分、私が引き受けているようなものですので」
 マサキは、来たときとは異なる出口に向かって歩きながら、二人が執務室で仕事をさばいているところを想像する。
 キヨツグは無表情に、ときには威圧されるほどの問いを重ねるなどして、持ち込まれた案件を精査するだろう。そして取り次ぎや雑務を引き受けるカリヤは、見当違いの用向きや程度の低い要求に、冷たい言葉と軽蔑の目でもって応じる――これは、官たちにとってはなかなかの地獄なのではないか。
(頑張れ……)
 しかし、何もできないと瞬時に悟り、ただ、祈った。どうか、王宮の高官たちの勤労に多大なる報酬があらんことを。
 ほとんど使用されない小さな門まで来ると、やっと少し気が抜けた。うーん、と大きく伸びをする。
「はー、やれやれ。ここから都市まで走ると思うとちょっとウンザリするけど、早く帰らねえと。せっかく続いてたログボが切れちまう。あのゲーム、端末版がないんだよなあ。んー、ちょっとご意見するかー」
「…………」
 コンピューターに入っているネットワーク利用型のゲームに思いを馳せるマサキの独り言を、カリヤは「何言ってんだこいつ」と顔を歪めながら、それはそれは丁寧に無視をした。
「それじゃ、俺はこれで。案内ドーモ。可愛い奥さんと娘さんによろしく!」
「お気を付けて」
 あくまで事務的に見送られ、くつくつと笑いながらマサキは王宮を後にした。
 凍える風に吹き付けられると、都市の部屋の暖房が恋しくなる。それに、リリスの衣装は上質な織物と毛皮で仕立てられていて防寒性に優れているが、どうにも装飾的で、着るのは面倒だし、重いし、動きづらくてかなわない。値段など気にしたこともなかったが、都市の大量生産された衣類や靴製品の安いことといったら。まあ、これからは、その辺りにリリスの価値が見出されるのだろうけれど。
(このさきの未来……たとえば、アマーリエと従兄上の子どもとか、カリヤ殿と御前の子どもが大きくなったとき。俺みたいに、都市で暮らすリリスが、当たり前になるんだろうか?)
 ――このときぱっと思い浮かんだのは、マサキの物言いに「何言ってんだこいつ」と歪められた顔で。
 将来的に子どもたちが当たり前に都市の口語を用いたとき、年配者たちがどんな表情をするのかと思うと、いまから笑えてしまう。
(でも、もし、本当にそうなったとしたら)
 年かさのリリスは、伝統が壊れる、誇るべき歴史が汚されると眉をひそめるだろう。けれど、そのなかでも、ほんの一握り、「生きづらい」と思っているリリスが、新しい土地、異なる価値観で暮らす選択ができるなら、マサキたちが推し進めている変化は、きっと意味がある。
 ふっと笑みを吐き、マサキは、夜の草原に一歩を踏み出す。闇に包まれる空の向こう、都市にそびえる塔の光を目指して。



初出:20101023
加筆修正:20111217
改訂版:20210211


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