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 お互いを庇い合ったアマーリエとキヨツグの目前。静止していた銃弾が、力を失って落下した。何者かが摘んで、投げ捨てたかのようだった。
「天様!」
「真様っ」
 護衛官たちがざわめき立ち、駆け寄ろうとするのを右手を上げて止め、キヨツグが首を巡らせる。アマーリエも同じようにそちらを見て、遠いところから見守っている誰かが、くつくつと嘲笑しているのを聞いた気がした。
 もしかしたらそれは周りにも聞こえていたのかもしれない。恐慌を来して、きぃー、と引き攣った悲鳴を上げたエブラが、続けざまに二度、引き金を弾いた。撃ち出された二つの銃弾は、これも二人の前で中空に留まり、指で弾いたかのようにどこかに跳んでいった。
「……モルグ族」
 その異能力による守護だった。アマーリエは深い感謝を込めて、視線を感じる方向へ目礼した。
「この……この化け物ども!」
 市職員たちに取り押さえられ、土で顔を汚しながらエブラは呪いの言葉を吐いた。
「何の茶番だ、これは!? 何故私たちが異種族なんぞと対等にならなければならんのだ! 戦争がしたければ始めるがいい、どうせ勝つのは私たちだ。伝染病などというまどろっこしい方法よりも確実にお前たちを殺してやる!」
 醜くもがいて、どす黒い顔つきのエブラが唾を飛ばして叫ぶ。
「離せ、離せぇっ! 私は市長だ、お前たちを異種族から守ってやっているんだぞ!」
 ボードウィンが呆れたように首を振り、市職員たちに指示を出す。
「コレット! お前が、お前がしくじったから……」
「あー、どうやら精神に異常を来しているな。妄言を口にしているようだから、聞き流してくれたまえ」
 エブラが引きずられていく一方、ボードウィンはまだ市長の顔のまま、にこやかに、同僚の失態をなかったことにしようとした。青ざめていたジョージは、叫び声が遠くなり、アマーリエが無事に立っているのを確認して、疲れたように息を吐いた。
 アマーリエが選んだとしても、都市が許さなければ、戦わざるを得ない。それを避けるための話し合いは、何をしても続ける必要があった。
 少し離れたところにいる、キヨツグと並び立つアマーリエを、ジョージはどこか遠いところをに思いを馳せるような、切ない目をして見つめていた。
「し、市長」
 その後ろから、徽章をつけた異種族交流課の職員であるモーガンがもたもたとやってくる。
「……なんだね、っ!?」
「父さん!?」
 ジョージが体勢を崩して手を突いた。その後頭部に、銃口が突きつけられる。
 市長を蹴り飛ばしたモーガンが、ふうふうと荒い息を吐きながら、冷たい目で見下ろしていた。いつもどこか焦った様子で落ち着きがなく、すぐ動揺を見せていた彼とは別人のような目つきだった。そこに明確な殺意を感じて、アマーリエは竦んだ。駆け寄らなければという思いは、危険から遠ざけようとするキヨツグによって阻まれる。
「こ、これが、あなたのしたことの報いですよ。あなたの大事なものは、あなたではない別の誰かを選ぶ」
 家族にまつわる記憶を刺激され、アマーリエはモーガンを注視した。まるでマリアから始まる因縁を知っているかのような口ぶりだ。ジョージも困惑している。
「……君は、誰だ?」
 モーガンは顔を歪めた。
「わからない、よな。な、名前も顔も変えた、体型もそうだ。せ、整形手術のせいで口が上手く動かないし。そもそも、以前のままだったとしても私の顔も名前も覚えていないだろう。あなたにとって大事なのは彼女(・・)だけ。だからあんな非道ができたんだ」
 銃口を押し付ける、ごっ、という音がした。
「――愛する女性ひとを奪われた男ですよ」
 マリアの、夫。そう言おうとしたジョージが、次の瞬間、絶叫した。
 モーガンの銃がこちらに向いた、そう思ったとき、アマーリエは考えるよりも早くキヨツグを庇っていた。
 そして光と音と衝撃と、燃えるような痛みが、アマーリエを襲う。


 二度目の攻撃があるとは誰も予想だにしていなかった。もちろん、キヨツグもだ。モーガンの銃は、まるでそれだけが望みだったかのように、アマーリエの肩を撃ち抜いていた。庇う間も、なかった。
 崩れ落ちる身体をキヨツグが瞬時に支えた。白い衣服を鮮血が染めていく。
「エリカ……エリカ!!」
「アマーリエ!!」
 ジョージがアマーリエに駆け寄ろうとするが、放たれた銃弾が大地を穿つ。威嚇射撃で動きを制したモーガンは「次は当てる」と言った。かと思うと一転して、キヨツグにすまなさそうな顔をする。
「も、申し訳ありません、リリス族長。もうずっとこうすると決めていたんです……お、お気の毒、です」
「…………」
 キヨツグはモーガンを睨み据える。
 ふぎゃあ、ふぎゃぁっ、と、コウセツが怯えたように泣き出す。するとモーガンは顎をしゃくって、言った。
「そ、その子を罪に問う気はありません。安全なところに避難させてやってください」
 それを聞いたユメが飛ぶように駆けつけて、キヨツグからコウセツを引き受ける。当然、ひどく流血しているアマーリエが目に入り、「真様」と呟くことしかできない無念さをなんとか振り切って、安全な場所に引き上げていく。
 その間、キヨツグは一瞬たりとも復讐者から目を逸らさなかった。リリス族なら誰もが震え上がっただろう険しさに、モーガンはまったく怯まない。その様子だけで、彼がこれまで見せていた顔が偽りのものだったとわかる。ここに至って行動に出た彼に、もう恐れるものなど何もないのだろう。
 研ぎ澄まされた眼差しに呼応するかのように、耳飾りが揺れているが、まだ誰も気付かない。何かを指し示す道具のように、ゆらゆら、くるくると回る合間に、赤い石が次第に輝きを増していく。
「どうしてアマーリエなんだ! 憎いのは私だろう、私を殺せばいいじゃないか!?」
「だから、ですよ。私があなたにされたことを、再現しているだけです」
 血相を変えたジョージが叫ぶ。大事なものを奪われた人間の気持ちを、彼はこのとき知ったのだろう。二度と再会することが叶わないまま、永遠に死に別れてしまったモーガンは、次はその絶望を思い知らせようとしている。
「あ、あなたは奪っただけでは飽き足らず、彼女を死に追いやった。誰にも盗られたくなかったから。閉じ込めるだけでは飽き足らず、い、命を、奪った」
「違う! マリアは、」
「違うものか!! お前が殺したんだ! そして今度は、娘に同じことをしようとしている!」
(いいえ。それは、違う)
 二人の言い争いは、耳飾りの生み出す、きーんという音で遮断された。
 薄い金属片を打ち合わせた涼やかさ。硝子を砕いた儚さ。鐘の生み出す音楽のような音色。だが強弱を変えるそれは、聞く者を不安にさせる。凄まじい剣幕だったモーガンもジョージも、惑うように口を閉ざした。
 何の音だろう。出所はどこか。音を耳にした者たちが、さりげなく周りに目を配る。そうして、遠いところから響く何かの咆哮を聞く。
 ――…………ォオオオ……!
「!?」
 狼か、それとも人を襲うような異種の生物か。恐れ、怯え、警戒する人々の中で、リリス族の者たちだけがはっと空を仰いだ。それだけでも不気味だったというのに、声は一つではなかった。
 ――……ォォオォオ……。
 ――……ァアオオ…………。
 ――……ァァァアアア……。
 高低の異なる音が重なることで作り出されるそれは、別の世界から響くもののようだ。その声に耳飾りの揺れが生み出す音が混ざり、場は異様な空気に包まれた。リリス族なら、大気が震えている、空が鳴いている、と表現したことだろう。ますます強くなる違和感、あるいは予兆は、すぐそこまで迫っていた。

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