―― あ な た は ど う か 咲 い て い て
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 その夏、真夫人の宮は大変賑やかだった。各氏族の長の妻や妹、娘たちが「お見舞い」と称した贈り物で溢れかえり、品物を運び入れる者、適切な場所に運ぶ者、それを指示する女官、新たな贈り物や手紙を持って参上する文官や侍従といった、人の出入りも激しくなったのだ。
 真夫人アマーリエがリリスに戻って、数ヶ月。アマーリエがせっせと書き溜めた、力添えに対するお礼状が、ようやく全員に送付された頃、リリスは秋を迎えていた。
 雪雲かと思われる灰色の曇り日が訪れるようになった、その季節の半ばに、続々とその返事が届けられた。氏族の在所の距離から順に、お見舞いの品を添えて。
 女官のココは、荷を運び入れて、ふうと息をついた。
(毎日毎日荷物を上げ下ろししてばかり。これでは女官ではなくて運び人ね。まあ、真様が敬われている証なんだから、文句は言わないけれど)
 純粋に心配する者もいれば、媚を売って取り入ろうと考えている者もいるだろう。ただ、現状はそれほど不穏ではない、と思う。
 見舞いの品は大抵、薬草やお茶、干し肉などの滋養に良いものか、新生児のためのおしめや肌着だった。恐らく、妻女たちは各々密に連絡をとって、見舞いの品を統一しているのだと思われる。別のものを贈れば抜け駆け、裏切り者として炙り出される形だ。
 いまのところそれらしい動きはない。要注意、と目されているのが数名いる程度だった。
 その日一日の贈り物の差出人をまとめて報告すると、アマーリエは困ったような、申し訳なさそうな微笑みを浮かべていた。
「報告、ありがとう。ではその方々にお礼状を出すわね。みんなも、もし贈り主やそれに近しい方にお会いする機会があれば、よくお礼を申し上げてね」
 ココを始め、その場にいた女官は揃って「はい」と答えた。
「それにしても、たくさんの方にお気遣いいただいて申し訳ないわ……ありがたいことだけれど」
 目を伏せるアマーリエは、かすかに唇を開き、それを、くっと結んだ。漏れかけたのは、きっと弱音だ。
 真夫人は、自分がリリスに戻ってくるために大勢を巻き込んだことや、帰還してしばらくは体調不良で公務を休んでいたことなど、周囲に多くの迷惑をかけたと考えている。それは、真っ青な顔で座り込んだり、発熱や頭痛を堪えきれなかったりする度に、気遣い、薬や寝所の手配をする女官たちに「ごめんなさい」と涙を堪えていた姿から、簡単に想像できる。
 そのときのことを思うと、ずいぶん落ち着いた。顔色はいいし、痩けていた頬にも丸みが戻りつつある。以前のように、といかないのは、やはり心労が尽きないからか。
(コウセツ様のことは、乳母たちに任せておしまいになったらいいのに)
 天様の第一子ということは、最も次期族長に近い。いずれ候補である公子に選出される可能性の高い御子様なのだ。乳母は高貴な家の出身者から三名選ばれ、三者ともに性格がよく、仕事のできる女性たちだ。お互いの足を引っ張るようなこともせず、珍しい仲の良さだと女官たちの間では評判だった。
 しかし、アマーリエは彼女らに世話を任せきりにしない。自ら乳を含ませ、毎日様子を見に行っては、食事の世話や入浴、おしめ替えをする。そのため乳母たちは最初、かなり悩んだらしい。それは族長への報告という形で伝えられたそうだ。
「真様がお世話を任せてくださいません」
「わたくしたちは信頼されていないのでしょうか?」
「何か気に入らぬことがあるなら教えていただければと……」
 それを聞いたキヨツグは、まるで何もかも承知していたかのように、乳母たちをアマーリエのところに連れて行き、事情を説明させた。筆頭女官のアイを始め、数人の女官がいるところで話し合いが始まったため、ココもその内容を知っている。
 話を聞いたアマーリエは大きく目を見開き、困った顔で事情を説明した。
 なんでも、ヒト族の母親の多くは、彼女のようにして赤ん坊につきっきりになるという。乳を与えない、という考えは滅多になく、乳母が三人つくことも稀なので、実は最初から自分の子育てはどうなるだろうと思っていたのだ、と乳母たちに本音を吐露した。
「皆様を信頼していないわけではないのです。ただ、私はできるだけ、普通の母親のように我が子に接したいと思っています。そのことは、天様にもご説明し、理解をいただいているのだけど……もし、不快に感じるのであれば、これまでお世話になって申し訳ないのだけれど、別のお子様を見ていただいた方がよいかと思うの」
 要するに文化の違いで、子育てについて独自の方針があり、それは族長にも許しを得ている、という内容だったが、ココを始めとした若手女官たちは、後に寄り集まったところで声を殺して叫び合った。
「いったいどうなさったの、真様は!?」
「あんな物言いをなさるなんて! いえそれが悪いわけではないのよ、むしろ」
「真夫人の名に恥じぬご立派な態度でいらしたわね」
 アマーリエは、意地が悪かったり、曲がった性根の持ち主だったりはしない。心優しく、周囲を気遣い、自分のために誰かが行動をするのを申し訳なく感じるような人だ。よく言えば、親しみやすい。しかし悪く言えば、貴人らしくない。族長の妻になるために己を磨いてきたご令嬢と比べて、心根はともかく、言動や教養は劣っていたし、相手を尊重するあまり威厳が足りないと感じられていた。
 それでも、アマーリエはちゃんと己の足りないところを自覚し、懸命に学ぼうとしていたから、多くの者が静かに見守っていたのだ。
 しかし穏やかに微笑みながら、乳母たちに告げたアマーリエは、まるで急にいくつも年を重ね、経験を積んだ公人そのものだった。
 乳母たちは「考え違いをしてしまい、申し訳ありませんでした」と詫び、これからも御子様にお仕えしたい、可能ならば真様に協力させていただきたい、と頭を下げた。アマーリエは「どうぞよろしくお願いしますね」と笑みを深め、話し合いは無事に終わった。
 やはりヒト族との間に起こった出来事は、彼女に並々ならぬ変化を与えたらしい、とココたちは再確認し、こう言っては恐れ多いが、まるで歳の離れた妹の成長ぶりを喜ぶようにして、ようやく自分たちも本領発揮できると奮起し合ったのだった。
 午後になると、アマーリエは女官と護衛官を連れて、子ども部屋に向かった。ちょうどお昼寝の最中だったらしく、声を聞くことは叶わなくて、女官たちはがっかりだ。
 コウセツは、黒髪と黒い瞳の持ち主で、すでに目鼻立ちのはっきりした、大変可愛らしいお子様だ。人見知りせず、周りの者に惜しみなく笑顔を振り撒くので、みんなすっかり彼に夢中なのだった。いったいどんな美々しい若様になるだろうと、夢想してはため息をつく者も少なくない。もちろん、ココもその一人だ。
 眠りを覚まさぬよう、お付きの者は全員物音を立てずに静かに控え、アマーリエが乳母から報告を聞くのを見守った。
「そうですか。とてもいい子にしているようでよかったです」
「はい。これほど手が掛からないお子様は珍しいですわ。さすがは天様と真様の御子様です」
 あからさまな、しかし本心でもあるらしい誉め言葉を、きらきらした目で告げられ、アマーリエはおっとりと微笑んだ。
「赤ん坊だから可愛いのは当たり前ですけれど、そうやってみんなに愛されているのを見ていると、ますます愛しく感じられます。きっと愛情深い子に育つでしょうね」
 ふにゃあ、と猫が鳴くような声を発して、コウセツが目を覚ました。じたじたと手足を動かし、寝返りを打つと、揺り籠から出すよう訴え始める。素早くアマーリエが近付いて、高く抱き上げると、きゃあっと幸せそうな笑い声を発した。
 古くから王宮にいる者たちによると、御子様は天様の幼い頃によく似ているという。周囲をわずらわせることのない、珍しすぎるほど珍しい赤子だったらしく、コウセツは父親に似るだろうと考えられていた。少なくともあの美貌は受け継ぐだろうし、能力の高さも期待されている。ヒト族の花嫁を迎え入れたときに、皆が望む御子を本当に産むことができるのか、と雑言を振り撒いた者たちは、すっかりそのことを忘れているようだ。
 ただ、と、離れたところで母子を眺めて、ココは思う。
(真様は……天様もだけれど、御子様が特別な人間として育つことをお望みではないんじゃないかしら?)
 真夫人付きの女官は、時間帯や仕事の内容によって適宜入れ替わる。ココは御前を下がり、事務室で、上役に確認を願う書類の準備を手伝いながら、筆頭補佐のセリにそのことを話してみた。
「へえ? あなたがそんなことを思うだなんて」
「なんですの、それ。嫌味ですか?」
 上流階級出身のアイ・マァ筆頭女官と比べ、その補佐のセリは、どちらかというと大人の女性の落ち着きよりは少年のような快活さが際立つ女官だ。しょうもない(と言っては失礼なので、絶対に口にしないけれど)悪戯を仕掛けては、みんなと一緒になって笑っている。そのからかいの一種かと尋ねると、違う違う、とセリは手を振った。
「だって、以前のあなただったら『そんなこと許されるわけがありません!』って声を荒げたでしょ? だから、変わったなと思ったのよ」
 黙ってしまったのは、気まずかったからだ。
 確かにセリの言う通りだったと思う。少し前まで、ココはヒト族の真夫人のことも、彼女がそれにふさわしいとは思えない庶民で、リリスのしきたりも何も知らないことを苛立たしく思っていた。もしココがあの頃のままだったら、あの天様の御子なのだから、絶対に族長となってもらって、父親から受け継いだ才能を発揮してもらわなければならない、と主張して憚らなかったことだろう。
 しかし、いまはそうではない。
「……その思いは、確かにあります。けれど、お二方を見ていると思ってしまうんです」
 どんなに特別な生まれでも。種族が違っても。年の差があって、育った環境や、習慣が異なっていても。
「天様も真様も『人の親』で、我が子の人生が平穏で幸福なものであることを願わずにはいられないのだろう、と」
 私の両親のように、と、ふくふくとした二親を思った。
 ココの両親はごくありふれた、貴族の分家筋の人間だ。どちらかといえば裕福だが過ぎた贅沢は許されない家庭で育ったココなので、同じ年頃の少女たちと同じく、商家に嫁入りするか、裕福な家に職を得るか、王宮に上がるか、といった将来を見据え、野心と出世欲をたぎらせてきた。
 だから王宮女官の試験に受かったときには、優越感に酔いしれたものだ。絶対に、高貴な人物の側に侍り、出世し、素晴らしい伴侶を見つけてみせると心に決めた。
 そんな風に理想を語り、邁進し、実際に夢への足掛かりを得た娘を、両親は何度も褒め称え、祝福し、「頑張れ」と応援してくれた。何かにつけて手紙を送ってきたり、少し無理をしたのであろう新しい衣類や装飾品を贈ってくれるなど、励ましを形にしてくれることもあった。
 本音を言えば、ときには、それらを鬱陶しく、わずらわしいと思ったこともある。忙しかったり、悩みごとがあったり、仕事の壁にぶつかっているときに限って、両親からの便りが過剰な干渉に感じられたものだ。
 しかし、時が過ぎ、仕事にも慣れ、気持ちが落ち着いて、様々な人と触れ合うようになってくると、見えるものがやがて自らの経験や思いと重なり、「気付き」となるのだと、ココは知った。
「真様は、よくも悪くも普通の方です。それはつまり、私たちや、もしかすると市井の者たちに近しい考えをお持ちだということ。そんな方が、ご自身のお子様の幸せを願うことはあれど、特別扱いされるのは、きっと望まれないでしょう?」
 そこまで言って、ココは、じっとこちらを見ていたセリの目を見つめた。
「でも、わかってもいるんです。真様は、ご自身や御子様のお立場に自覚をお持ちで、無責任に逃れるようなことはなさらない。よくよく考えた上で、進む道をお決めになるはず。……まあ、いままでのことを考えると、自分だけで抱え込まず是非とも天様とご相談の上で行動していただきたいと思っていますけれど!」
 急に気恥ずかしくなって、最後はつんと澄ましたように言うと、セリは噴き出した。
「それは女官の総意ね」
「まあ、私どもがおりますから、何かあったらお諌めすればいいだけの話です」
 くっくっく、とセリが笑い声を殺すのを聞きながら、ココは手を動かした。

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