―― あ い の ひ
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「本日は朝議の後に会見が三件入っております。順に、カン家当主、トナミ卿、ワン卿となっております。いずれも一時間程度を予定しておりますので厳守でお願い申し上げます」
「ご昼食はナン卿とナン夫人との会食でございます。午後からはシャド商店街の取りまとめ役との謁見ですが、教育政策のマク氏は三十分ほど遅れるとの連絡を受けておりますので、ご承知おきくださいませ」
「ご夕食ですが、長老方より召集がかかっておりますゆえ、軽い宴席となることを想定しておりますが、どうぞ長引かせず、手短にお済ませになってください。その頃には先日ご請求いただいた書類が上がってくる予定ですので、なるべく早く目を通していただきたく存じます」
 順々に告げられる予定の数々は、毎日のことなれど、ため息をついてしまったキヨツグだった。
 多忙というわけではない。これくらいのことは慣れているし、処理も容易いが、彼女に会いたいと思うと常日頃の仕事がすべてわずらわしい。
 毎日会っていたいし、毎時間見ていても飽きることはないだろう。毎分声を聞いて、毎秒触れていたい。特別な日などない。毎日が特別で幸福だった。胸が満ちるその感覚を、常に味わわせてくれるのが、妻アマーリエ・エリカなのだった。
 話し合いを含めた会食が終わり、謁見まで時間ができた。隙間時間に書類を繰っていると、控えめに侍従が呼んだ。
「失礼いたします。天様、」
 しかしそのときすでにキヨツグは席を立っていた。
 返答を持ってくるべき侍従ではなく、キヨツグが姿を現したことに、護衛から勧められる椅子を誇示していたアマーリエははっとして、かすかに頬を染めた。
「……どうした、エリカ」
「お仕事のお邪魔をしてすみません。今夜は遅くなると聞いて、いまのうちに渡そうと思ったものがあって……」
 キヨツグは目を動かし、侍従や護衛官、警備の者たちを下がらせた。去り際、侍従の一人が「十分でお願いいたします」と言い残していったが、あっさりと聞き流し、扉が閉まる瞬間を見計らって、アマーリエを抱き締める。
 いつもより甘い香りが強い。新しい香を焚いたようだ。梅花に似た甘く爽やかなそれは、アマーリエによく似合っている。
「……ちょうど会いたいと思っていた」
「えっ、と……」
 薄紅の頬をさらに染めて、アマーリエはぼそりと呟いた。
「……あんまり調子のいいことを言わないでください」
「……本心だ」
 耳元にそう吹き込むと、今度は熟れた林檎のようになり、甘い香りはますます強まった。
 こめかみに寄せた唇を頬に。アマーリエは徐々に緊張を解きながら身を委ねようとして。
「……って、違う、そうじゃなくて!」
 己を叱咤したアマーリエは、懐から何かを取り出した。
 薄紅色の透き紙で包装した小箱には、折りたたんだ紙片が挟んであり、押し付けられたキヨツグの手には小さすぎて驚くほどだった。そしてその隙をつくかのように、アマーリエの手が襟元を掴み、柔い力で引き寄せてくる。
 頬に、温かなものが触れたとき、キヨツグの心臓は、ふるり、と打ち震えた。
「……………………っそういうことなので!」
 自ら仕掛けておきながら、真っ赤な顔で叩きつけるように言うと、途端に踵を返してしまう。腕からするりと抜けた彼女を捕まえることができなかったのは、キヨツグもまた、未だ驚き冷めやらぬ状態だったからだった。
 無意識に頬に触れ、そこに触れた感触を思い出していたが、渡された包みのことを思い出し、開けてみた。
 中身は焼き菓子だ。なるほど、アマーリエの甘い香りは菓子のせいもあったのか。
(何故焼き菓子なのだろう)
 挟み込まれた紙片を開くと、何か書いてある。
 キヨツグは軽く目を見張り、人知れず頬を緩ませた。
私の愛しい人へ(For my dearest)
 いつまでも愛しています(I will always love you.)
 常日頃から囁くその言葉が、こうして手元に残るとまた深い感慨がある。
 短い恋文にキヨツグは唇を寄せた。


 バレンタインデーの意図が通じていないことをアマーリエが知るのは、キヨツグが「手慰みに書いた」という山ほどの恋文をもらった後の話。



初出:100214
改訂版:200928

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