最期まで、望んでいなくとも彼女は絢爛の中にあった。
 都の神殿の鐘楼が鳴っている。空に高らかに、大地に重く響き渡る。それは人々に彼女の死を教え、別れを促す為の音色だ。それを間近に聞く葬儀の参列者はそれ相応の身分を持つ者ばかりで、死者の地位を考えれば極々自然なものだった。
 彫刻された黒木と細かく細工された金で出来た棺の中で眠る人は、簡素ながら織りに織られた豪華な衣装に身を包み眠っている。死者はとてもとても老いていたが、彼には輝かしいばかりに美しい女性と映っていた。輝きを失った銀髪も開く事のない青い瞳も、乾いた唇やそこから紡がれる声、肌の皺でさえ今も彼は愛していたが、脳裏に浮かび目の前の人と重なるのは、月よりも明るい白銀の髪と宝石のような青い瞳を持った、輝く生の絶頂にあったその人の姿だった。
 献花を始めるよう司祭が促す。この場の最たる者の次に、彼は花を捧げた。最初に捧げられた美しい豪華な花に霞む、弔われる彼女の身分や、棺や人々や甘い匂いのする一本の蝋燭にさえ似つかわしくない、僅かに枯れた花の束だった。

「……あなたが愛した場所の、あなたの愛した花です」

 月影草。白く丸い小さな花びらを持つ、この国では一般的な雑草とも呼ばれるような花。国の辺境エイヘンシュタットで過ごした時間で、彼女が愛でた花だった。
 エイヘンシュタットの約二十年を真に知る者は数少ない。彼女のその時は不遇の時代とされ、同情を持って語られる。彼女があの小さな世界をどんなに慈しみ、そこに生きる人々や自然に触れ、その時間をどんなに愛したか。捧げられる花もない中で、自然に咲く小さな月影草をどんなに愛おしんだか。
 もし今彼女が表情を動かす事が出来たなら、と考え、彼は微笑んだ。きっと生きていたとしても、彼女は無表情に花を見遣って放っておき、誰もいなくなった一人の時に花を愛でるのだ。彼女はそういう人だ。

「あなたの生まれくる次の世界に、祝福が多く降り注ぎますように」

 棺を離れ、立ち位置に戻る。彼の後に人々が続き、花を捧ぐ。月影草の花束はあっという間に美しい花々に埋もれて見えなくなった。
 その様子を、彼は胸の中でそっと抱えた。彼女の最も自由だった時間が殆どに知られないのと同じ。埋もれ、知られずに行く。その彼女の時を知る事を彼はとても幸福に思い、これからもいつまでも思い出し続けるだろう。



 銀の月の国の女王ルナ・シルヴィア・シルバーラント。王位を巡る陰謀に巻き込まれ、辺境エイヘンシュタットに追い遣られて約二十年を過ごす。異母弟ルマンド王崩御の後、即位。その後の彼女の治世は長く、改革的なものであった。



 輝かしく讃えられる彼女の歴史の中で、月影草を愛でた時代を知る者は、今はもう殆どいない。





月 影 草 の 花 束

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