―― こ れ よ り も 大 き な 愛 は な い
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 真夏の交通網は、どこも空調が効きすぎているくらい効いている。自宅最寄りの停留所から、ターミナルに向かうバスに揺られながら、オリガは携帯端末を操作していた。手持ち無沙汰になった途端、携帯端末を手にネットワーク・コミュニティサービスを覗くのが癖になっている。
 友人たちの投稿の合間に、ニュース速報や広告が挟み込まれる。適当に流し読み、気になったニュース記事をいくつか読んだ。
(異種族交流に関する法案……明日市長会見……フラゥ病対策……)
 脳裏に浮かぶのは、不器用な同級生のことで。
 到着アナウンスが聞こえたので、オリガは端末をバッグに押し込んだ。
 待ち合わせのターミナルの時計台前で立っていたのは、案の定キャロルだった。待たされていることを特に気にした様子もなく、手の中の文庫本に目を落としている。
「キャロル」
「……あら、オリガ。おはよう」
 ちょっと待ってね、きりのいいところまで読んでしまうから、と言うのでしばらく待っていると、ぱたぱたと子どものような足音が聞こえてきた。
「お待たせ! ごめーん、お腹空いて途中で寄り道しちゃったー」
 コンビニの袋を下げて走ってきたリュナが来た時点で、待ち合わせを五分過ぎている。オリガは携帯端末を取り出し、素早くメールを打った。
『いまどこ』
 数十秒後、電話がかかってきた。
『……もしもし……ごめん、いま起きたぁ……』
「そうだろうと思ったわ。来る気があるなら支度して、ターミナルに着いたら連絡しなさい」
 端的に告げて通話を切る。
「ミリアは遅刻?」
「いま起きたって」
「じゃあどっか入ってようか? そろそろ混む時間だし、席取っといた方がいいかも」
 また何か食べるつもりね、と思いながらも、異論はなかった。
 夏の太陽から逃れて、オリガは、キャロルとリュナとともに、ターミナルの直結したショッピングモールの中にあるカフェに入り、それぞれ飲み物と軽食を注文した。
 カフェにはそこそこ人がいて、大抵がスーツや小綺麗な格好をした会社員だ。男性も女性も、多くが一人客で、携帯端末やノートパソコンで何かを見ている。
 そのうち飲み物が来たので、三人でグラスを掲げた。
「それじゃあ、前期試験が無事終わったということで。お疲れ様」
「お疲れ様」
「お疲れー」
 かちんとグラスを合わせ、口をつける。
 第二都市大学は、この度すべての学部で前期講義の日程を終了した。試験も終わり、後は単位が取得できているか確認するだけだ。もし不可だった場合、後期の履修登録に頭を悩ませることになるが、いまはひとまず忘れよう。試験前から、いやそれよりも前、前年度の後期終わりからずいぶん色々なことがあって、こうして大学以外の場所で集まるのは久しぶりだった。
 最近のドラマや映画、芸能のニュースを話したりなどして、それぞれにお腹も満たされたところで、ふと、不思議な間ができた。多分その瞬間、三人ともが『あの話』をすることを覚悟したのだろう。
「……私、前年度後期に落とした科目があって、次の後期に再履修の予定だったんだけれど」
 口火を切ったのは、キャロルだった。
「昨日、前年度後期の成績を訂正しますっていう手紙が来たわ。落とした科目、単位取得済みになっていた」
 グラスの中でからりと回る氷を見る目は、穏やかだ。周囲の他愛もないおしゃべりのざわめきが、ずっと遠くで聞こえ、からからという冷たい音がテーブルを支配していた。
「……私も」とリュナが言う。
「バイト代、ボーナスっていう名目で変な振り込みがあった。店長に『どういうことですか?』って聞いたら、聞くな、わからんって」
 互いに互いを伺い、ふー……っと長い息を吐いた。
 自分に起こった異変、理由は明らかだけれど誰にも言えないそれを明かせるのは、同じ出来事を経験したこの友人たち以外にはいない。――これはアマーリエに関わった人間だけに起こった不思議だ。
 アマーリエを逃がそう、と考え、実行できたところまでは、まあよかったのだろう。様々な偶然が重なり、段取りにしくじった結果、アマーリエが自らを危険にさらすことになるとは、誰も思わなかった。彼女が外に出た先で、救急搬送されたことをトート市職員から聞いて、病院に駆けつけて。そこから、これまでのことを絶対に口外しないという契約にサインをして。アマーリエを忘れろと命じられて、日常に戻らされた。
 数日は、怯えていた。アマーリエの無事がわからず、とんでもない罪を犯したのではないかと思ったし、万が一のときには市長の報復があるのではないかと怖かった。大学でも、キャロルたちとはなるべく接触しないようにしていた。良からぬ企みをしていると考えられて、目をつけられたくはなかったからだ。
 だがこの春、メディアで何度も報じられたように、ヒト族とリリス族とモルグ族の会談が成立し、恒久的な停戦の成立とともに、アマーリエはリリス族のもとに戻った。そうして、オリガたちには謎めいた出来事が起こるようになったのだった。
「よく言えば報酬、でもまあ十中八九口止め料ね」
 わざと明るく言うと、キャロルは大声をたしなめるように眉をひそめた。
「オリガは何があったの?」
「両親の泥沼離婚調停がやっと終わって、ろくでなしの父親と縁が切れたわ。とんでもない額の慰謝料も支払ってもらうみたいね」
 長々揉めていたそれは、明らかに父親側に何らかの介入があったとわかるくらい、あっさりと終わったのだ。借金や脅迫、暴力で悩まされてきたというのに、自由とはこういうものなのか、と空虚なほどの平和を味わっている。
 オリガたちにそれを与えたのが誰か、それはわからない。なるべくなら知らないようにすることが義務だろう。固辞すればどうなるかわからない。
「……今後もこういうことがあるのかしらね」
 キャロルが呟く。グラスの中の氷は、すっかり緩んで、音も立てなくなっていた。
 ないわけないだろう、とオリガも思うし、リュナも思っているはずだ。多分、一生監視付きの生活。本当の意味での自由な人生は失われたのかもしれない。それでも。
「後悔しないわよ、私は」
 オリガの言葉に、二人は目を向けた。
「私がやると決めてやった、その結果がこれなんだから。後悔なんてもので、私の人生をめちゃくちゃにしてたまるもんですか」
 そのプライドだけが、オリガのいまとこれからを支えてくれる。
 心の中では未だ怯えがくすぶっているけれど、自分がしたことの責任を取れないほど、甘えた子どもではない。そんなやわな決意で、都市という大きなものに歯向かったつもりもない。むしろ、多くの人が気付きもしない見えない敵に気付いたことに、意味を持ちたい。それは多分、何も考えない、何も知らない、ネットワーク上で自分勝手な言葉を撒き散らすその他大勢にはならない、という決意だ。
 くす、とキャロルが笑みをこぼした。
「強いわね、オリガは。私もそう思えたらいいんだけれど、これでよかったのかって、やっぱり考えちゃうわ。後悔したくないのは私もよ。それでも、無謀すぎたと思うの。成功しなかった分、余計にね……」
「うん。成功してたら、また違ったよね」
 肩を落とし、弱音をこぼすキャロルとリュナの姿は、オリガの別の側面でもある。
 薄暗くなっていたテーブルに、場違いに明るい着信音が鳴り響いたのはそのときだった。
 ついびくっとしてしまったが、画面に表示されるミリアの名前に、つい「空気読んだわね」と呟いてしまった。このままだとネガティブな方向に引きずられるところだったから、電話がかかってきてよかった。
 店の名前を告げた五分後、ミリアが現れた。遅刻したにも関わらず、メイクも髪型もしっかり決まっている。
「ごめんごめん、昨日飲み会で、寝るのが遅くってー。あーお腹すいた! 何食べよっかなー」
「あんたが食べ終わるまで待つなんてごめんだわ。混んできたし、店、変えるわよ」
 手にしたメニューを奪い取り、早く席を立てと追いやる。
 ミリアはぶうぶう言っていたが、リュナに次の店の候補を示されると、すぐそちらに夢中になった。ころっと興味が移り変わる様は子どもそのものだ。そして、自分の好きなことにはとてつもない行動力を発揮する。
「はい、はーい、お願いしまーす。……キャンセル分に滑り込めてまじラッキー。あたしって強運ー」
 オリガとキャロルが会計をしている間に、ミリアは目的の店に電話をかけたらしい。人気店の予約が取れたと嬉しそうだ。
 ご機嫌なミリアに道案内を任せ、後をついていく。
 ショッピングモールを出て、ターミナルに戻り、目的の店まで歩道橋を進む。人の波は絶えず、あちらこちらへと動き続けており、午後に入って一層数を増したようだった。
 それにしても、先ほどの深刻な雰囲気などまったく縁がなさそうなミリアの言動は、いささか癪に障った。彼女に何も起こっていないわけではないと思うけれど、以前と変わらない様子は、羨ましくて、少し妬ましい。
「ミリア、あんた試験はどうだったの?」
「んー? 多分大丈夫ー。多分ね」
 ただでさえ遅刻と欠席が重なってぎりぎりのはずだが、特に焦った様子がないのは、呆れを通り越して感心する。とは言っても、第二都市大学の文学部生は他の学部と違って、ミリアのように派手だったり、講義よりもサークルや飲み会の出席率が高い生徒が多いというので、ミリアだけの特質というわけではないかもしれない。
「あっ! 試験で思い出した! ねえねえ、ちょっと聞いてよ、すごいことがあったんだけど!」
「あんたの『すごい』は大抵すごくない」
「ひどっ! 本当にすごいんだもん! 試験終わりにさ、インターンシップの面接行ったんだよね。ほら、文学部って四年制だから、就活早い子はいまからやってんの。それで、あたしも申し込みしたんだけどー」
 ミリアが応募したのは、アパレル系の企業だった。主に女性向けのファッションを展開しており、先ほどのショッピングモールにも店舗が入っている、どちらかというと大きい方の会社だ。インターンは、本社での研修に加え、各店舗で販売員としての実務も行うという。
「面接行ったら、運良く受かったんだよね。それで昨日、インターン初日っていうか、挨拶回り? みたいな。そうしたら社長さんに呼び止められて」
 ――君、卒業したらうちに来なさい。内定書、出すから。
「ね、ね!? すっごくない!? あたしもう内定一社出たんだけど!!」
 興奮するミリアに対して、オリガたちは、なんだかもう何かを言う気が失せて、ただ項垂れていた。
(あんた、それは完全に、上から手が回ってたのよ……)
 気付いていないのが救いか。そう思ったのに、次の瞬間ミリアは見事それを打ち砕いた。
「アマーリエを助けたお礼にしては回りくどいよねー。っていうか、『ありがとう』だけでいいのにね」
「!?」
 三人の驚愕の表情に気付いたミリアは、けらけらと笑う。
「なぁに、その顔。おっかしー」
「ミリア、あんた……」
「このあたしが一回インターン参加しただけで内定だよ? そんなの何かあるに決まってるし、理由って言ったらアマーリエでしょ」
 オリガたちは顔を見合わせ、互いの戸惑いを確認した。
 何故そこまで気付いているのに明るく笑えるのか、さっぱりわからない。
「怖くないの、あんた」
「え? どうして?」
 きょとんとされる、その理由がこちらこそわからず、オリガは顔をしかめた。
「つまりあたしたちの一挙一動、向こうに把握されてるってことなのよ」
「うん、それはわかってるけど」
 オリガは舌打ちした。
「だったら……!」
「でも別に嫌なことされてるわけじゃないし。もし本当にあたしたちが邪魔なら、とっくに消されてたんじゃないかなあって思うんだけど、違う?」
 一瞬言葉を飲んでしまったオリガを言い負かす、わけではないだろうけれど、ミリアは心底不思議そうに、腕を組んで首を傾げながら独自の理論を口にする。
「怖がらせたいなら、怖い人を使って脅すとかすればいいじゃん? でもそうじゃなくて、いいことをしてくれるってことは、脅しじゃなくてお礼かお詫びのつもりなんだと思うんだよね。それならそれで、他にやりようがあると思うんだけど、偉い人が考えることってよくわかんないよねー」
「…………」
 なんというか。
 オリガが頭を抱えていると、ぷっと吹き出す声がした。
「ふ……ふふふ……! ミリアらしい」
「お礼か、お詫びかあ。そっかあ、そう考えることもできるんだね」
「キャロル、リュナ」
 二人は憑き物が落ちたような表情で、温かな笑い声を響かせている。それを見るオリガも、心を強張らせていたものが緩んでいくのを感じ、額を抑えながら、ふっと笑みが漏れた。
「……負けたわ」
「え? え? なになに、なんで笑われてるの、あたし。いまの話、笑うところあった?」
 そうじゃない、と首を振る。
 ミリアはいつも、とてつもなくマイペースで、わざと空気を読まなくて、わがままで自分勝手な子だけれど、時々、凄まじいくらいの真っ直ぐな感覚で、周囲の目を開かせるようなことを言う。それが彼女の才能なのだと、認めないわけにはいかなかった。
(それぞれの考え方があって、どれも正しくて。ミリアと同じように考えることはできないけれど、多分それでいいんだわ)
 私たちはみんな、揺れて、迷って、悩んでいく。オリガは明日キャロルのように思うかもしれないし、キャロルはオリガのように決意を口にするかもしれない。けれどいつか、と思う。いつか、思いを貫き、これでよかった、と言える日が来るように。後悔しない、と意地を張る。張り続けてやる。そう決めると、視界が晴れた。
「うわ、眩しー」
 通路の屋根が途切れ、太陽の光に強く照らされる。
 この夏の光を、アマーリエも見ているのだろうか、と思った。この春、また誰にも何も言わずに去っていった彼女は。
「ねーねー、お店まだ遠いの? あたしお腹減ってきちゃったー」
「さっき食べたんじゃないの?」
「みんな食欲がなくて、軽くしか食べてなかったものね。私も何か食べたくなってきたわ」
 リュナが言い、キャロルがお腹を押さえて笑う。こうしていると、ただの腹ぺこ女子大生だ。そうして笑えることを、いまは喜んでおこう。
「じゃあ次の店で仕切り直しましょうか。ランチメニューにはまだ間に合うでしょう」
 このさきどうなるか、わからないまでも、同じ経験をして違う考えを持つ友人たちがいるのなら、多分そう悪いものにはならない。きっと。

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