14. 理由の捜索
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 分からない。分からない。分からない。
 笑い声が聞こえる。追いかける者の哄笑。様々な黒色の渦を巻いているところから響いている。渦の名は嫌悪、悪意、憎悪。
 命を狙われている理由なんて。
(分からない!)
 がたんっ! と響いた音に心臓が跳ねた。棚の上を掃除していた女官が飾っていた本を倒してしまったのだ。「申し訳ございません!」と「大丈夫ですから!」の二言を叫んで頭を下げた彼女に、夢想から覚めたリワム・リラは弱々しく笑った。
 出来るだけ部屋の隅にいてぼんやりとしている時間だけが過ぎていった。ささいな物音でびくつき、女官たちはそれを心配して注意深くなっている。申し訳ない気持ちになって出来るだけ明るく振る舞っていたが、散歩に出なくなった為に空振りに終わっている。夜眠れていないのも彼女たちやナーノ・シイにはお見通しのようだ。口数が減り、食事もあまり摂らないのを見れば当然かもしれない。
(心配をかけちゃいけない)
 それでも無理に食事をすると胃が受け付けない。こっそり戻すのがくせになった。涙を浮かべながら、呟いた。
「どうして私、ここにいるんだろう……」

 近付いてくる気配にびくついて目を覚ました。ばっと顔を向けると、素早い反応にナーノ・シイが驚いた顔になったがすぐさま表情を引き締めて告げた。
「リワム・リラ様。お客様がおいでです」
「……お客様……?」
「ウィリアム・リークッド様です。どうぞご準備を」
 女官たちが滑るようにやって来て、リワム・リラの準備を整えた。これまでと同じように、身繕いをしても化粧はせずに、髪は少女のように三つ編みに結って。
 現れた金色の髪の大臣に、リワム・リラは弱々しく微笑んだ。
「……ご機嫌よう、ウィリアム様」
「ああ……」
 元気そうだな、と大臣殿は言わなかった。あまりにも痩せて顔色も悪いのだということは、さきほど鏡を覗いて自身もようやく知った。
 ウィリアムは何を思ったのだろう、目を細めてから話し始めた。
「今日来たのは、先日の狩猟の会の件だ」
 よく聞きなさい、とウィリアムは言った。
「お前を狙った矢は兵士のものだった。下位の兵士なら誰でも持っているものだ。だから誰が射たのかは分からない。誰が何本射たか調べたが、どうしても射られた矢は余分な数になる。犯人は分からずじまいだ」
 証拠を残すような真似を犯人がするはずがない。だが申し訳ないといった口調で、ウィリアムは息を吐いた。
「恐らく王を狙ったものだという見方が強い」
 リワム・リラは顔を上げた。
「私を狙ったものではなく?」
「そうだ。だから安心しなさい」
 ゆっくりと視線を落として、同時に方からどっと力が抜けるのを感じた。脱力して、身体が前へ傾く。
 しかしそれをウィリアムが大きな手で支えた。
 肌に温もりが染み渡ってくる。ざわざわとした音が消え、聞こえてくる庭木の葉擦れの音。
 自分が狙われたのは、間違いだったのだ。狙われているほど憎まれているということは、なかったのだ。
 だが次の瞬間、告げられた事実が突き刺さって身体が硬直した。ウィリアムの腕の中から彼の目を見る。
「それならば、王は、カリス・ルーク様はどうされていますか!?」
 狙われているのは王。悪意と憎しみの矢を向けられているのだ。叫んだリワム・リラに、ウィリアムは意表を突かれた顔をして、そうして微笑んだ。
「無事だ、今のところ」
 ほっと息を吐く。ウィリアムの言葉は無条件に安心を与えるもののようだ。例え何かあっても、この人が何とかしてくれるだろうと思えるものだった。
 ウィリアムはリワム・リラが自分で身体を支えるのを確認してゆっくり離れる。
「だから安心して……とは言えないな。嫌がらせが続いていると聞いている」
 リワム・リラは苦笑した。それくらいまでは気力が戻っていた。
「もう、仕方がないことです。私が明らかに劣っているから、皆さん苛立つのでしょう。仕方がないんです。だから……」
「笑うな」
 大丈夫ですと続けようとして、恐い顔と低い声に阻まれた。
 驚く。彼は本気で怒っていた。
「嘘の笑いをするな」
「ご、ごめんなさい……」
 まるで叱られているようだった。それに今の台詞は「申し訳ありません」だろう。怒られたことと自己嫌悪で身を小さくしていると、驚くべき言葉が降ってきた。
「こらえていると、本当に何も感じなくなる。お前にはそんな風になってほしくない」
 びっくりして、あまりにもびっくりしてウィリアムを見た。驚きの表情を見て彼も驚いていた。異変かと鋭い声で「どうした」と尋ねる。
「い、いえ……」
 無意識の言動らしい、と理解する。
(こ、告白されたのかと思った……)
 ひどくどきどきしていた。けれど何だか心地が良い。
 そろそろとウィリアムを見る。
 この人といると、自分が、何か別のものになれる気がした。とても素敵な、特別な存在に。
 この人と、もっと会っていたい。
「報告は以上だ。もう気を張り詰めずに過ごすといい。きちんと食事をして、眠るんだ」
 ウィリアムが離れる。衣服の裾が床を滑り、向こうへと行ってしまう。立ち去られてしまうという事実にリワム・リラは何故かひどく焦った。
「あ、あの!」
「……どうした?」
 何を、何を言えば引き止められる?
「ずっと考えていたんです。私はどうしてここにいるのだろうって……」
 何を言い出すと自分を叱った。けれど言葉は滑り出る。必死に。
「理由は、ウィリアム様が仰って姉が行けと言ったからで、私自身は何故ここにいるのか、どうしても分からないんです」
 そこまで言ってようやくウィリアムと向き合う。青い瞳は真剣に聞いてくれていた。
 もし、この人とずっと会っていられたら。
「さ、探して下さいませんか、一緒に!」
「一緒に?」
 何度も頷く。
「理由を探すのを、手伝って下さいませんか」
 なんと大胆なことを言ったのだろう。相手は王の右腕である大臣ウィリアム・リークッド様。有能な策士で多忙で義務が数多くあるはずだ。相手のことを考えないお願いをしてしまったと、その場に手をつきそうになった。
「手伝う、とは?」
 ウィリアムが首を傾げる。その口元には微笑が浮かんでいる。面白がっているだけなのだが、必死すぎてリワム・リラには分からない。
「話を聞いて下さるだけでいいんです」
「それだけでいいのか?」
 また何度も頷いた。握り締めた拳が汗を掻いている。
 彼は口元に手を当てて考えている様子。
「……引き込んだ責任か……」
 どきどきと返事を待つリワム・リラに、ウィリアムは言ったのだ。
「分かった」
 その一言を。
「ナーノ・シイに知らせておくから、その『理由を探す』時はナーノ・シイを通して呼ぶといい」
 これでいいかと微笑んでくれるウィリアムに頷き、彼を見送りに出た。
「よろしくお願いします」
「ああ」
 颯爽と立ち去るのを見えなくなるまで見送ろうと思った。すると彼は振り向いて、軽く手を挙げる。恐る恐る手を振り返すと、嬉しそうに笑って去っていった。
 振った手を下げ、そのまま両手を頬に添える。
 熱い。緩んでいる。心が弾んでいる。
 あの方に会っていられる。その名はきっと幸福だ。
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