36. 大臣と娘
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「お前の助けがなければ終わらなかった。礼を言おう」
 玉座の間。人払いをして二人きり、玉座に座らず段の下で立って客人を迎えたカリス・ルークは、青い瞳を細めて相手に頭を下げた。その頭は地毛の黒だ。それに、いいえ、と涼やかな美しい声は応じる。
「魔術師の功績です。わたくしは、ただ守りたいものを守っただけ。それに、まだ終わってはおりません。終わりなどないのですわ」
 穏やかながら厳しい物言いに、カリス・ルークは苦笑する。これまで行ってきたことですでにただ者ではない彼女は、やはりなかなかに手強い相手だと思うのだった。
「お父上を上手く使ったな。おかげでラグ・シュア卿の動きをいち早く察知することが出来た」
「父がいらぬ嫌疑をかけられて利はありませんから」
 そう彼女はすまして答えた。誇るのではなく恩着せがましくもなく、ただ役目をこなしただけという口調だ。それが、一転してくすりと笑うと面白がる弾んだ声になった。
「あなた様もご自分を上手く使われましたね? ウィリアム・リークッド様に扮して動くなんて。そうするために、前々から必要最低限の露出だったのですね」
 わたくしも今度やってみようかしら、と声を漏らして笑う。次に「それで」と言った声はまた一変して真剣味を帯びた。
「それで、こちらでは何があったのですか? わたくしには知る権利があります」
 カリス・ルークは城内の一連の出来事を話した。彼女が聞きたがっているリワム・リラのことを中心に、自分が知るすべてのことを包み隠さず伝える。彼女の表情を見て、言い訳がましくなろうとするのを堪える。
 すべてを聞き終えると、段々と厳しい顔をしていた彼女はついに重いため息をついた。思わず身も小さくなろうというものだ。
「妹を保護して下さったと思ったのに、結局、一番危険な目に遭わせてしまったようですわね」
 リワム・リラを愛していると公言してはばからない彼女の姉ミル・シーは腕を組み、少し怒りを込めてこちらを睨んでくる。カリス・ルークは首を竦めるしかない。こんな姿、ウィリアムに見られたらどうなるやらと痛くなった頭を乱暴に掻いた。
「保護するつもりだったのだが……。お前より、こっぴどくやられた娘の方、それも金色の目という特徴を持っているリワム・リラを覚えているはず。特定して狙われると思ったから城に呼んだのに」
 ミル・シーは頷いた。
 カリス・ルークとウィリアムへ、ミル・シーから届いた手紙がある。その手紙は一見して姉の妹に対する愛情が読む者に対して延々と綴られていたのだが、最後の一枚が重要だった。
 あの日、ミル・シーが一人で追いかけた暴漢たちが相談していたのは、カリス・ルークに対しての反乱に関してだった。何者かが、街のごろつきを傭兵代わりに雇おうとしている会話をすれ違い様に漏れ聞いたのだ。リワム・リラが引きちぎったのは旧シュン王国の紋章で、カリス・ルークがそれを預かっても見覚えのあったミル・シーは独自に調査をしていたらしい。商人一族である自身のマージ族を使い、疑惑のあるシュン族に潜り込み、内部情報を書いた手紙を送ってきたのだった。
 一方、こちら側としては、不穏分子が人を集めている話を聞いて調査に乗り出したが、詳細はいつも掴めていなかった。しかし偶然出会ったリワム・リラが引きちぎった紋章を見て疑いを深め、人質代わりにラグ・シュアの姪キール・シェムを呼び寄せた。同時に傭兵として雇われようとしていたごろつきたちを尋問したものの、彼らは計画の詳細を知らされていない捨て駒であって、領主ラグ・シュアが本当に反乱を企てているか証拠はなかった。その上サイ族の動きも活発化していたために、少ない手勢を半分に割いた結果、内部にいたすべてのシュン族による反乱、城の爆破という大事態に発展してしまった。
 結局サイ族はオルハ・サイが王妃になると決めつけて浮かれていただけで、シュン族の方は本物の反乱だったわけだが、しかし事態が起こっていないのにむやみに疑えば反抗心を煽ることになる。余計な火種を作りたくないがための曖昧な態度が今回の事態を招いた。まだまだ難しい国だった。部族というくくりが根強く残っているナリアエルカでは、いつ部族同士が結託して反旗を翻すか分からない。
「国と王という概念が人々に根付くのは時間がかかりますわね」
「ああ。しかし、商人の先見の明を持つマージ族に認められたということは、私も王としては捨てた者ではないらしいな」
 マージ族は自らが最初に忠誠を誓うことによって己の地位を守ろうとした。それを筆頭に少しずつ流れが出来上がっていきそうだが、それは多分甘い見識なのだろう。カリス・ルークの内心を察して、ミル・シーは曖昧な笑みでその質問を流した。
「リワム・リラは? どうしていますか?」
「まだ体力が戻っていないようだが、元気らしい」
「会っていないのですか?」
 カリス・ルークは気まずく唸る。ミル・シーは呆れたように、まあああ、と口を開き、次に目を吊り上げた。本気で怒っていた。
「あの子をどうするおつもりですか。リワム・リラはまだ成長の途中です。いつか大輪の花が咲くであろうかわいいつぼみです。羽ばたく前の鳥の雛です。どのような花になり、どのような鳥になるのか、導く者が必要でしょう」
 凛とした声で、娘は大臣に扮していた覇王に詰問する。
「わたくしはあの子の幸せを願っております。ですが、ここにはどうやら平穏はないようです。あの子の愛する平穏が。カリス・ルーク様、あなた様はそれを作ることができますか? あの子を幸せにできますか?」
 黙ることしかできなかった。
 この先の道は、恐らく魔術師はおろか誰の加護もない、まったく新しい道となるだろう。そんな未来の知れない、危険が満ちあふれているであろう運命を共にしてほしい、と口にする勇気がまだない。何故ならあの娘は、小さなつぼみで、雛なのだ。守ってやりたいと思うのが当然だろう。
 ミル・シーが小さく臆病者と罵るのが聞こえた。
「あの子は魔人の金の瞳を持っています。真偽はどうあれ、人が、人の魂を奪うと忌み嫌う瞳を持つのですよ」
「ああ……」
 本当に、とカリス・ルークは掠れた声で胸を押さえた。じんと痛む胸に、触れると感じるような温かさを掴もうとして、微笑んだ。
「あの月の瞳に奪われてしまった。この魂を」
 だから、本当は最初から答えは決まっていたはずだった。自分は望み彼女は望んだ。もう一度同じことを問わなければならない。勇気はなくとも、彼女が今ここにいるというだけで、最初から続きは決まっているのだろう。
 この物語は誰の物語なのか。
 その時ちっと舌打ちをしたのはミル・シーのはずだ。意味が分からず目を向けると、彼女は美しい顔を苛立ちに歪め、ふんと鼻を鳴らし我慢ならない何かを潰すように爪先で床を叩きながら言った。
「わたくしは妹が幸せならそれで構いません。選ぶのは妹です。ただし」
 びしっと指を突きつけ、ミル・シーはカリス・ルークの覚悟を問うた。
「リワム・リラを不幸にしたら許しませんことよ」
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