ある国を戦火が二つに分けた。北と南に、家族や恋人、親友が別れた。お互い行き来は叶わず、北と南の境には兵が睨み合い、人々は互いの消息すらも分からない状態であった。

 女がいた。女は北側の村に住む若い娘だった。彼女には恋人がいた。恋人は兵隊に取られたまま行方が分からなくなっていた。女は恋人を探す旅に出た。
 一人旅をするのはいつでも困難な事だったが、女は北側を旅し続けた。女は歌を歌い、時には舞う事で路銀を稼いでいた。街から街へと渡り歩き、「自分は貴方を捜しているのだ」と恋人に向けて言葉を紡ぎ続けた。その心は人から人へと伝わっていった。

 北側を探し尽くし、残るは南となった。しかし北と南には兵が睨み合っている境界がある。
 しかし女は諦める事はせずに南側へ向かった。境を越える者には容赦なく攻撃が加えられる。その事を知っていて尚女は歩いた。北側を離れはじめ南側へ向かう彼女に、両側の軍から警告がされた。だが女は立ち止まらずに境界を越えた。
 その瞬間、南側の軍から攻撃を受けた。魔術師が魔法を放ち、騎士がやって来て剣で斬り付け、兵士が槍で突いた。立っていられずはずもなく、女は倒れた。
 意識を失う間際、女の頭の中にあったのは常に生き別れた恋人の事だった。

 気付くと女は草原に立っていた。柔らかな草波が何処までも続く安らかな場所だった。この場所こそ使者の通り過ぎるという世界の狭間なのだろうと女は思った。
 この先は死の世界だ。ならばそこに恋人がいるのかもしれない。そう思ったが、死の世界に足を踏み入れれば二度と生者の世界には戻る事は叶わない。考えた末に、女は草原の真ん中で歌を歌い始めた。歌は恋人を呼ぶ歌だった。
 歌い終わるとその場を離れしばらく歩き、変わらぬ景色の中でまた立ち止まると、再び歌を歌った。最後に恋人の名を呼んだ。美しい空にその声は溶けていく。
 それを飽きることなく繰り返した。死の世界へは向かわなかった。その死の世界に向けて呼び掛けていた。恋人に。聞き止めてくれる誰かに。
 普通ならば気が狂いそうになっていただろう。変わらない景色と誰もいない世界で、同じ事を繰り返すのは辛い作業だった。けれど女は止めなかった。声が枯れても掠れた声で歌い、最後に恋人を呼んだ。
 とうとうそれに答えたのは、女をずっと見つめていた神々の一人、死の世界を支配するレドゥーカだった。

 何故死の世界へ来ないのだとレドゥーカは問うた。
 恋人を探しているのですと女は答えた。もしかしたら死の世界にいるのかもしれないし、いないとすれば国の南にいるのかもしれない。死の世界を探しても構わないだろうかとレドゥーカに訊ねた。
 死者でない者が死の世界を訪れる事は叶わない。また死の世界に足を踏み入れた者は死者となり生者の世界に戻る事は叶わない。お前はすでに死に向かっているとレドゥーカは言った。
 そこで女は言った。恋人を探し出すまでは待ってもらえないだろうか。生きとし生けるもの全ては等しく死を迎えるもの。私も例外ではないのだから、恋人を見つけだした後は喜んで死の世界に行こう。それが遅いか早いかの違いだけである。
 レドゥーカは笑った。確かにその通りだ。ならば時間をやろう。生者の世界を探す時間を。

 境界で倒れた女の身体は光を放ちながら立ち上がった。死の世界から生者の世界に戻ったのだ。その肩へ白い鳥が舞い降りた。女の行動を見定める為に遣わされたレドゥーカの使者だった。
 死んだはずの人間が起き上がった事に驚いていた両軍に、女は微笑んだ。そして悠然と歩み去った。その姿は神から遣わされた聖女、神の守護を受けた聖人のようであったとも言われている。
 女は傍らに白い鳥を従え、南側を旅した。しかし見つからなかった。女の足は他国へ及んだ。世界中を歩いた。その頃にはもう女は若くなかった。
 そして遂に死の世界へと旅立った。そこで女はようやく恋人を見つけだした。

 これでようやく真の意味で死を迎えようとする女の前に、レドゥーカを始めとした神々が揃って言った。
 我らの助けを借りず、生き別れた恋人を探し、世界中を旅し続けたお前の心は尊い。だから死を迎えず、我ら神と人の橋渡しをしてはもらえぬだろうか。
 女はそれを承知し、生あった頃と同じように楽器を手に、白い鳥と共に果てのない旅を始めた。
 彼女は生と死と共に旅をし、生きる者たちの絆を祝福する女神となった。

 これがかつて人であった女神サファルの始まりである。



『旅鳥の語るフィルライン大陸の神話』より





旅 装 束 を 纏 っ た 女

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