その花が群れて咲いている所を思い浮かべながら、娘は機を動かす。規則正しい音と共に、彼女は自らの思いを織る。傍の一輪挿しには、彼から貰った美しい花。

 娘の村にはある風習があった。絶えることなく続いているそれは、男女の婚約の証として花を使うものだった。
 直接生花でも、花の形を模した何かでも良い。贈るのは男から女へ。婚約成立の証として、女は受け取った花の意匠を用いて布を織る。織った布で花嫁衣装を作る。

 だから娘は機を織る。愛しい人への思いを織り込みながら。

 娘の愛しい人は、良く旅に出る男だった。一年以上帰らない事などざらにあり、村の中でも変わり者として評判の男だった。何を目的に旅をしているのかは知らないが、帰ってくる度に訪れた場所で手に入れた品と見聞きした話をくれたから、娘は幸せだった。
 そして……。娘は傍らの花を見る。桃色を白と銀で伸ばしたような色の細く薄い花弁が何枚も重なり、透明な緑の茎が支えている。見た事もないような形をして、離れていても甘い香りが枯れることなく漂う。ふらりと出掛けてまたふらりと戻ってきた彼が、照れながらくれた花。旅先で見つけた魔法の花だと言っていた。確かに魔法の花だった。長い時間、たった一輪だけ生けているのに全く枯れる気配はなく、瑞々しく輝いている。この花を持って二人は婚約した。

 幸せな思いが、布を織り上げていく。もうすぐ、もうすぐ織りあがる。

 この布を縫って作る花嫁衣装を思い浮かべる。自分は魔法の花の文様の衣装を着て、彼に笑いかける。隣には彼がいて笑い返してくれる。式の頃にまだこの花が枯れていなければ、ブーケに挿すのも良い。婚約の証の、甘い香りを放つ魔法の花は、きっと幸せを運んできてくれる。

 娘は幸福だった。このまま死んでしまうのではないかと思うくらい、幸福すぎて、微笑みながら倒れてしまいそうだった。
 彼が愛してくれている。自分は彼を愛している。その事が、彼女に眩暈がするほどの幸福を与えていた。
 この先、ずっとその幸福が続くのだと思っていた。



 ――ああ、それなのに、何故……。



 いつものように機に向かう娘が見たのは、窓の向こう、彼が、別の女と笑っている光景。
 瞬間、感じたのは深い悲しみ、そして怒りだった。何故笑っているの、私以外の女と。何故そんなに楽しそうなの、私以外の女と。憎々しい。婚約の証の花が、何も知らずに甘い香りを放っている。
 娘は考えた。どうしたら、彼はあの忌々しい女と別れる事が出来るのだろう。私だけを見てくれるだろう。機を織りながら考え続けた。あの女と別れるだけじゃ、また別の女が現れてしまう。そうなったら同じ事の繰り返しだ……。
 枯れない花から漂う甘い香り。彼の愛の象徴。私だけのもの。私だけの――

 扉が叩かれた。男の声が娘の名を呼ぶ。彼がやって来た。
 扉を開ける。にこりと笑った彼が、腕を差し伸ばしてくる。その腕に抱き締められた瞬間、今まで渦巻いていた思いがすっと洗い流された。雲が晴れるようだった。
 きっと、勘違いだわ。ちょっと他の女と話したくらい、普通にある事だもの。彼は抱き留めて、与えてくれる。この温もりは揺らがないわ。娘は幸福に包まれた。

 布の方はどうだいと彼が訊いた。ええ順調よ。娘は答える。ねえあなたのくれた魔法の花、まだ……。
 娘の言葉を遮って、彼は言った。言いにくいんだけどねと前置きして。あのね、また旅に出るんだ……。
 娘は首を傾げた。何を言っているのだろう。だって私たちは結婚するのよ。旅なんて。私の傍にいてくれなくちゃ。行くって、一体何処に。
 痺れるような香りが漂っていた。その瞬間、全てを思い出す。自分以外の女と会話する彼。自分以外の女に笑いかける彼。自分以外の女に優しくする彼。
 出て行くのね。私を捨てて他の女と。そうだわ。そうに違いないわ。そんな事は許さない。だってあなたは私のものだもの。私の。私だけの。私だけのもの。そうするには――

 男の悲鳴が上がる。めり込むような感触と共に、温かい物が流れ出す。娘の手には血に濡れた鋏。男の身体から引き抜き、もう一度深く、深く押し込む。
 彼の恐怖に引きつった顔に触れる。ねえ、笑って。笑いかけて。私だけに。私だけに……。

 床に俯せた彼にどんなに甘く囁こうとも、笑いかけてはくれなかった。冷たくなっていく頬に触れている手から震えが走って娘は気付く。もう二度と、彼が笑いかける事はない事を。
 涙を流しながら、娘は自分が愚かな事をしたと嘆いた。泣いて泣いて泣いて、全ての涙が枯れ果てる前に、自らの喉に彼の血に濡れた鋏を突き刺した。

 折り重なるように倒れる恋人たちの亡骸。その二人に、未だ枯れる事のない花は、不思議な光と甘い香りを降らせている。





花 織 人

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