嘘吐きだ、と吐き捨てられた言葉に人々は戦慄した。
 その声は甲高くまだ年端も行かない子供の物だと解った。しかし広場では人が大勢集まっており、誰が発したのか特定は難しい。「何を言って」「愚かな」「誰の子」「女神は絶対」そんな言葉が怯えた視線と共に人々の間で交わされ、窺うように広場に設けられた壇上が上目遣いに見上げられた。

「誰だっ! 神の代弁者たる我らと、その神を侮辱するのは!」

 案の定、怒りで顔を紅潮させた神官の一人が声を響かせ、広場は異様な沈黙に包まれた。同じ住民を告発するのは気が引けるのか誰も何も言わず、その事に先程の神官が苛立ったように舌を打った。人々には届いていないだろうが、しかし傍にいたジェリクスにはしっかり聞こえ、思わず苦笑を浮かべてしまう。
 最近の若い神官は気が荒い者が多く、だが献身的で信仰心が厚い。盲信的と評されるべきかも知れないそれは若さ故の素直さとでも言うべきだろうか、と若い神官に感想を抱きながら、五十に手が届こうかというジェリクス大神官は、部下の尻ぬぐいの為に静かに微笑みを浮かべて訊ねた。

「先程の声はどなたのものでしょうか。出来ればお話を聞かせて頂けませんか?」

 小さなざわめきが生まれ、次第に広がって大きくなっていく。ゆっくりと一人一人の顔を眺めるように周囲を見回していると、足元から視線が注がれているのに気付いて眼を下げた。壇上のすぐ下にいつの間にか立っていた、まだ十くらいの小生意気そうな少年が真っ直ぐ睨んでくる。怒りが滲んだ表情に、すぐに彼が声の持ち主なのだと分かった。
 勇気がある、と彼に心の中で賞賛を贈り、ジェリクスは壇から降りた。後ろで神官たちの咎める声がしたが全く無視する。そもそも、ジェリクスは上から人を見下ろすのが好きではない。それに、神官たちを恐れずここまで来た少年に敬意を表したつもりでもあった。

「先程の言葉はあなたが仰ったのですね?」

 各都市には神殿が一つ置かれているが、その一神殿の管理を任されている大神官が降りてくるとは思わなかったのだろう。少年も周囲も驚いて目を見張っていた。少年は子供特有の立ち直りの速さを見せると、再びジェリクスを睨んで頷いた。

「何故、神の御言葉が偽りだと?」

 優しく訊ねれば、少年は初めは小さく、しかし段々とはっきりと声を鮮明にしていった。

「……だって、……そんなの、おかしいじゃないか」

「何がです?」

「女神さまはなんでもできるんだろ? だったらなんでおれたちに戦争させてなにもしてくれないんだよ! 『女神の御意志』だとか言って、結局、あんたたち大人がおれたちを良いように動かしてるんだろ!? どうせ、神様なんかいやしないんだ!」

 この、と背後で神官がいきり立ったが、片手を挙げて制した。まだ渋るようだったので一瞥をくれて黙らせ、ジェリクスは小さな論者に向き直った。

「――……あなたの仰る事は良く解りました。しかし、確かに神は存在しています」

「嘘だ!」

 反射的に叫んだ少年に、ジェリクスは「いいえ」とはっきりと答えた。

「私は実際にお姿を拝見しました。中央の神都で確かに。神が民の前に姿をお見せにならないのは、己の無力さを嘆いておられるからです。人の世にあって、神は我らの為に長く力を使った故に弱ってしまわれました。だからこそ人の助けが必要なのだと、幾人かの乙女に女神の代理人【聖女】としての旅を命じられ、神官である私たちに御言葉を預け、影ながら人の為に尽くしておられるのですよ」

 さて、ジェリクスの言葉が、ただ聖典を要約しただけだと気付いている者はいるだろうか。
 同じ地に立った大神官の言葉にじっと聞き入っていた民衆を一度見回して、ジェリクスは壇上に戻った。まだこちらを睨んでいる少年の気持ちを痛いほど理解しながら、彼は預言を公布した。

「彼の御方よりお預かりした御言葉をお伝えする。――女神の名に置いて、人の子よ、背信者に立ち向かう事を願わん。全ての者の大地と平和を守る為に……」

「敵は、女神の御意志に逆らうリフィテリア国と、女神の慈愛を捨てた裏切り者! 武器を手に取れ、人々よ! 我らの平和は我らが守るのだ!」



   ***



 壇上を降りたジェリクスは、額を押さえて息を吐いた。ぐったりと疲労感が身体を包んでいる。肉体的ではなく精神的に。いくら女神の御言葉でも、戦争を推奨する言葉を発するのはかなり気分が悪い。

「大神官さま、顔色が」

「大丈夫ですよ、ルート。一仕事終えて気が抜けただけです」

 そうですかと言った、まだ十代の新米神官であるルートは、物言いたげな顔でこちらを覗き込んでいる。発言を促すように微笑んで首を傾けると、彼はおずおずと切り出した。

「あの……先程のお話は本当なのですか?」

「先程……ああ、女神の」

 やはりそれかとジェリクスは笑った。彼は入信して間もないから当然だろう。女神を見る事が出来るのは、信仰の中心である神都に入る事が出来る、位の高い神官に限られているのだ。

「ええ、大神官の位を賜る時に。と言っても、かなり遠くからですが」

「やはり聖典の挿絵通り、金の髪と金の瞳をした美しい女神なのですよね!?」

 きらきらと無邪気と好奇心に輝いた瞳が勢い込む。純粋に女神を思っているその姿は微笑ましかったが、すっとジェリクスの顔から微笑みが消えた。

「……神都におわすのは、本当に女神なのでしょうか……」

「え?」

「今更ながら、嘘だと言った少年の言葉が浮かんできまして。……女神は一体何をされたいのでしょう。本来なら、その御力は今のような戦争が起こる時に使われるべきなのでは、と」

 神の言葉を預かる神官の発言ではない。しかし、ジェリクスはあの少年の言い分こそが正しいのではないかと思い始めていた。
 否、ずっと思っていた。おかしいと頭を捻る、民衆を煽るような神託は何度もあった。ただ、それらを考えないようにしていただけだ。

「全ての母である女神は全知全能。私たちを守るべき存在。なのに女神は私たちに戦いを命じられている。敵だ、背信者と申されるのなら、神自身が裁きを下した方がずっと良い。それが出来ないと言うのなら、あの方は、神ではなくて、」

「ジェリクスさま!」

 悲鳴に近い声に、ジェリクスは口を噤む。顔から血の気を無くし、ルートは大きく喘いでいた。

「どうか……どうか、それ以上は」

「……すまない。妙な話を聞かせてしまったね。忘れておくれ」

 ルートは恐らく純粋に、ジェリクスが背信者とされて裁きが下されるのを恐れたのだろう。真っ直ぐに、彼は女神を信じている。
 そして信じていない自分が女神の言葉を預かるのか、とジェリクスは皮肉に思った。

「どうやら、嘘吐きと預言者は同義語のようだ」

 顔に難解だと書いているルートに笑ってしまう。そうして神衣を翻し、神殿へ続く道を行く。頭の中で、女神の言葉が反芻された。

(敵は背信者……信仰を失った大国リフィテリアと、女神の意志を裏切った聖女……)

 どちらが真実で、どちらが偽りなのか。



 全てが終結するとき、裁きを下すのは、果たして。





嘘 吐 き と 預 言 者

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