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「ユイコ? お前、どうしてここに」
「天様へご報告を申し上げに参ったのですわ、マサキ様」
 にっこりした彼女はすぐに表情を引き締めると、キヨツグに深く頭を下げた。
「申し上げます。先ほど、ライカ様よりお言葉がございました。ライカ様はシズカ様に、北部地域の塚や祠、社を巡り、清めの巡礼を行うよう仰せになりました」
「巡礼!? そりゃまた……」
「……? ライカ様は……何を?」
 ライカの指示がどういう意味を持つのかわからないでいるアマーリエに、マサキが教えてくれた。
「北はこの辺りとは比べものにならねえ数の塚や社があるんだ。清めろってことは巫女として働けって言ってるわけで、それを全部回るとなると、一年じゃそこらじゃきかない。つまりライカ様は母上に、しばらく忙しく働いて余計なことを考えるな、って申し渡したわけだ」
「さすがは巫女様の千里眼。お厳しくていらっしゃる」
 リュウはそう言って苦笑している。
 これはライカからシズカに与える、アマーリエへの仕打ちに対する罰なのだった。まるで見計らったかのようなタイミングだ。
「あの、ライカ様が罰を下されたなら、キヨツグ様はシズカ様にきつい罰を与えることはありませんよね……?」
 アマーリエがそっと尋ねると、彼はかすかに不快に思ったようだった。
「何故に?」
「相応の処罰は必要だと思いますけれど、ライカ様からも罰があったんですから、あまり厳しいことは……。重い処分で抑えつけても、考えを変えてくれないと意味がないと思うんです。思い知らせても、罪を犯したんだと理解できなければ……上手く、言えないんですが」
 それに、録音には明確な殺意は記録されていなかった。殺人未遂に問うことは難しいだろう。罪を軽くすることができるはずだ。
 呆れたため息をついたのはマサキだ。
「母上がしたことは毒を持ったことだけじゃねーんだぞ。川遊びのとき、上流にあった船の舫を解いて、船と船をぶつけるよう命じたのはあの人だ」
「でもそれが私に当たる可能性は低かった。私に運がなかったんだよ。だから私を川に落とそうとしてやったことじゃないと思う」
「アマーリエは甘い」
 黙って首を振るキヨツグも同じことを言いたいらしい。だがアマーリエの望みを無下にするつもりもないようだった。小さく息を吐いて言う。
「……叔母上は、リリスの法に則って裁く。だが真夫人の嘆願があって減刑する旨は本人に伝えておこう。これで少しは考えを改めてくれればいいが」
「恩に着せたいわけではないので、私のことは……よく考えてくださいとだけ、伝えてください」
 それでも甘い、と誰もが言いたげにしていた。だがこれはアマーリエが優しいのではなく、処罰することでアマーリエがまた彼女に恨まれること、彼女が辛い思いをすることで自分が傷付くことを避けたいがためなのだ。
 そもそもこのような悪意を向けられること自体、アマーリエには仕方のないことのように思えた。傷ついただけで逃げ出すような人間に好意を持つ方が難しい。嫌われて当然だと思うから、アマーリエはシズカを責めることができない。責める権利はないと思うのだ。
 だからアマーリエの代わりに、族長として、家長として、キヨツグとマサキは正しい処罰を下してくれるだろう。それを信じて、その場にいる全員に頭を下げた。
「皆様、助けてくださって、本当にありがとうございました」
「当然だろ! お礼はここに口付けて……」
 嬉々として頬を指したマサキは、次の瞬間はっとした様子で駆け出した。驚いていると、素早く立ち上がったのはユイコである。
「あらあらマサキ様ったら、どうしてわたくしの顔を見た途端に逃げてしまうのでしょう。……逃がしませんことよ!」
 ほほほと笑い声を上げた彼女は、キヨツグとアマーリエに丁寧に礼をすると、裾を激しく捌いてマサキを追いかけていった。
(あ、そうか。ユイコ様ってマサキのこと……)
 だったらマサキとアマーリエが親しげにしているのは、見ていて楽しいものではなかったのではないか。それでも礼を尽くしてくれた彼女はよくできた人だ。
「それでは私もこれにて」とリュウも立ち去り、そこにはキヨツグとアマーリエの二人になった。
「……エリカ」
 名を呼ばれて顔を向ける。
 見つめていると、彼の瞳にあったかすかな緊張が解けていくのが感じられた。
「……なるべく己を犠牲にせぬ方法を取ってくれ。また、肝を冷やした」
「あ……」
 アマーリエは肩を落とす。
 心配を、かけてしまったのだ。なるべく一人で解決しようと思ったのに失敗してしまった。
 キヨツグは手を伸ばして頭を撫でてくれたが、悲しかった。きちんと役目を果たしたいのに、まだ全然、上手くできない。
「すみません……」
「……悪いと思うなら、来なさい」
 両手を広げられ、アマーリエは泣きそうになりながらおずおずと身を寄せた。胸に抱かれるアマーリエに優しい囁き声が降る。
「……よく立ち向かったな」
 子どもを褒めるように言われて、緩く瞬きをする。本当に、よく逃げなかったものだと自分でも思って、笑いが漏れた。女官たちが引き留めてくれたのに行くと言って、悪意の塊であるお茶を飲み干したとしても大丈夫だと思った。
 大丈夫、一人じゃない。その気持ちがアマーリエを支えてくれていた。
(もっと、強くなろう)
 この人の隣に立つ未来を手に入れよう。心配をかけてばかりかもしれないけれど、他に方法を知らないから、アマーリエは自らの足で立つ、大人になった自分を想像した。


       *


 リリスの祭礼についてまとめられた冊子を開いたアマーリエは、目的の項目を見つけた。シズカの言ったことが気になって、部屋にある本を片っ端からめくっていたのだが、古い祭祀について記された箇所には『命山』の表記がある。
(命山――族長候補である公子を選定し、族長の就任を命じる最高機関。族長の執政を監視、監督し、時には族長に変わって裁定を下す場合もある。また必要であれば族長を解任できる……)
 そこから読み取れるのは、命山という機関がかなりの力を持つということだ。
(……族長より立場が上、ってこと? 位を退いた族長が命山に昇る、とあるから、退位した族長たちが組織している……?)
 この一冊から読み取れるものは多くはないが、とにかく、この命山という組織は、族長となる人間を決定し、また解任することができるらしい。シズカの言った通りならば、キヨツグはこの命山に族長となることを命じられたということになる。
 ――シェン家の生まれどころかどこの誰の子とも知れぬ……。
 鋭い叫び声が思い出されてアマーリエは考え込む。
(……シズカ様が言ったことって、いったいどういう意味なんだろう。シェン家の生まれじゃないってことは、ライカ様と前族長の息子じゃないっていうことなの……? リリス族の族長は世襲制じゃないみたいだけど、だったらキヨツグ様はいったい何者なのか……)
「真様。そろそろお時間でございます」
 部屋の入り口に女官が現れ、アマーリエは素早く本を閉じた。リリスのことをすべて知っているわけではないから、考え込んでいても仕方がない。
 今日はマサキとシズカがリィ家の領地へ帰る日なのだ。
 陽気が感じられる晴れた日だった。リィ家の武士たちはマサキに同道していた者にシズカの手勢と合わせて膨れ上がっており、大所帯で恥ずかしいと出発前からマサキが零していた。
 先んじて王宮では長老たちに挨拶を受けたリィ家一行を見送るため、アマーリエはキヨツグとともに愛馬に騎乗して、草原まで出た。
 マサキはシズカを先に行かせると、キヨツグとアマーリエの近くにやってきた。別れの挨拶をするためだった。
「いろいろありがとう、マサキ。気をつけて」
「こっちこそ。何かあったらすぐ呼べよ。いつでも駆けつける」
 そう言って笑う彼はリィ家の当主であり領主でもあるから、簡単にはやってこられないだろう。ただこうして味方をしてくれるという宣言は心強く、とても嬉しいことだった。
「あなたがしてくれたこと、忘れない。また会おうね」
「トーゼン。来んなっつっても押しかけてやる」
 そうしてマサキはキヨツグに顔を向けた。
「お騒がせいたしました、天様。言えずにいたことがあるのですが、ここで申し上げても?」
「ああ」
 キヨツグが頷く。
 マサキは表情を改めると、背後の武士たちに見えるように手を挙げた。次の瞬間、リィ家の臣下たちが武具や背筋を正し、一斉に礼をする。そうして彼は領主としての顔で告げた。
「――この度のご成婚を言祝ぎ申し上げます。我が従兄上であり族長キヨツグ様、そしてヒト族のアマーリエ・エリカ様に、天空の光と祝福があらんことを」
 アマーリエは目を見張った。
 結婚おめでとう、と彼は言ってくれているのだった。
 キヨツグがそれに応える。
「そなたにも祝福を。変わらぬ草原の風が吹くように」
 その言葉が連れてきたように風が吹き、アマーリエははっと背筋を正した。自然と、微笑みが浮かんだ。
「あなたの幸福をお祈りいたします。……ありがとう」
 真夫人としての答えを返しながら、最後に自分の思いを付け加えた。まだ複雑な思いを抱いているだろうけれど、祝福の言葉をくれた彼への感謝だ。
 マサキはいつものようににかりと笑い、馬首を巡らせると出発の号令を発した。
 彼との出会いでわかったことがある。リリスは、優しい人たちばかりではないこと。敵意や悪意の存在。けれど心を近づけて、味方になろうとしてくれる優しい人たちがいること。
 キヨツグを見る。この人に守られるだけでいるような、弱い人間のままではいたくない。薬指にある約束の環が力をくれるから、強くなろう。側にいられるように。


 リィ家の一行を見送るキヨツグの近くに、ユメが馬を寄せてきた。
「恋敵が行ってしまわれて、安堵されましたか」
 からかいの色を無視して答える。
「騒ぎが起こるのではと気が気でなかったが、結果的にリィ家の守護を得られたことは幸運だった」
 シェン家に次ぐ氏族の一つがリィ家だ。前族長の妹であるシズカが嫁いだこともあって、いまも力を持つ。他種族を嫌悪するシズカに同調して集まる輩も多かろうが、マサキは十分役目を果たすことだろう。
 当主であるマサキがアマーリエを重んじるならば、リィ家が族長に反旗を翻すことはない。彼はアマーリエのために、きっと上手く立ち回り、彼女を守ろうとするはずだった。ゆえに、キヨツグはリィ家を取り込むことに成功したと言える。
 このようにして、追い追い、各領主にアマーリエを引き合わせていく必要がある。都市市長の娘とはいえ、アマーリエの後ろ盾となるものが必要だった。一度招集をかけて宴席を設けてみるのもいいかもしれない。
「流石に余裕でございますな。知りませぬぞ、横から攫われても」
「お前のようにか」
 言い返せば、ユメは笑顔になった。
「わたくしは夫を自ら選んだだけ。相手にたまたま婚約者がいただけでございます」
 このにこやかさで誤魔化されがちだが、カリヤと結婚していることといい、彼女は烈女の側面を持つしたたかな女性なのだった。そうして彼女はその爽やかさのまま、告げる。
「天様のご意志、カリヤ長老より聞きました」
 キヨツグはユメを見つめた。
「わたくしがリリスの礎となれるのならば、定められしときにそのご意向に従いましょう」
 ただし、と彼女は刃のような笑みを掃く。
「ただし、それは天様が持つべき力にできなかったときだけでございます。――犠牲がなければ守れぬというのなら、贄となるものが現れぬよう力をお付けなさいませ。あなた様はまだお若い。まだまだ、成長の機会はございましょう」
 キヨツグは沈黙し、瞑目した。確かにユメの言う通りだった。
 己の目的を達するのならば、人質を取るなどという卑怯な真似をすることなく、それを成し遂げてこそだ。
「さぞ幻滅したことだろう」
「完璧なものが存在しないことの証左でございましょう」
 にこりと笑うユメは凛として、キヨツグには眩かった。己のどす黒さや醜さを突きつけられるようだった。だがその汚れた側面を封じ込めて、己を美しく見せ続けることが義務であり責任であり、願いである。
「――エリカ!」
 彼方に去りゆくマサキを見送っていた妻を呼ぶ。
 アマーリエは風になびく髪を押さえながら振り返り、こちらに笑みを見せた。
 その笑みに価する己でありたい。
 キヨツグの懐には修理に出していた、彼女の時計が収まっている。これを渡せば彼女の笑顔はより一層輝くことだろう。素直で愛おしいその表情に、けれど、秘密を抱えている胸は少しだけ疼いた。
 いつか言わねばならない。だがいまは、もう少し、その曇りない微笑みを見ていたかった。

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