18. 謎の欠片
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 平和だった。泣きたくなるくらいに。行き交う人々も談笑する人々も、遊び回る子どもたちも、うずくまる老人も、沐浴して一心に祈る人々も、すべて自分の世界を持つことが出来ているのを全身で感じ取れる。
 並んで座り過ぎ行く人を見ていたウィリアムは、低い声で「来ないな」と呟く。それは苛立ちと自然を伴ったとても日常を感じさせる声だったので、リワム・リラは顔を上げて自然に笑うことが出来た。
「あいつはいつもそうだ。気が向いた時にしか現れん」
「約束していたわけではないんですか?」
「手紙は出した。返事は来なかったが」
 約束というわけではないらしい。困りましたね、とリワム・リラも辺りに人を探していると、ふと広場の芸人に目が止まった。子どもたちの不満の声、店じまいだろうか、てきぱきと片付けている芸人の元に集まってた子どもたちが次々に離れていく。そうしてその人はこちらに近付いてきた。
 その格好は妙だった。まるで絵本に出て来る、恐ろしい異国の魔術師のような尖った黒帽子にローブ。見た目の印象づけの一つだから、多分芸の為の衣装なのだろうと思っていると、芸人はついに目の前に立ち帽子を取ってにっこり笑った。青年になりたてといった感じの若さ。ナリアエルカ人の黒髪に黒い肌だ。
「やあ」
 親しげに挨拶されて目を瞬かせる。すると隣でウィリアムが不審そうな沈黙を持って「…………エスカ、か?」と呼んだ。
「うん、そうだよーん」
 ぴろぴろと妙な擬音を口にしながら頬に添えた両手指を動かす。
 この人が待ち合わせ相手らしい。思わず顔を見比べていると、ウィリアムは仏頂面でじっと相手を見ている。それを何と勘違いしたのか、エスカと呼ばれた青年は笑顔で尋ねた。
「あれー? せっかくこっち風な格好に変えてきたのに、だめだった?」
 緊張感がまるでない口調だった。はーっとウィリアムは肩を落とす。
「お前、何故さっさと声をかけんのだ」
「だって、なんか良い雰囲気だったしー?」
 ねー? とリワム・リラに向かってにっこり笑った。良い雰囲気だったと言われて顔がみるみる熱くなり、思わず身を縮こまらせて俯く。
「お前が来たということは、他も来ているのか」
「いいや。準備はしてるけどね。こっちまで来るのって疲れるんだよー本気でー」
「それは悪かった」
 律儀に頭を下げるウィリアムに彼は好意の笑顔を向ける。
「まあ、それが契約だし? 僕らも理に逆らうようなことはしたくないし」
「準備はしているんだな?」
「もっちろん。任せてよ。覇王の言葉一つでいつでも動ける」
 二人は見つめ合い、同時に静かに頷いた。
「それにしてもー……」
 ちらりと目を向けて、にんまりと彼は笑う。
「女の子連れてるってめずらしいねー? どこの子?」
「こら、ちょっかいを出すな」とウィリアムは慌てて腕を動かしたが、青年はそれをえいっと押し退けた。
「可愛い女の子はみんなのものだよ。名前は?」
「答えんでもいいぞ」
「いえ……あの、リワム・リラ、です」
「かーわいーい。この人に飽きたらいつでも言ってね。この人いつ死ぬか分かんないとこあるし」
「馬鹿。適当なことを言うな」
「そんな、いつ……だなんて」
 リワム・リラはおろおろと二人を見比べるばかり。ウィリアムは呆れたような怒っているような顔で、青年はにこにこと悪びれた様子がない。
 だがその青年の瞳がすっと細くなった。
「分からないよ。いつ『彼女』が気を変えるか」
 ぴりっと、細くて張り詰めたものが走った気がした。
 走らせた視線の先、ウィリアムの顔から表情が削げ落ちている。
 ふふっ、と次の瞬間の笑う気配はエスカ青年のもの。
「でも、まあ、君の気持ち次第かな。あのね、誰でも内に眠れる神様の欠片を持っていて、それが運命を決めているんだよ。眠れる神様の欠片は、可能性って名前なんだ」
 謎めいた言葉を残すと明るい声で、じゃあ、と帽子を振る。
「もう戻るよ。マーキングはしたしね。ご機嫌よう、リワム・リラ」
「あ、はい、ご機嫌よう」
 帽子をきゅっと被ると笑ったまま去っていった。
 ずっと笑顔が崩れない人だ、とそんな印象を抱く。全部が全部を楽しいこととして捉えているような笑顔だった。
 それにしてもその印象が強くて、どんな顔をしていたのか思い出せないのが問題かもしれない。
「名乗りもせん。失礼な奴ですまない」
「いいえ、今の方がお会いする予定の方だったんですか? ……あら?」
 あんな目立つ格好をした人がもう見えない。俊足なのかしらと首を傾げる。
「なかなか捕まらん奴なんだが。今は少し不穏だからな……」
「フオン……?」
「あ、いや。さあ、どこか行きたいところはあるか? もう戻っても構わないが」
「そうですね。もう少し歩いてもいいですか?」
 ウィリアムが頷いたのでリワム・リラは嬉しくなった。
 その時だった。
「!」
 ぶうんと唸る音をリワム・リラが拾う前に、ウィリアムがふり返りざまに振り下ろされた剣を鞘のままの剣で受け止める。
「リワム・リラ! 近くに!」
「は、はいっ!」
 ウィリアムは相手を力で押し返す。リワム・リラはその背に回って辺りを見回し、あっと息を呑んだ。
 二人を囲む、明らかに悪意のある男たち。十人ほどの誰もが悪い顔つきだ。広場にいた人々は逃げ去り、男たちは獲物を囲んで薄笑いを浮かべている。
 だが。
「久々に身体を動かせるな」
 最も楽しげな笑みを浮かべたのはウィリアムだった。
「暗がりから狙われるよりはこうやっておおっぴらに狙ってくれる方がいいな。さあ、誰から遊んでくれる?」
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