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今はいない君 / 終わらないものがある / ありがとう、大好きよ / ――「        !」



今はいない君

 整理した品物の中には、たくさんの思い出が詰まっていた。もちろんがらくたも多かったけれど、今までアンダーグラウンドで暮らしてきた人たちの、写真、思い出の詰まった品物、後から生まれてくる子どもたちに受け継がれていく玩具も多く、ほんの少し彼らの過去に触れられた気がした紗夜子だった。
 衝撃的な真実から数日。第一階層に構えられたキリサカ家の屋敷、基地となる場所に、多くのものが運び込まれてきた。思い出の品に隠されて、武器が大量に収納されたことを、近隣の住民はきっと知らない。
 キリサカ邸に無事荷物を運び込んだ紗夜子は、先ほどの戦闘をねぎらうライヤに許可を貰って、建物内部を見て回っていた。新築の家は建材のにおいが残っていて、まだ人の住んでいる感じがない。まるで火を放たれてしまったかつての自分の家のようだと思う。時間が、隅の方に固まって、決して慣れてくれないでいる感じ。台所はフルフラットの対面キッチンで、広いリビングが見渡せる。しかしほとんど使っていないのか水の気配がなく、食器もとりあえず収めている状態のようだ。
(お人形さんの家、って感じだな)
 二階へ上がる。誰かの気配を感じて息を殺した。キリサカ邸にいるのだからそれほど警戒しなくてもいいかもしれないが、とっさに構えてしまうようになったのはもう性としか言いようがない。
 奥の部屋の扉が開いていた。そっと中を覗き込んでみると、窓辺に立つのは、なんてことない、トオヤだった。
「紗夜子」
 すぐにこちらに気付く。「何してるの?」と声をかけたが、トオヤはちょっと歯切れの悪い返事をした。
「ん……」
「きれいな部屋だね」
 と話題を変えようとしたものの、言ってからこの部屋の不思議な感じに気付く。ぐるっと見てみて、納得した。箪笥も椅子も、女性の好みそうなものなのだ。薔薇柄のカバーがかかった鏡台があるから余計にそう思う。これは、女性のためにあつらえた部屋だ。
 おそるおそる、トオヤを見る。父親がどこかの女性と懇意にしていることを、激怒しているのかと思ったのだ。けれど、トオヤはどこか遠くを見ていた。多分、窓、そこから見える景色の、どこか遠くを。
「……母親が」
 誰ともなしに呟いている。
「よく窓の近くに座ってて……こういう部屋だった気がするんだ。一緒に窓から景色を見てた。俺は、すっげーちっこかったけど」
 トオヤとライヤは第三階層に病弱だった家族を置いて、アンダーグラウンドに降りてきた。
 多分、二人の態度から見れば、その人はもう。
「似たような部屋作って罪滅ぼしとか、罪滅ぼしになってねーっつの」
 父親を嘲笑して、トオヤは背を向けた。その背中を追いかけて、紗夜子はトオヤの手を握る。
 ぎゅうっと、強く。
「紗夜子?」
「な、なんとなく!」
 顔を合わせられないまま、ぎゅうぎゅうと手を締め上げる。左手には痛覚はないはずだから、多分振動だけがほんの少し伝わっているだろう。
 けれど、もし感覚があるなら痛いと思って顔を歪めるくらい、紗夜子はその手を、きつくきつく握る。
 トオヤはしばらくしてから、くしゃりと笑って。
「……サンキュ」
 少し軽くなった様子で、紗夜子の頭をわしわしとやった。

20120807初出
20140810修正









終わらないものがある

 ぺちん、と気の抜けた音で目を覚ました、途端、どっと汗が吹き出た。頬を軽く叩かれたことなんて吹っ飛ぶくらいに。
「息しろ。ゆっくり」
 極力命令口調にならないように言葉を用いるトオヤだけれど、この時は厳しかった。そうでなければ紗夜子が苦しい思いをすると分かっているからだ。触れていた手を、爪を立てるみたいにして強く握る。忙しない息、横になっているのに揺れる視界、胃がひっくり返ったみたいな気持ち悪さ。夢見が最悪だったせいだ。
 目をつぶる。こめかみに汗が流れる。
「吐き、そ……」
「吐け。抱えてやるから」
 言った通り、トオヤは紗夜子を後ろから抱いた。途端、気持ち悪さが最高潮になって、床に向かってえづいた。けれど出なかった。トオヤがお腹を押さえていて、身をよじって苦しいとなじりたいけれど、吐かせるためなのだ。分かっていたけれど、堪えてしまう。涙が出た。
 でも、夢の中にいた人たちは、二度と泣くことができない。
 抱えるんじゃなかったのか。目を背けないんじゃなかったか。こんな風に優しくされる資格がないとは言わない。けれど、忘れてはいけないのだ。夜の真っ暗な部屋が、段々と赤く明滅する。私に流れる血の色だ。
 吐かせることを断念したトオヤが離れ、キッチンから水と錠剤を持ってきた。無理なときは薬を呑む。そうしなければ参ってしまうから、紗夜子の部屋にも、トオヤの部屋にも安定剤の類いは揃っている。
 薬と水を一気に飲み干し、倒れ込む。
 トオヤが身体を撫でてくれる。普段は甘えるとちょっと戸惑った嫌な顔をしたり、恥ずかしがったりするくせに、優しいときはとことん優しいのだ。でも、そんな時、紗夜子は顔を見ることができない。自分が、とんでもなくみにくい顔で苦悶しているのが分かっているから。
 だから、彼の寝間着にしているタンクトップの分厚い胸に向かって囁きかける。
「トオヤ。もし、私がいなくなって……」
「止めろ」
「違うってば。……もし私がいなくなって、記録もなくなって、この世のどこにも存在しなくなっても、私が生きてたって証はどうすれば刻めるんだろうね」
 写真。映像。記録媒体。誰かの心の中。問いかけ、答えを思い浮かべながら、紗夜子は思った。
 ――あなたの、心が、欲しいよ。
 トオヤが戸惑った様子が伝わってくる。不器用な彼を少し笑って、おやすみ、と声をかけようとした時だった。動く音がして、トオヤが抱えてくれるのが分かった。筋肉のついた重たい腕。どうすればいいか戸惑っている大きな手のひらは背中をさする。顔が近付いて、紗夜子を覗き込んだ。夜になるともっと真摯になる、優しい目。こうすればいいか、なんて、問いかけてくる。
 あなたがいてくれるだけで私の世界は回るんだよ。だからそれでいいかなんて聞く必要はない。紗夜子は、何十回に一度でいいから、今度の眠りは優しいものが当たればいいと、トオヤのために目を閉じた。

20130905初出
20140810修正









ありがとう、大好きよ

 微睡むという言い方は正確ではないけれど、セシリアは昔のことを夢に見たようだった。
 わたくしが、最初に光を貰った時、その光は暖かかったり溢れるものではなく、掴めばその直後消えてしまう星々の光だった。そんな小さくささやかなものを抱いて外の世界に飛び出すなんて、無謀でしなかったけれど、それ以上に大事なことなんてなかった。
 あなたがくれた、空への道筋。第三階層、空の最も高いところに広がる世界で、なおも高い場所があると教えられた。
 今、セシリアは娘の姿を捉えながら、世界の不思議について思いを馳せる。有り得ないことではなかったけれど、改めて、紗夜子とトオヤが一緒にいるという事実は非常に運命的だと思う。そもそも、紗夜子はもう少し可愛げがなく卑屈な娘で、弱々しく、しかし力だけは身につけたアンバランスな子だったのに、今では無意識にトオヤの精神的支えになっているようだ。どこでそんな強さを身につけたのだろう。
『そんなに覗き見をしていると、怒られてしまうわよ』
『だって、不思議じゃなくって? あの二人、うまくいっているようよ』
 片割れが囁きかけ、側に来る。二人、同じ窓を覗き込みながら、手を握り合った。
 紗夜子。美しい夜と星空を思ってつけた名前。けれど今はその名のように影を秘めながら、やがてやってくる朝を確信して進んでいく娘。これからエデンは更なる動乱を迎えるだろう。世界は動き、変革し、始まり、終わるときもある。今、あの子たちはその先頭で、血を流して次の者に道を譲るためにいる。
『うちの子が光になるのなら、母親として、こんなに誇らしいことはないわね』
 アヤが声に、喜びを滲ませる。暖かさが、伝わってくる。
 セシリアは言った。
『それは、わたくしの言葉でもあるわ。――ありがとう、大好きよ』

20130905初出
20140810修正









 

『………………、ちゃんと映ってる?』
『オッケーオッケー。ちゃんと撮れてるでー。お嬢の可愛い姿がばっちりや』
『わたしばっかり撮らないでちょうだい。ちゃんとあの子たちを映して』
『分かってるって。今日はめでたい晴れの日やもんなー。お嬢、なんか一言!』
『一言? ……まあ、やっとか、というところね。あの子たち、いつまでもふらふらして心配させどおしだったんだから、これで少しは落ち着くといいんだけれど』
『無理ちゃう?』
『親友のあなたがそれを言うと、不安だわ……そもそも、トオヤ・キリサカに生活力があるかどうかという点から、わたしは疑問視してるのに』
『サヨちゃんの方が割りかししっかりしてるからいけるんとちゃう? 普通に生活する分には問題ないやろ。サヨちゃん、第一階層で一人暮らししてた時、極力家のお金に手ぇつけんように生活してたって言っとったしな』
『夫の器物破損が、節約を上回ったら意味ないじゃない』
『女の子は大事にするからだーいじょーぶやって。嫁やったらなおさらや。UGで機械義肢をつける男は、女の子の扱い方から勉強するんやでー。俺も、優しいやろ?』
『……殴られたいようねっ!』
『わ、わっ。冗談やって! 怒らんといて! はー、顔真っ赤にして、可愛いてかなわんわー』
『何か言った!? わたしばかり撮っていないで、さっさと他の方に祝辞をいただいてきなさい! きちんと回ってこないと、紗夜子へのお祝いにならないでしょう!? そういう気の利かないところがだめだって、あなた、お義父様や伯父さまから注意されるのよ!』
『はーい。じゃあ、最初に俺たちで言っとこうか。せーので。……せーのっ!』

――「結婚、おめでとう!」
書き下ろし


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