光が空を斬った後、全ては音を無くした。

 彼の世界は紅い。飛び散った生暖かい雫がゆっくりと頬を伝い、汗に混じり、輪郭をなぞって顎から滴った。
 ぽたりと地面に紅が描かれたその時、バランスを失いつつあった『それ』が土台から転がり落ちる。

 一瞬の間の後、布を裂くような悲鳴を上げたのは誰だったか。

 恐怖は足を竦ませ、叫び続ける事で肺から空気を奪い、思考を無にする。それは伝染する。金色に飾り立てられた広間は、その時を境に阿鼻叫喚の場と化した。
 人々を恐怖と混乱の極みに突き落とした男は、ただ立っていた。ただ立って、目の前の『物』を見下ろしていた。

「――あ、ああ悪魔っ!」

 そう言った勇気のある女には拍手を送ってやりたい。ぎりぎりと音が聞こえてきそうなほどに目を見開き、大きく震えて立つ事もままならない為に兵士に支えられながら、女は彼に指を突き付けて言った。

「人殺し! 人の命を吸って生きるおぞましい怪物!」

 背後から浴びせられる言葉にゆっくりと振り向きながら、彼は、笑った。
 瞬間に、再びその場が凍り付く。
 しかし彼が笑ったのは人々に対してではない。彼は、自分自身に笑ったのだ。

 これは終わり。そして始まり。これから始まる戦いを知らせる音。腐った秩序は崩れ落ち、全ては解放される為に動き始める。
 世界を、人間を食い潰そうとしていた王は死んだ。過去の遺物は排除されるのだ。そうして自分も――

 近しい未来へ思いを馳せていた彼を、ぐるりと槍兵が取り囲んだ。その一人一人の視線を彼が絡め取っていく度に、兵たちは大きく震えた。
 その場で最も位の高い兵士長の姿があった。じっと視線を注ぐ。すると兵士長はごくりと喉を鳴らし、まるで自分の方が悪事を働いているかのように小刻みに震えながら、彼に告げた。

「国王殺害の現行犯であなたを逮捕致します――王子殿下」





   ***





 室内で四人の人間が話し込んでいた。

 一人は、亜麻色の髪を短く刈り込み、無精髭を生やした大柄な男。腰にはその身体に釣り合った剣を差している。名はライゲンと言い、多くいる騎士団長の一人である。

 もう一人は、眼鏡とひょろりとした体型が特徴的な年齢不詳の男だ。髪が長くざんばらで、二十代前半にも三十代にも見える彼の名はカーチス。口元に浮かぶ微笑が、この男が一癖も二癖もあるように感じられた。

 彼ら二人と向かい合っているのは、二十代に入ったかどうかであろう年頃の若い娘だった。白金の髪を纏め上げ、男物の固い騎士服と防具、細身の剣を装備している。勇ましい容貌から、彼女は【白金の騎士姫(プラティーヌ)】と呼ばれていた。
 年上の男二人に物怖じせずはっきり受け答えしながら、ふと、隣に立つ青年に眼を向けた。

「……ナイト? ナイト。ねえ、大丈夫?」

 彼ははっとして身体を揺らした。顔半分を兜で隠している彼は、眠っていたわけではないようだが慌てて周囲の様子を確認している。

「大丈夫? 疲れてるんじゃない?」

 最近強行軍だったから。そう言う彼女こそ、あまり顔色は良くない。

「疲れているのなら休め。無理をさせて倒れられたら、こちらが困る」

 机の上の地図に何事か書き込みながら、ライゲンがそう言う。この壮年の騎士の物言いは回りくどくなく率直で、人によっては思いやりがないと言われる事もあったが、実直な性格が良く表されていて彼を知る殆どの人間が好ましく思っていた。彼に付いてきた多くの騎士と、騎士団長という役職がそれを物語っている。

「いえ、その、少し考え事をしていて……」

 そう答えながら、どんな内容の話をしていたか思い出そうとしていた。

 確か、報告を受けたのだ。
 周囲の国々を吸収し大国となったスィンセシスが崩壊したのは、国王が殺害されたからだった。そうして王位を巡って、主に王弟一派と王太子一派が争いを始め、やがてその二つが同盟を組んだと報告されたのだ。吸収されてしまった各国の解放と独立を唱う、自分たち解放軍を打つ為に。
 そして、一度は国外に押し出されたものの、先日の戦闘で勝ち取った国内の領主の館で、自分たちは次に打つべき手を話し合っていた……はずだ。

 頭の中で一通り確認したところで、自分が情けなくなった。今までこんなに気を疎かにする事など無かったのに。ここが戦場なら、既に殺されている。

「……すみません。しっかりします」

「いいえ、本当に無理はしないで下さいね。あなたは大切な人ですし、プラティーヌの大事な護衛なんですから」

 カーチスは柔和な笑顔でそう言って、ナイトとプラティーヌの顔を見比べている。つられて彼女を見ると、首を傾けて微笑んでいた。

「ここは戦場じゃないんだし、あなたが仮眠するくらいなら離れていても支障ないと思うわ。最近、あまり眠れていないんでしょう?」

 ナイトは慌てた。もしもの事があったらと考えたし、何より彼女が自分の睡眠不足を知っているとは思わなかったのだ。いつも兜を被っている事もあって、そういう事は悟られないと思っていたのに。

「いや、でも、」

「休みなさい」

 笑顔で言い切られるこの状況には覚えがあった。こうなると、彼女は絶対に譲らなくなる。長い付き合いでそれが解っているから、抵抗は最初から諦めて、苦笑と友に息を吐きつつ頭を下げた。

「……分かりました。すみません、少し休みます」

 男二人にその場を任せ、プラティーヌには何かあったらすぐ呼ぶように十分念を押して、ようやくナイトは自室へ向かった。
 靴音が遠ざかる。やれやれとプラティーヌは息を吐いた。

「やっと休んでくれた。いつも私が言っても聞かないのよ」

「心配なんですよ。革命軍の中では、一番最初からあなたと共にいた人ですから」

 言われて彼女は笑う。しかし、カーチスは少し眉をひそめて、内心首を傾げた。一瞬、彼女の瞳が自分を嘲るように笑った気がしたのだ。

「あなたを一人で放っておくと、何が起きるか分からんからな」

「それ、どういう意味?」

 しかし次の瞬間には普段通りの澄んだ瞳が笑う。
 気のせいだったのかとまだどこか首を傾げながら、机の上に眼を落とした。笑みを削ぎ落とし、軍師の顔になって、静かに話を切り出した。

「――どうも、相手側の動きが妙です」

 すっと部屋の空気が変わる。

「今までのねちっこい攻撃に比べて、今回はあっさり退きすぎています。こちらの戦力が現在進行形で大きくなっている事もあるでしょうが」

「向こうも同盟を組んで大きくなっている。何か狙っているようにしか見えないな」

 その場の誰もが先程と比べて表情を厳しくしていた。戦う者の目だった。
 ライゲンやカーチスは、そんな眼はプラティーヌには不釣り合いに思える時があった。混乱を始めた国で誰よりも早く先頭に立った革命の星は、やっと二十歳になろうかという娘なのだ。
 瞳は厳しく研ぎ澄まされ、歌を口ずさむのが似合う唇と声は、戦士たちを激励し戦場で鬨の声を張り上げる。花に触れる手は無骨な剣を握り、本来なら薄布のドレスで包まれる身は、固い防具に覆われる。そして革命が行われる度、本当の名よりも【白金の騎士姫(プラティーヌ)】という異名が輝いていく。
 元の形が良いので美しさは損なわれるどころが別の意味で輝くのだが、それでもこの戦いがなければ、彼女は穏やかに暮らしていたはずだった。
 こんな娘に全てを背負わせてはいけない――そんな思いを抱き、また解放を願う為に、革命軍に集う者は多かった。

 じっと考え込んでいたプラティーヌは不意に顔を上げた。

「……同盟を求めていたクロイス国はどうなった?」

 青い瞳が意志の光を発する。
 一瞬面食らって間が空いてしまい、カーチスは慌てて答えた。

「ええと、現在交渉中ですが……」

「メイシュ、アルバートン、ジェンタル、マナ国は、同盟調印済みよね?」

 彼女の挙げた国名に、カーチスの脳裏に閃くものがあった。
 恐る恐る顔を覗き込んで、確認する。

「――一気に勝負をかけるつもりですね?」

 にやりと物騒な笑みがプラティーヌに浮かんだ。

「どういうことだ?」

「四つの国の位置を考えて下さい。それにクロイスを足して」

 言われて世界地図を思い浮かべ、ライゲンはあっと声を上げた。

「同盟国の援助を請えば、この国を包囲出来るのか!」

 この国は周囲の国を殆ど吸収した巨大国家だ。言い換えれば、周りには別の国が多数存在していたという事になる。そしてそれらの国々は、おざなりな政治に苦しめられて喘いでいる。メイシュ、アルバートン、ジェンタル、マナ、クロイスは、最も近くにある為に抗議も出来ず、強く苦しめられているのだ。独立の思いも強い。

「同盟国のリスクを考えて今まで出来なかったけれど、周辺に私たちと敵対する国はないのだから、一気に攻める事が出来るわ」

「二大勢力を抑え付ける事によって、他勢力にこちらの力を誇示する事が出来ますし、そうすれば内乱の勢いも弱まります。急いで使者を送りましょう」

 珍しく興奮した様子で言い、カーチスは急ぎ足で部屋を後にする。
 半ば呆気に見送った二人は、やがて顔を見合わせてお互いに肩を竦めた。

「他の将軍や騎士団長たちに、先に知らせるべきじゃないのかしら」

「それは俺がやっておこう。やっと戦争が終わる兆しが見えたんだ。反対はないだろう」

 宜しくねと言って、やがて笑みを浮かべた。

「期間的には短かったけれど、長かったわね」

「だが油断は禁物だ。あなたという導きを失えば、皆の士気に関わる上、あなたの意志に賛同した同盟国同士が争う可能性もある。あなたは今、この大陸の行く末も握っているんだ」

 責任を感じさせるような事を言ったのはわざとだった。それだけの危険性、そして可能性を秘めているというのに、彼女は時々自分に頓着しない所がある。

「解ってます。やる事は、まだまだたくさんあるもの」

 まだ死ねないわ、と答えたのをライゲンは鷹揚に頷いて、皆に知らせを持っていく為に部屋を出て行った。



 そうして室内に誰の姿もなくなると、プラティーヌは額を押さえて息を吐く。重い、疲れた溜め息。おもむろに立ち上がると、纏めていた髪を解き、剣を先に放ってから寝台に向かって倒れ込む。一応、ここは彼女の私室になっているのだった。
 柔らかな羽毛と清潔なシーツの感触を久しく思いながら眼を閉じ、やがてぐるりと反転して仰向けになる。疲れていた。ぐったりと身体も重いが、心の方も重かった。

 引っかかっているのは、カーチスの言葉だった。

 国王が殺され、混乱した国で真っ先に立ち上がった時、最初から側にいたのはナイトだった。もちろん、彼も本名ではない。素顔を隠す仮面と同じく、名前も。
 そうさせたのは自分だった。

「……心配、……ね……」

 時々考えてしまうのだ。そんな事があるのだろうか、と。
 欲しい物の為に、元々の彼を壊すようにしてここまで来た。今まで彼を形作ってきたものを闇に葬って。
 それまでの自分を消去同然にする事を承知して共に来た彼だけれど、彼はそれで良かったのだろうか。恨んではいないだろうか。

 彼に大罪を犯させていても――?

 怠さがやがて睡魔に変わっていた。プラティーヌは緩急を付けて襲ってくる眠気に勝てず、闇に呑み込まれていく感覚を覚えながら、机の上に穏やかな寝息を吐き出し始めた。





   ***





 夢を見る。
 大切なものが消えていく夢だ。

 巨大な闇が全てを噛み砕いていくのだ。

 ――抗えない。

 絶望の息を吐く。
 世界が紅く黒く染められ、屍の上に一人立っている。
 自分が殺してきた人々だ。
 まだ鮮やかな血の香りを含んだ生暖かい風が、ねっとりと頬を撫でていく。
 闇と風の笑い声が木霊する。
 その声が、自分を世界に一人にしていく。
 光は射さず、呪われた屍の道が続いている。
 空は黒い。
 黒い渦が低い音を立てている。
 やがて自分も呑み込まれるのだろう。
 そう思って眼を閉じた。

 すると、何かが光った。
 小さく光る星のようだった。
 光は小さく、けれど数を次第に増していく。
 内一つが大きく輝き始め、闇を呑み込むような光は言った。

『     』

 そして世界は白く染まる。





   ***





 ノックの音がした気がして目が覚めた。ふと枕元の置き時計を見てみると、時計の針は思ったよりも回っていた。
 そうしているともう一度扉が叩かれ、慌てて飛び起きる。

「はい! 何っ?」

 髪を撫でつけながら寝台を降りると、扉が向こうから開かれた。
 プラティーヌは何か言おうとして、寸前、本能が先に身を翻す事を指示した。剣を取る為だった。
 何故なら、無言で入った来た三人の騎士らしき者たちは、全身を外套で覆い、右手には抜き身の剣を持っていたのである。

「――曲者!!! 何をしにきたあっ!!」

 口を塞がれる前に大声で叫ぶ。

「どこの手の者だ!! 王弟か、王太子か!!」

 剣は遠くない所にあった。すらりと抜きながら鋭く相手を睨み付ける。
 しかし三人は当然怯みもしない。こちらが武器を持っているのを警戒してか、じりじりと壁際に追い詰める。退路は自ら飛び込むか、窓から飛び降りるしかないが、しかしここはかなり高い場所にある。

 ここまで来て抜かった――唇を噛み締める。けれど同時にほっとした気持ちもある事に、プラティーヌは少し驚いた。
 戦いの場へもう行かなくて良いのか。気を張り詰めて、血を見る事をせずに済むのか。誰にも誉められる事もなければ責められる事もない。自分が『自分』でなくて良い――



「ぐあ……っ!」

 不思議な気持ちは、一番扉側にいた刺客が倒れた事によって消えた。扉を破って立っていたのは、黒い兜と長衣の男。

「ナイト!」

 先程の気持ちは何処かへ消え、生き残ろうとする本能が、彼女に震えるような喜びを与えた。
 そして暗殺者たちの注意がこちらも戻る前に斬りかかる。再び相手は注意が途切れ、女の手でも容易く傷を負わせる事が出来た。

 その間に、ナイトは残りの一人を片付けていた。心臓を一突きだった。そして手傷を負った最後の一人とプラティーヌの間に入り、再び向かってきた剣を打ち払った。
 その拍子に頭を覆っていた外套が落ちて、暗殺者の男の顔が露わになる。
 蹴りを食らわし、壁に叩き付けられ剣を取り落とした男に刃を突き付け、少しも息を乱さずにナイトは言った。

「お前……王太子一派だな」

「知ってるの?」

 一応ナイトの後ろに立って訊ねる。

「ああ。見た事のある顔だ。確か小隊長だった」

「今は大隊長だよ。【鉄の騎士(ナイト)】さんよ」

 皮肉げに呼ばれた所で、ばたばたと足音が近付いてきた。開け放たれていた扉から、ライゲンを先頭に騎士たちの姿が覗く。後ろに大きく息を乱したカーチスの顔をもあった。

「プラティーヌ! 一体……」

 二人を含め、騎士たちは床に動かぬ人間を見て一瞬ぎょっとし、次にナイトが刃を突き付けている男を見て全身に怒りを滲ませた。
 しかし、誰かが口を開く前にプラティーヌが言った。

「私を一人で放っておくと、何が起きるか分からない?」

 ライゲンは気力を削がれて脱力した。それがつい先程彼女に言った台詞である事を思い出したのだ。カーチスも同じく苦笑する。

「……ああそうだ。全く!」

 ぎろりと生き残りの暗殺者を睨む。両手を上げてへらりと笑う姿に、あまり反省の色は見られない。
 この太い性格に若干呆れながら、プラティーヌは男に告げた。

「……王太子に伝えなさい。刻一刻と時代は変化しています。あなたがたの考えは既に過去のもの。考え方を変えねば、やがて朽ち果てていくでしょう。だから変わろうとする者を止めるな、と」

 プラティーヌ、とライゲンが呼んだ。彼女の言葉は刺客の解放を意味している。このまま送り返すよりは見せしめに、と言いかける彼に、彼女は向き直って微笑んだ。

「籠に入れる必要のない鳥ならば、入れないでおきましょう。殺さずに済む命も、また同じ」

 ライゲンは低く唸り、カーチスは深く息を吐いた。これでまた彼女の株が上がる。
 お行きなさい、と告げたプラティーヌに、男は下卑た笑いを浮かべた。

「全く、革命軍の【白金の騎士姫】はお優しくていらっしゃる。――だから俺みたいなのに殺されるんだよ!!」

 その時彼女の意識は扉の方に向いていた。眼だけが飛んでくる細いナイフを捉え、冷静な意識が、ナイフの軌道が真っ直ぐ首元へと向いているのを確認した。しかし、身体は全く動かなかった。

 だが、暗殺者の動きは、【鉄の騎士】には敵わなかった。プラティーヌの身体を押し退けると、抜き身のままの剣を立ててナイフを弾き、更にその剣を一閃させた。

「ぐ、ああああぁあっ!」

 ぼたりぼたりと地面に血が降り注ぐ。血の溜まりには人差し指一本だけが転がっていた。男の他の指には傷は付いていない。ナイトの剣技に、思わずライゲンたちの心胆が冷える。

「彼女に対する裏切りの賠償だ。置いていけ。指一本だから死にはしない」

 それでも激痛には変わりない。額に脂汗を滲ませ、苦々しげに顔を歪めていた男は呪いの言葉を吐いた。

「くそっ! 呪われろ、次王に反逆する馬鹿者共が! 本当の王が即位した時、お前たちは俺が殺してやる」

 くっと笑い声がした。その狂気じみた声を、プラティーヌたちは驚いて聞く。
 笑っているのはナイトだった。唇が奇妙に歪んでいる。
 膝を付くと、男の襟首を引き寄せて囁いた。

「相変わらず大口を叩くのはお得意のようだ。やはり、あの時殺しておくべきだったかな。僕に槍を突き付けたお前を」

 男の目が見開かれる。視線が合うように少し離れると、ナイトと眼を合わせ、かたかたと震えだした。「ま、まさか……」と信じられない物を見るような眼で、次第に大きく震えていく。

「ま……さか……まさか、【戦神】ロー、」

 だんっと鼻先を剣が掠めて地面に突き刺さる。ひいっと引きつった声が上がり、彼に重々しい声が宣告がなされた。

「今度こそ僕の前に現れるな。――三度目はないと思え」

 悲鳴を上げて後退れば、がっしりと騎士たちが待ち構えていた。外へ連れ出された彼がどのような恰好で味方の元へ帰るのかは、革命軍の騎士たちの手によって掛かっている。
 ライゲンとカーチスの指示で連れて行かれる暗殺者たちを見送る。この部屋はもう使い物にならないだろうと思いながらナイトは血に汚れた刃を拭っていたが、ふと、じっと見つめてくるプラティーヌに気付いて顔を向けた。

「……何?」

「あ……うん、……」

 歯切れの悪い答えだったが、やがて言いにくそうに訊ねてきた。

「……どういう、知り合いだったの?」

 何故そんな事を聞いてくるのか解らず、けれど真剣な眼が答えを求めているので、取りあえず正直に答えた。

「昔、戦場で殺されそうになった事もあったし、一番最近は、槍を突き付けられたり、囚われている間は事故に見せかけて殺されそうになったよ」

「……革命軍が組織される前?」

「そうだよ」

 言いながら、表情が段々暗くなっていくのが気に掛かって、そっと覗き込む。

「どうかしたのかい」

 どこか迷った風なのを、彼女が口を開くまでじっと待つ。
 やがてようやく、視線を落としたままぽつりと言葉が落とされた。

「――これで良かったのかしらって、思ってるの」

 何がと心の中で問い掛けながら続きを促す。

「あなたの……人生を狂わせたのは、私だわ。あなたの国も、両親も兄弟も、本当の名前も全て奪って、ここにいる事を強いたのは。私は、あなたに辛い道を選ばせたのではないかしら」

 顔が歪む。ずっと考えていた事がどっと溢れ出して止まらない様子だった。

「私、あなたに無理をさせてきたのではない? 罪悪を感じさせていない? 戦いが終わろうとしている今、それだけが気がかりなのよ」

 ナイトは答える代わりに、手袋が彼女の頬を傷付けないように、極力そっと手を添えた。

「――夢を、見たよ」

 不思議そうに青い眼が瞬く。

「空が黒くて、風は温く、足元では腐臭がしていた。……僕が殺してきた人たちだと思う。顔も覚えていないけれど」

 それは自分がやらせてきた。そう思っているであろう歪んだ彼女の顔を覗き込む。

「闇は動き出して全てを呑み込もうとした。けれど、光が現れた。光は星のように小さかったけれど、段々大きくなって闇を包んだ。気が付けば、光は君の姿になっていた」

 額を付けて、囁き合う。静かに、秘密の話をするように。

「どうすれば良いのか分からなかった僕に、君は道を示してくれた。僕はそれを選び、結果、君の隣に立つ事になった。だから、国を裏切った事も父を殺めた事も、僕が選んだんだ」

「……っローリ、」

 本当の名を呼ぼうとする彼女を制して、強く言った。

「僕は人の命を奪うだけの『彼』とは違う。ここにいるのは、霜剣の使い手と言われる【鉄の騎士(ナイト)】だ」

 それでも彼女は何かを言いかける。

「君の全てを奪ったのは僕でもある。――君の国を、愛すべき人を。名前を奪い、戦いの中に君を置いた」

 はっとしてようやくプラティーヌは口を噤む。
 彼は何でもない事のように笑って、彼女の肩を抱いた。

「だからこの話は終わり。君はずっと真っ直ぐ、前を向いていてくれれば良い。障害を光で照らすのは君で、切り開くのは僕だ。前や後ろに立つのではなく、並んで共に行こうと決めただろう?」

 プラティーヌは頷き、やっと顔を上げ、少しだけ笑った。

「『振り下ろす方向が決められていなければ、力はただの破壊にしかならない』――そう言ったのは私だったわね」

 プラティーヌが上げた拳に、ナイトが同じようにして打ちつける。そうして互いを見つめた後、どちらからともなく抱き合った。恋人に似ている、心に近い同胞に対する抱擁だった。
 そうして二人が離れた時、プラティーヌは瞳に再び強い火を灯していた。

「さあ、いきましょう」

 みんなの所へ、と手を差し伸ばした彼女に、彼は意味ありげに笑う。
 何かと首を傾げる彼女に、いやと一度断って答える。

「夢の中でも、君はそう言っていたよ」

 彼女は大袈裟に眼を見開き、次に笑う。

 開かれた扉を足を向け、【白金の騎士姫(プラティーヌ)】イヴェール・ユス・リディアと【鉄の騎士(ナイト)】は、そうして共に歩き出した。





霜 剣 の 使 い 手

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