第9章 闇と死の女王

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 女王陛下はどうやらお休みのようです、と衛兵は答えた。激務が続いて疲れ切って眠っているのだろうとオルフは考え、イムレの手を引いて庭へと足を向けた。
 イムレは肩を落としてしょぼくれていた。仕事で忙しい母に夕食を一緒に摂りたいと言いに来たけれど、いつもその望みは叶わない。多忙なのはギシェーラが何もかもを背負い込みすぎるからだ。結婚しても王位の責任をオルフに一部たりとも譲ったりしなかった。
「……母上…………死なないよね? 死んでしまったりしないよね?」
 もうすぐ七歳になる息子が不意に泣き出し、オルフは驚いた。
「どうしてそんなことを。母上は死んだりしないよ。毎日忙しいだけだ」
「だって母上の妹……叔母上は突然死んでしまったんでしょう?」
 内心で苦々しく思った。ヴァルヒルムへの外遊に同行した臣下たちが、ジゼルにそっくりな女性がいたと吹聴して回ったせいだ。すると皆ジゼルがもともと病弱だったこと、それにしても突然亡くなったことを思い出し、死んだと見せかけて亡命したのではないかと言い出す者まで現れていたのだった。ギシェーラが疲弊しているのも、そうしたありもしない真実を嗅ぎ回る者たちの相手をしているせいだ。
「忙しすぎて病気になって、叔母上と同じように死んでしまったら……」
「大丈夫だ。そうならないよう、みんな母上を助けているし、僕が母上を守るよ。だから心配しなくていい。イムレは母上が望むよう、健やかに大きくなればいいんだ」
 ほら、と廊下の隅に控えて黙礼するイムレの教師、ゲレールトを示した。
「ゲレールト先生が迎えに来た。頑張って学んでおいで。何かあったらすぐに僕や母上を呼ぶんだよ。すぐに駆け付けるからね」
 涙をこらえる息子をぎゅっと抱きしめる。
「父上。父上も母上も、僕を愛していますか?」
 すぐに答えられなかったのは、それを問う顔が子どもに見えなかったからだ。だが瞬きの間にその表情は消え去る。誰と重なったのかわからないまま、オルフは答えた。
「もちろんだよ。僕たちは君を愛している」
「僕も……僕も父上と母上を愛しています」
 イムレは照れたように言って頬に口付けた。
「いってらっしゃい、どうかお気をつけて、父上」
「行ってくる。いい子でいるんだよ」
 同じく頬に口付けを受けたイムレはゲレールトに手を引かれていってしまった。それを見送ったオルフの額は薄く汗をかいていた。
(どうしてあんなことを……)
 母親の状況をわかってわがままをこらえてしまう賢いイムレだが、寂しさは拭えないからこそあんなことを聞いたのだろう。そう思って自分を納得させる。
 一緒に暮らしていてもどこか遠い、そんな家族が自分たちだ。本当はもっと甘やかしてやりたいのに、ギシェーラがイムレに求めるものは厳しかった。暖炉のそばでひとときでも集うそんな家族になりたいと思っていたのだけれど、ギシェーラはおとなしく揺り椅子に揺られて物語をするような人ではないか、と苦笑した。そして思う。――ジゼルなら、自分の思い描く家族を作ったのかもしれない。
 でも彼女は死んだ。もういない。たとえ別の名を持つ人間になっていたとしても、もうロイシアに彼女の居場所はない。
 なのに何故か、恋しい。
「閣下。そろそろ出立のお時間です」
 これから《死の庭》からの被害が深刻になっている東部へ調査に赴く。予定では被害状況を確認し、必要ならば神法司を手配して浄化を行わせる。冥魔の出没回数が増えているというのが気になるところだった。
 告げた騎士に、オルフは指揮官として答えた。
「今行く。準備はどうなっている?」
「整っております。神法を練りこんだ武器だと神法司どもはうたっておりましたが、どこまで真実かわかりませぬ。陛下は聖職者を重用しすぎなのでは」
「止めてくれ。君の非難する女王は僕の妻だ」
 騎士は引き下がったが、彼の懸念はオルフや王宮の者たちが抱いているのと同一のものだった。
 知の女王としての地位を築きつつあるギシェーラの命令で、たったひとつ解せないのが城にいる神法司たちの処遇だった。どの国にも神法機関から伺候している神法司がおり、王侯貴族は彼らを手厚く遇しているが、宮廷内の役職や爵位を得ることができない彼らを政治的な場に同席することは滅多にない。だがギシェーラは彼らの意見を取り立てようとする。特に昔から城にいるホメロスという神法司の言動は目に余った。自分は寵愛を受けていると思い上がった言動を繰り返しているのだ。それがまたギシェーラの陰口になった。聖職者を優遇し、国民と臣下をないがしろにしているというのだ。
(そして僕は女王に意見できない情けない夫というわけだ)
 息を吐き出し、前を見る。
 時間が経つごとに深刻になる《死の庭》による被害。いったい世界はどうなっているのだろう。ジゼルとそっくりなプロセルフィナという少女に理由があるのか。
 ジゼル、君が世界を呪ったのか?
「閣下」と騎士に呼びかけられ目がさめる。居並ぶ精鋭たちにオルフは声を上げた。
「――出発!」
 そうしてオルフ率いる調査隊は東沿岸地域に向けて発った。

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