19. 城下町の片隅
<<  >>
 大臣というものは剣術の心得もあるのかと感心した。古い物語などで大臣というのは参謀で力強くはないひょろりとした姿で描かれているものばかり見てきたものだから、最初に対面した時も思ったがあれでは武官のようだ。体格が良いのに身軽であっという間の十人を叩き伏せて、遠巻きにしてた人々からそういう芸だと思われて拍手をもらってしまっていた。おひねりまで飛んできて、どうしたものかとこちらを見た困り顔がおかしかった。
 逃げるように裏道に入って笑い出しそうなほど息を弾ませていると、不意に彼が訊いた。
「まだ自分を劣っていると思うか?」
 リワム・リラは面食らった。咄嗟に答えられなかったことを、ウィリアムは肯定と受け取ったようだった。
「こっちだ」
 薄暗い、表から遠ざかっていく道へ入っていく。段々と影が濃くなっていくのは建物が密集して空が狭いのだと気付いた。見た目にも汚れている道を行くと、大きな三階建ての建物にウィリアムはためらわずに足を踏み入れる。看板は色鮮やかで『陶酔する者』と物々しい。恐る恐る後を着いていくことしかできない。
 そうすると突然目の前が紫になった。部屋の色だ。色硝子を通しているのか照明は真紫で、酒と煙草の匂いが充満している。酒場、らしい。
「あらあ、……ウィリアムじゃないの!」
 甘い声が上がった。ウィリアムは中央の台に近付いていく。
「久しぶりだな」
「本当だよ。あんたまったく来なくなってたじゃないの」
「すまない。……リワム・リラ、こっちに」
 呼ばれてしまった。けらけらと男と女の愉快そうな声が上がり、男の煙草に女が火を付け、向こうでは歌を歌い……というような騒がしい雰囲気に呑まれて、どうしたらいいのだろうと眺めていたのを、しっかりと正面に向ける。笑い声に引きずられないように。
 台の中に立っていた、派手に化粧した美しい女性が微笑みかけてきた。
「なあに? 可愛い子ね?」
 少し濃いけれど、とても綺麗な人だった。朱色に染めた髪を高くして、金の飾りが耳に重く下がっている。胸元にはきらきらした粉を振っていたが、その人そのものがすでにきらきらとしているとリワム・リラは思った。赤くなりながら挨拶を口にする。
「頼みがある。彼女に自信をやってくれないか」
 女性は眉を上げた。
「あたしは今流行りだとかいう心理士じゃないんだけど?」
「すまない」
 ウィリアムは真剣に頭を下げている。彼女は口調とは裏腹に明るい笑顔だった。
「まあ、良いわ。お嬢ちゃん、こっちにいらっしゃい」
 女性は台から出て、リワム・リラに手招きして店の裏側へと導こうとする。それはなんだか真っ暗な世界、見知らぬ世界へ連れて行こうとする妖精のように見えて、不安でウィリアムを見た。だがウィリアムはしっかり頷きを返したので、逡巡していた足を動かさなければならなかった。
「あたしはリナ・ユン。あんたは?」
「リワム・リラです……」
 細い、道具を詰めた箱が積み上がった廊下を行きながら、リナ・ユンは振り返って笑った。
「リワム・リラね。じゃあ手っ取り早くぜんぶ脱いでもらおうか!」
「え!?」
 彼女が押し開けた扉に、襟首からぽいっと投げ込まれる。
 その部屋は散らかっていた。大小の鏡台が置かれ、衣装があちこちの壁はおろか床の上にまである。化粧道具の匂いと、一番きついのは香水の香りだ。くらくらするほど強い。そうして化粧の途中、着替えの途中の女性たちがざっとこちらを向いた。息を呑む。くるりと踵を返す前に、後ろから肩を掴まれた。
「なにその子」
 胡乱げに女の一人が聞く。
「ウィリアムの連れよ」
「え、ウィリアム来てるの!?」
 威圧感を感じるほど女性らしい女性、その一人が驚きの声を上げた。年嵩の者たちも驚いた顔をしている。その様子を見て他の者たちは、何かすごいお客がいるらしいと興奮して言葉を交わしていた。一気に部屋の空気が甘くなる。
「それでさ! この子を、とびっきり綺麗にしてほしいんだってさ!」
「……え、誰、ウィリアムが?」
 興奮して濡れた瞳で女たちがリワム・リラを見る。獲物を狙う目とはこれだと後世に語れる、と意識の片隅で冷静に思った。
「そうだよ。さあ、やっちまいな!」
「おおーっ!」
 何か間違った声が拳と共に突き出され、あっという間に手が伸びてきてリワム・リラを渦の中に巻き込んだ。
(ひ、ひえええええ……!)
<<  >>
 
HOME