シルバーラント王国の歴史を紐解くと、ついルナ・シルヴィアという名前に目を引き寄せられがちだが、名前が残らなかった王子王女も数多くいることに注目せねばならない。ルナ・シルヴィアという名前の王や女王たちに逸話は数多くあれど、王たる名前を持たなかった王家の人々にも、逸話は伝えられているのである。

 その一人に、ルディアという王女がいた。その時代、ティルコントの大地は長く続いた戦乱期から時代を経て安定を取り戻し、緩やかで平和な時代が始まっていた。だからこそ、ルディア姫は剣だこも弓矢や刃物の傷もない真っ白の美しい指をしており、その指には、彼女が特別に作らせた銀の指輪が輝いていた。
 ルディア姫には特殊な性癖があった。
 銀、に執着するというものである。
 元々相場の高く産出の少ない価値ある金よりも銀を好んだ王女は、身につけるもの、身の回りのものをすべて銀色で統一した。銀と金剛石で作ったシャンデリア、銀色の壁紙、銀縁の鏡、銀食器はたくさんのものがあったし、銀色のドレスや銀と宝石の装飾品は数えきれないほど持っていた。ルディア姫は茶色の巻き毛に青い瞳をした姫君で、彼女の不満は髪の色や目の色が銀でないことだったが、多くの国民はそのことに安堵していた。銀色の髪と紫の瞳の王女は、どんなことがあっても王位に就かねばならないというのが、シルバーラントの掟だったからだ。
 その王女も年頃になり、同国の貴族、ラルト卿が婚約者に当てられた。ルディアはラルト卿も気に食わなかった。彼のきらきらと輝くだけの金色の髪も、それと同じくらいまっすぐな明るい色の瞳で「もっと国のことをお考えなさい」と言うことも。

 ある日、ラルトはルディアを訪ねてきて言った。
「あなたとの婚約をなかったことにしたいのです」

   *

 ぎりぎり、と自ら歯を噛む音に気付かず、狭い馬車の中、ルディアは銀の指輪がはまった手を握りしめては開き、髪をかきむしろうとして、せっかく整えたのだからとこらえることを繰り返してた。気分転換にと窓を開けようとし、困惑の大人たちの表情と子どもたちの歓声、広がる光景にぴしゃりとカーテンを引く。
(悪夢だわ!)
 しかしここで引き返してはと自尊心が動き、ルディアは大きく呼吸して、目の前に敵がいるつもりで睨みつけた。コルセットは十分に締め上げたし、髪も銀の髪飾りと銀粉で飾っている。指の先は銀で塗り、ドレスも靴も銀で揃えた。銀で囲まれた自分は、シルバーラントの王女にふさわしい姿をしているのだから、何を臆することがあるだろうか。
 やがて、馬車が止まる。しばらく従者たちが準備をと整える時間があり、やがて声掛けがされ、ルディアは答えた。
「開けなさい」
 風が吹き付ける。手をとらせ、銀の織物の上に降り立ったルディアは、目の前に広がる光景に、やっぱり一瞬怯んだ。
 見渡す限り、金色。
 季節は秋。実りの季節だから、この光景は当たり前かもしれない。広がるのは、麦の畑だった。あちこちに生えてきたように棒立ちになった村人がこちらを見入っている。
 銀と相反する色彩に、ルディアは苛立った。
「ウルリア・ドッソ」
 従者が名を呼ぶ。ルディアは顎を上げ、引っ立てられるようにして転がり出てきた娘を見下ろした。
 こちらを見上げ、瞬く目は青。頭巾を取って現れた髪は茶色をしていた。つまり、ルディアとまったく同じ色なのだ。しかしその姿は雲泥の差があり、ルディアが王族としてふさわしい身なりをしているのに比べ、娘の姿は色が落ち、すり切れたワンピースドレスに、生成りの前掛けをした、いかにもあか抜けない村娘の格好だ。
 けれど、その村娘、ウルリアの目は恐れなどまったく感じさせないほど澄み切って、まっすぐにルディアを見ており、戸惑いに瞬きは激しいものの、臆することなど何もないという表情だった。
「お前がウルリア・ドッソ?」
「お前がウルリア・ドッソか? 答えよ、ドッソ」
 従者がルディアの言葉を伝えると、ウルリアはにこっと笑った。
「はい、ルディア王女様」
「わたくしと直接言葉を交わすことを許可します。ウルリア・ドッソ。わたくしが今日ここにきたのは、お前の金とわたくしの銀を交換するためです」
 従者に手を振って差し出させたのは、銀色の匙。丁寧に磨き上げ、宝石をはめ込んだものだ。村人たちの間で、かすかな悲鳴やそれを飲み込んだ音があがる。当然だ。純度の高い銀と、宝石。刻印にルディアの名前がある。貴族でも手に入れることは難しい代物だと、ルディアは唇に笑みを刻む。
 ウルリアがぱちぱちと目を瞬かせていた。
「あの……王女様? 私の身なりを見て分かると思うんですけど、私の家は先祖代々百姓で、王女様が欲しがるような宝物なんてこれっぽっちもありません。王女様が言ってること、何のことだか分かりません」
「そんなはずないわ。ラルトが、お前が金を持っていると言ったのよ」
 静かに低く言い放ったルディアにとは対照的に、ウルリアは不思議そうに首を傾げた。
「ラルト……?」
「これ。これ、ウルリア。それは、この前お出でなすった貴族の若様じゃないかね?」
 平伏しそうに顔を伏せて、挙動不審な老婆がウルリアにささやいた。彼女はぽんと手を打った。「ああ、あの金色の髪の!」と言い、しかしやはり疑問だらけの顔で考え込む。
「やっぱり、『金』っていうのが分かりません。何か勘違いしてるんじゃないですか? 詳しく話してくれませんか?」
 ルディアは唇をひくつかせた。
「わたくしと、対等に話をしようというの?」
「許可をくれたのは王女様ですよ。それじゃあ、ちょっと行きましょう!」
「なっ!?」
 いきなり、ウルリアはルディアの手を取った。あまりに不意のことで、従者たちの反応は遅れた。もしかしたら戦乱期を生きていないせいで、平和ぼけしていたせいもあったかもしれない。ルディアもまた、温かく固い手にぎょっとしたせいで、そのまま引かれてしまう。
「で、殿下をなんとする!?」
「お付きの皆さんもそこで待っててください! 二人っきりで話すんで!」
「お待ちなさい、わたくし、行くなんて一言も……!」
「王女様にだけ、私の金を見せますから」
 ウルリアはにっこりと言い放ち、ルディアの手を取ってどこかへと誘った。そう言われてはルディアも異論を唱えることは難しく、村娘の言う通りに後に続いた。
 ルディアは長い裾をずるずると茶色い土に引きずり、踵の高い靴ででこぼこ道や丘でこけそうになりながら、額に汗をにじませ、首にほつれた髪を張り付かせて、鼻歌を歌いずんずんと歩くウルリアの後を追う。
「どこまで行くつもり!?」
「すぐそこですよ」
 もしこの女が暗殺者と手を組んでいたらどうしよう、とルディアは考えた。考えないと、呼吸と疲れでへたりこみそうだった。もし自分を殺そうとしているなら、今のルディアを始末するのは簡単だろうと思う。ふらふらだし、ぜえはあ言っている。
(…………)
 ルディアは少し考え、立ち止まった。ぐん、と引かれた手でウルリアが振り返り、「どうしました?」と心配そうに尋ねる。
 いきなり、ルディアはドレスの裾を持ち上げた。そして、足が収まっていた銀色の靴を取って放り投げた。
 わあ!? と後ろで声が上がる。ついてきた従者たちが靴を回収したことだろう。
「見るんじゃないわよ」
 目を丸くしているウルリアに苛立って言うと、ウルリアは何の悩みもなさそうな顔でにこっとした。
「そういうの、私好きです。さあ、あともうちょっとですよ!」
 裸足で立つ地面は、案外柔らかく、思ったより固いものだった。砂の粒がさらさらとまとわりついてきてくすぐったい。しかし時々石を踏んで痛いので、ルディアはずっとしかめっ面になる。
 太陽が傾き、日差しが向こうから照りつけて、白い肌をじりじりと焼いた。涼しい風が吹いてくるが、頭に熱がこもって重いように思えたので、ルディアは髪飾りを抜いた。茶色の髪が首もとに落ち、うねる。風がその間を吹き抜けていった。そうすると、重い指に気付いてしまった。だから指輪を抜いて放り投げ、軽くなった指で髪を梳いた。
「到着です!」
 ウルリアが足を止めて、ルディアの歩みも止まった。彼女の隣に並んで立てば、目の前に広がっているのは、黄金に染まる果てしない大地だった。
「嘘つき。全然『あとすこし』ではなかったじゃないの」
「すみません」とウルリアは肩をすくめた。
「この丘、私たちの村の土地が見渡せるところなんです。もう、ここしか思いつかなくて」
 風で波打つ麦畑が見える。まるで金色の湖や海のようだ。作業している村人が、人形のように作り物めいた調和を持って立ち働いてた。太陽は夕暮れに近付き、金の光を投げかけている。空は太陽の周りから同じ色に染まり、雲が淡い色で、風にゆっくりと身を任せている。
「王女様が言ったラルトさんだったと思うんですけど、その人をここに案内したんです。いろいろ話をしました。税がちょっと苦しいとか、王女様が銀ばかりに目を向けるせいで金の価値が落ちている話とか」
 ルディアはウルリアを見た。彼女は、責めてはいない。事実を言っているだけなのだという、清らかさがあった。
「何があったんですか?」
 その透き通った目で、彼女は尋ねる。
 ルディアは笑った。
「わたくしが話すと思って?」
「そのために二人きりになったんです」
 一度目を閉じ、ルディアは息を吐いた。芳しい香りが風にある。何の香りだろう。
 そして、話し始めた。

「……はあ。ラルトさんが婚約破棄」と、ウルリアの相づちはなんとも間が抜けたものだった。
「そうよ。それでわたくし、ラルトを心変わりさせた女の顔を見てやろうと思ってここに来たの」
 緑が金色に褪せた草の上で並んで座り、ルディアはそう言って膝に顔を埋めた。
「でもあなたの言動を見ている限り、そんな甘い雰囲気なんてこれっぽっちもなかったみたいね」
「私も口説かれた覚えがありません。勘違いじゃないですよね? 何がよかったんだろう……」
 苦悩するようにうなってしまうので、ルディアは声をたてて笑った。
「え、なんで笑うんですか?」
「ラルトが報われないなと思っただけ。わたくしに婚約破棄まで申し出てきたのに、当人にはそんな気がないのがおかしいわ。ようやく本当の相手を見つけたと思ったでしょうに」
 ルディアの言葉に皮肉を感じたのか、ウルリアが聞いた。
「王女様が好きな方じゃないんですか?」
「さあ、どうかしら。わたくしはラルトが自分の領域に入ることを拒んだ、なのにいて当然という顔をしてきたから、もうどういう気持ちなのか分からないわ。ラルトの気持ちも分かるような間柄じゃなかったけれど、今、わたくしに分かるのは……」
 ルディアは地平線を見やった。今はあかがね色に染まる大地がある。シルバーラントという国に金色の風景があるのはどこかそぐわない気もしたが、この国にも、セーマイェーラが投げかけた太陽の光が降り注ぐ。それを嫌に思う気持ちは、もうなぜか消え失せていた。
「あの人はわたくしにはないものをあなたに見出したということ。そしてわたくしは、悔しいことにそれが分かってしまったこと」
 ウルリアの困惑は深まったようだ。
「人間として、王女様と村娘に差はないとは思いますけど。私とルディア様だったら、ルディア様の方がいいなあと思いますけどねえ……」
「わたくし?」
 ルディアが驚いた声を上げると、それこそ驚きだと言わんばかりにウルリアが声を上げる。
「だって、綺麗だし、言葉遣いもいいし、教養もあるし……」
 ルディアは首を振った。
「それだけよ。ただ、それだけ」
「それだけじゃありませんよ。だって、シルバーラントを愛しているじゃないですか」
 どうしてそんなことを言われるのか分からなかった。ルディアが問いかけるためにウルリアの顔を見ると、彼女は焼けた肌をもっと深い黄金色に染めて、笑って言った。
「あれ、そうじゃなかったんですか? 銀って、シルバーラントの色でしょう? 初代女王ジルフィア・ラントが名付けた国の名前の起源でしょう?」
 ウルリアの髪がそよぐ。青い瞳が笑う。同じようにルディアの髪も。ルディアは自らのドレスを見下ろし、それを触った。さらりと、銀糸と絹の感触があった。やがて思いは、自分の身の回りを固めたあらゆる銀色に及ぶ。
 どうしてここまで執着するのか、分かってしまった。
 わたくしの愛する色。わたくしの色。わたくしが持って生まれなかった色。
 わたくしの、愛する色。
 銀は、シルバーラントそのものだったのだ――。
「……あの」と不安そうにウルリアはルディアを覗き込んだ。
「もしかして、間違ったこと、言いました? すみません、神殿で習ったけど、間違ってたかも……」
「いいえ。間違っていなくてよ。そうよ、そうだったわ。銀は、シルバーラントだったわ。わたくしの愛した銀色だった」
 ルディアが微笑むと、安堵したようにウルリアは息を吐き、立ち上がる。差し出された手は、美しい太陽の色に染まっていた。
「さあ、戻りましょう。日が落ちると真っ暗になりますからね。あ、でもこの村は星が綺麗ですよ。星、好きですか?」
「ええ。銀色だから」
 ウルリアはにっこりした。「そうですよね!」と。
 でも、とルディアは言葉を続けた。
「でも――金色も悪くないわ。この『金』は」
 ルディアが振り向く先で、夕日は光を投げかけ、大地と二人の娘の髪を黄金色に染めていた。
 戻ったら、少しずつ銀を処分しよう、とルディアは思った。あの太陽のあかがね色を、この空の紫と藍色と、木と草の緑と黄色を、セーマイェーラが投げかける色彩を少しずつ身につけたていきたいと思った。銀を持たなくても、シルバーラントを愛することはできるのだと、ようやく思えるようになったと感じた。
「ありがとう」
 王女の言葉に村娘は微笑んだので、ルディアもウルリアに向かって微笑んだ。
 そしていつか、特別なときには、彼女の見せてくれたこの麦の穂の金や、自分が愚かだった象徴のあの匙のような銀を身につけよう。忘れないために。






 金 色 の 麦 の 穂 と 銀 の 匙

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