縦に斬る剣を躱し、相手が次の手を繰り出す前にエルセリスは横に斬る。オルヴェインがそれを避けながら返す剣で横に薙ぐのを、突きを繰り出すことで弾く。
 があん! と鋼の音が響く。
 崩しかけた体勢は足を引くことで立て直し、素早く地を蹴って懐を狙う。
 斜めに噛み合う剣。
 押し返されて距離を取るが、オルヴェインの巨体が迫る。
 だが攻撃は大ぶりだ。右に左にとステップを踏めば怖くない。
 右に踏んで跳んだ、その勢いを回転に加えて斬る。
 衣装の裾が大きく広がる。
 打ち払われたが再び突進する。
 刹那交差する視線。
 時が止まったように感じた。
 互いに剣を交えてその場を走り抜けて位置を変える。
 同時に上段に構えたのは剣舞をする者としての意識がそうさせたのだろう。無意識に美しい姿勢をとるように身体が動くのだ。騎士団の騎士ならばこんなときに隙のある構えは取らない。
 そう思って腕を下ろすと、オルヴェインも同じ動きをした。
(まるで剣舞だ)
 呼応する、相反する動き。ふたりで舞った経験は少ないけれど、彼と舞うならこんな剣舞だろう。
(でもこれは彼本来の力量じゃない。もしかしてまだ意識があるのか?)
 すぐに攻撃に転じられないのは、操られているからなのか。それに呪いがそこまで早く進行するとも考えにくい。術師が近くにいるせいで意識を奪われているだけなら、彼はいま必死に呪いに抵抗していることだろう。さきほども逃げろと言ったくらいだ。
「オルヴェイン」
 囁くように呼びかけるが返事はない。
 しかし目の奥に揺らめく彼の意識は、逃げろとここに至っても告げている。
 彼の意識が解放されることは期待しない方がよさそうだった。
 再び意識を集中させて右腕を引き、切っ先を向けながら膝を落とす。
 そして走り出す。
 エルセリスの多段突きを躱したオルヴェインは、引いた瞬間を狙って剣を切りあげて攻撃を跳ねた。ただ軽く打っただけに思えたのに、凄まじい重さが腕を痺れさせ、エルセリスは体勢を崩す。
 だがそのままではいない。
 足をつく前にエルセリスは再び攻勢に出た。しかし斜めに斬るはずが軽々と弾き返される。
 距離をとって息を整えると吹き出した汗が顎を伝う。
 オルヴェインが地を蹴った。
 叩きつけられた攻撃が重い。そう何度も受けることはできないだろう。
 続く足元を狙った剣は跳躍で躱し、回転しながら刃を見舞うがこれも躱された。
 まとめていた髪がついに崩れて背中を打つ。
 ひとつ間違えれば再起不能になるはずなのに、エルセリスの唇にはいつしか笑みが浮かんでいた。
「……あなたは彼にかけた呪いを《祈り》だと言った」
 肺が痛む。全身を震わせる緊張感と恐怖で言葉を紡ぐ余裕などないはずなのに、エルセリスは術師に向かって語りかけていた。
「勝負をしよう、術師殿」
 エルセリスは晴れやかに笑う。
「あなたの祈りと私の祈り、どちらが神に届くのか――」
 これがきっと高み。
 命と魂をかけた剣舞を、いったいどれだけの人間が舞えるというだろう?
 こんなのは間違っていると言われるかもしれない。けれどエルセリスが失敗すればオルヴェインの未来はない。最初からそれだけの話なのだ。
 だから。
「一瞬たりとも目を離さないでいて」
 交差した刃を弾いて、弾いて、弾いて、弾き合う。
 甲高い鋼の音は鉦のよう。
 自分のためにも祈ったし大事な人のためにも祈った。ここにいない知らない者たちに嘲笑われることのない祈りを紡がなければならないと思った。
 回って、空を斬って、裾を翻す。
 翼を羽ばたかせるつもりで。そして地に降り立つときは響かせるように。
 ここにいると知らしめるために。
 綱渡りのように細くなった未来への道を途切れさせないために、すべての動きがエルセリスを生かそうとしていた。
 これまでの自分、今の自分が、遠くにいる未来によりよい自分を引き寄せようと、何度も、何度も手を伸ばす。それはあたかも祈りを奉じる者の高みに行きたいと子どものように願う姿で。
 届かない。届かない。あと少し、もう少し――。
 泣きたくて悲しくて幸せでもどかしい。ああ、この胸を満たすこの想いをどのように表せばいいのか。
 全身全霊をかけて彼を断ち切るべくエルセリスは剣を振りかぶり、オルヴェインもまたそれに相対する形で剣を薙ごうとする。
 逃げずにあなたと舞《たたか》った。
 肩に腕に掠めた傷と心が痛むけれど、それが私がここに生きた証。
 誰に向けるでもなくこぼれたそれが、小さな変化を生み出した。
 ――最初は小さな風だった。
 地を蹴る音に鈴の音が重なった、そのエルセリスの一歩から風が生まれていた。
 そうして膨らんだ蕾が呼気を吹き出すようにして光が溢れ出す。
 風、風。歌。それは天上の調べとなって鳴り響く、祝福の音色。
 縛られた者が自由を取り戻す歓喜の声。
「な――そんな……!」
 その声は嵐となって敗者に命じる――ここを去れと。
「わたしたちの神が人間に応えるなんて――……ああああああ……っ!?」
 絶望を叫んで少女の姿は霧となって消え去った。
 そして時は止まっていた。
 エルセリスはいままさにオルヴェインと剣を交えるその瞬間にとどめられ、そこに響く規則正しい靴音を聞いていた。
[そなたの祈り、しかと見た]
 いつか聞いたあの声がエルセリスに告げる。
[我が祝福を受け取るがいい、祈人よ。この地に遺された力はそなたのものだ。そなたの望むことをなすがいい]
 そうして時の神は鈍色の目でかつてあった塔を仰いだ。
[多くの同胞がこの世界から離れてしまったが、我らはいまでもそなたらを愛している。どうかいま一度我らを呼んでおくれ。そうしてこの世界をともに守ってくれ]
 そうして時の神は歩み去った。かつん、かつんと、時計の秒針のように靴音を響かせて。
 その姿が見えなくなった瞬間、エルセリスとオルヴェインの剣が重なり、高らかに鋼の歌を歌い上げると、ふた振りとも、その半ばから折れて砕けた。
 衝撃を受け止めきれず、ふたりはその場に倒れた。
 冷たい地面を感じながらエルセリスは身体を起こそうとしたが、全身が細かく震えて言うことをきかない。限界だった。酷使し続けた身体が悲鳴をあげ、ぷっつりときれた緊張の糸が意識を眠りに引きずり込もうとしている。
 重い頭を起こすとこの塔の象徴である日時計に聖言が浮かび上がっているのが見えた。立ち込めていた魔気が消えて、地面にほのかなぬくもりがあるように感じられるのはここに守護の力が宿ったからだと、あの日時計に宿った光が教えてくれている。
(私、できたのかな。本当に、神の力を目覚めさせることができたのか)
 しかし儀式は成功し、エルセリスは間違いなく人生で最高の剣舞を舞った。
 だから悔いはない。
(あなたに未来をあげられたかな)
 そう思いながら、笑って目を閉じた。

 歴史に記されるクロティア地方の塔再活性化事業。
 その始まりにして最大の儀式は、終盤に術師の襲撃という不慮の事故があったにも下変わらず無事に終了し、国は、新たな封印塔設置に向けて第一歩を踏み出すこととなった。

    


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