26. 暗殺者
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 もしかして、彼は自分を慰めるために会いに来ようとしていたのだろうか。
 部屋に戻る最中もくすくす笑いが止まらなかった。頬が疲れるくらい笑って、ふと思った。
 すると、今度は微笑みが滲んだ。両頬を押さえるも、やはり喜びが収まらない。その時思い描いたウィリアムのひとつひとつが、どうしても胸の内を温かくしていく。
 久しぶりに明るい気持ちで自室の扉を開ける。女官は笑顔で告げた。放り出してしまったオルハ・サイの首飾りと衣装が見つかったという知らせと。
「リワム・リラ!」
 その人は、満面の笑みでリワム・リラは両腕を広げて走ってきた。
「お姉様!」
 リワム・リラは驚き、次の瞬間には大喜びで抱擁する。
「久しぶりね。元気だった? 手紙を書けなくてごめんなさい。心配だったのだけれど忙しくて」
 もう何年も会っていないかのようだった姉は、やはりたおやかで美しく、少ししょんぼりと悲しげに言う。
 リワム・リラは首を振った。
「今会えているのだから、そんなことは関係ないです」
 ミル・シーはぱっと小さな花の笑顔を浮かべる。
「実は、ウィリアム様に会いに来たの。忙しくしていたのはそれが理由で。すぐに行かなくちゃならないのだけれど」
「そうなんですか……」
 目を落とす妹に、ミル・シーは優しく手を置く。
「見た目がずいぶん変わったわね。綺麗になったわ、とても!」
「本当に? ありがとうございます」
 すんなりとその言葉は心に届く。照れくさくて、小さく笑いながら、衣装の裾を持ち上げるとそこでくるりと回った。
 見守るような微笑みを浮かべたミル・シーは、ええ、と頷く。
「そうしてお礼を言うようになったのは進歩だわ。大変だと聞いたのだけれど、強くなったのね」
 強くなった。
 小さく息を呑むような驚きがあった。響くようにその言葉が染み渡っていく。同時に思いが強く打って、次第に泣きたくなるくらいの胸の鼓動になった。
 変われたのだろうか。少しだけ、素敵になれたのだろうか。
 でも、そうなれたのは、きっと。
「変えて下さった方々が、いるんです」
 大切な人。心に刻まれて一生忘れないという人たちが。
「その中でも、一人。私がどんな姿をしていてもきっと見つけて下さるって、信じられる方が、いるんです」
 ミル・シーは庇護するべき妹の微笑みに驚いて、(好きな人ができたのね)と密かに呟き、笑った。
「私も、変えて下さった人に入っている?」
「はい、もちろん!」
 姉はにっこりと笑う。それは、リワム・リラを丸ごと受け止めてくれる大きな力になった。
「あなたの幸せは、私にとって大切なことなの。忘れないで」
「はい」
 満足したように一度頷いたミル・シーは、時計を見て目を開いた。
「まあ、もう少ししたら行かなくては。そういえば、何か贈り物が届いているみたいよ」
 示された棚の上、少し大きめの宝石箱がある。布張りの、宝石が散りばめられた美しい箱だ。
「実は、カードを見たの。ウィリアム様からみたい」
 言われた通り、縁に模様のある白いカードにはウィリアム・リークッドと署名があった。
 変だな、と思う。先ほど話をしたのに、何も言われなかった。
「開けてみていいかしら?」
 わくわくしているのはミル・シーの方だ。微笑ましくなって、仕方ありませんねと言って了承する。宝石箱に手を伸ばす姉を見てから、ふと手の中のカードを裏返してみたが、表の署名だけで何も書かれていなかった。
「きゃ……」
 鋭い悲鳴を呑み込む声。そちらを見た。
 ミル・シーは顔を青くしながら箱を凍り付いたように見つめている。
「お姉様?」
「来ちゃだめ!」
 箱からゆっくりと何かが持ち上がる。太い縄のようなもの。妙な臭いと音に気付いた。
「蛇……!」
 それも毒を持ったものだ。箱からゆっくりと身体を起こした毒蛇は、ちろちろと舌を出して首を左右に揺らす。
 ミル・シーとの距離はわずか。鋭く、静かに言った。
「お姉様、ゆっくりと後ろに下がって。蛇から目を逸らさないで」
 蛇を刺激しないように慎重に動きながら武器を探す。紙切り小刀が目に入り、姉と蛇から目を離さず、それを手探りで握った。
 その時、別の足音がした。
「失礼する。リワム・リラ。姉上は来ていないか」
「ウィリアム様!」
 その瞬間、近付いていた毒蛇が獲物に牙を剥いた。
 はっとした瞬間にはリワム・リラは小刀を投げていた。蛇の尾にそれは突き刺さる。しかし暗殺者の動きは止められない。
 しかし、ミル・シーと蛇の間にウィリアムが入った、と思った時、彼の剣は蛇の頭を切り落としていた。
 体液が床に飛ぶ。首を落とされた蛇は床をのたうち回っていたが、やがて動かなくなった。
 緊張の緩む音がした。
「お姉様、怪我は!?」
「大丈夫。あなたは」
「私は大丈夫です」
 青ざめたミル・シーは蛇を見つめて、ふるりと身体を震わせる。リワム・リラは姉の無事を確かめて、同じようにミル・シーも妹を無事を確かめて、お互いにほっと息を吐いた。
「一体どうした。何故毒蛇が」
 剣の汚れを見て、ウィリアムが訊く。どうやら咄嗟の判断だったらしく、何を斬ったのかも見ていなかったようだった。切り落とされた毒蛇を見て、周囲を探る。気を利かせて部屋を下がっていた女官たちを、まだ呼ぶなと言った。
「あの箱に入っていました」
 ミル・シーが宝石箱を指差す。
「カードにはあなたの署名が。ウィリアム・リークッドと」
 リワム・リラは床に放り捨てていたカードを拾い上げ、それを手渡す。素早く目を走らせたウィリアムの瞳に剣呑な光がよぎった。
「私の字ではない。微妙にくせがあるな……これは、もしかして、サイ族の……」
 意味が分からなかった。
 くせのある字、サイ族のくせのある字ということか。
「オルハ・サイが……?」
 考えてはいけないのに、無意識に名前が滑り出ていた。
 今までのことは、全て、オルハ・サイの仕業だったというのか。嫌がらせも、矢で狙われたのも、お茶に何か入れられたのも、中傷の落書きや紙片も、全部。
 思えば思うほど疑いは深くなった。矢で狙われた時、最初に誘い込むように林に入っていったのはオルハ・サイ。お茶を用意させたのも彼女、自分の分にも何か入っているという演技ができる。ウィリアムが飲みそうになった水には何か入っていて、そうだそれはもしかしたら彼女の父親が渡した薬だったのではないか。二人で街へ行くと知らせたのも彼女だけで、もしかして街で襲ってきた者たちも彼女が。
 全部、私を狙って。
 力が抜ける思いがした。親切にしてくれた彼女が、仲良くしようと言ってくれた彼女が、全て嘘偽りでリワム・リラに接していたというのか。
「すぐ捕らえて話を聞こう」
 ウィリアムが行こうとする。咄嗟にその袖を掴んだ。
「ま、待って下さい! どうか!」
「リワム・リラ」
「リワム・リラ、あなた」
「まだ犯人と決まったわけではありません。もしそうだったとしても、自首の機会を与えて下さい。彼女は、今まで親切にしてくれました」
 それだけは信じたかった。衣装や首飾りを貸してくれた彼女は、きっと自分を思ってくれていたと。
 必死に止めるリワム・リラに、ウィリアムは渋々知恵を授ける。そしてリワム・リラは思うところあって、オルハ・サイの首飾りをウィリアムに手渡した。宝石が外れる、首飾りを。
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