オメガ=フォーが逃げ出したことは大きな騒ぎになった。エデンが隠匿している秘密の鍵が逃げ出したのだから当然だろう。四人の【魔女】実行犯であることはすぐに発見され、【魔女】たちの責任追及もなされたが、しかし、自己を持ちながらまだ所属が曖昧である彼女たちの責任の所在がはっきりせず、処分は曖昧になった。狙い通りで、姉妹で顔を見合わせてほくそ笑んだ。
 しかし、Sランク遺伝子保持者の三体目に成功の見通しが立っても、エクスリスはしつこく探しまわられているようだった。ジャンヌは頭の中身をいじられ、記録を見られたようだったが、すでにあのマンションにはいなかったらしい。意外にサバイバル能力があるようで見直した。身体的や才能を有したSランク遺伝子の持ち主なら当然の能力だったのかもしれない。
 そして一年後、ジャンヌはエクスリスと再会する。


     ・


「ダイアナ、エリザベス、テレサは三氏にそれぞれ付き、あたしは【魔女】として擁立される後ろ盾を失い、所属が未定になっていたけれど、一緒に行動制限を解除されたの。あの時第一階層に降りたのは、エデンに対する反対勢力の好奇心によるものだった。そこで偶然再会したオメガ=フォーは、とても普通の人になっていたわ。籍は入れられないけど結婚する、子どももいると言って……でもその後、彼は再び行方をくらませたの。調べてみると彼の妻と子どもは、死んでいた」
 ジャンヌは寂しげに記憶をなぞる。
「あたしはその後、彼を必死になって探した。彼の家族の死は第三階層の仕業だと推測できたから。一年かけてようやく彼にたどり着いたとき、彼は、ほとんど狂っているようだった。あたしをブラックアウトさせた彼は、あたしから【女神】に関わる機関や記憶レコードなんかに手を入れて、あたしのすべてをゼロにしたの。あたしは【魔女】ジャンヌではなく、アンダーグラウンドのジャンヌになって、この四年間を生きてきた。彼の側で、彼に使われながら」


 沈黙がやってきた。ジャンヌは目を閉じ、深く息をしている。乱れた様子はないそれは人ではないかもしれないけれど、その動作は人間でしかないように思えた。
「……それでおしまい?」
「ええ、おしまい。滑稽ね。あたしはずっと囚われ続けるの。だって、それでもあたしは、彼が好きだわ」
 ジャンヌは胸に手を置く。
「あの時は分からなかったことが、今なら分かる。あたしは、愛を知っている。これはきっと、愛だと思うから」
 こんな、真っすぐな感情の形。
 エクスリスは知るべきだ。彼女が願ったことを、そしてこれから願うことを知っていかなければいけない。でなければ、ジャンヌが報われない。
 でもそんな報われるようなことを、彼女自身は望まないと分かっている。
「今度会うときは、あたしがあの人を救ったとき。あたしは闇の底へ堕ちる。でも、その底からあの人を押し上げてみせる」
「じゃあ……」紗夜子は涙ぐんだ。
「この戦いが終わったら、ちゃんと、会って。顔を見て、ちゃんと……」
 だって、もしかしたらもう戻って来れないかもしれないじゃないか。
 ジャンヌは「オッケ」と手を挙げる。その手と自分の手を音高く合わせて、握りしめる。視線をかわした。決意と、覚悟と。紗夜子にはとても難しかったそれが、ジャンヌの中には確かな形としてある。
 死ぬ覚悟がなければ、できないのかな。
 寂しさが込み上げ、意味もなく頷いた。そうでなければ苦しかった。息が飲み込めなかった。
 ジャンヌはさらりと手をほどき、歩き出した。紗夜子を振り返らない。
 電話の鳴る音がして、紗夜子は携帯電話を取り出した。
「AYA?」
『同じ【魔女】でも、勝利できる確率は五分といったところでしょう。彼女は、やり残したものを抱えたまま戦うのですか?』
 アンダーグラウンドの統制コンピューターは、自らの疑問を素直にぶつけた。
「えっと……」
 それまでずっと過去を受け止めるだけだった紗夜子だったが、自ら答えを導き出さなければならず、必死に考えた。
「それは少し違う、と思う。……未来と、約束するために戦うんだよ」
『不確定の時間に約束という概念は適応されますか?」
「え? あ、うーん……ニュアンスが伝わりにくいか。これがあるから頑張れるってことを、残していくんだと思う。これから立ち向かう辛いことや戦いに」
『彼女は機械生命体です。人より優れた身体と能力を持っています。エクスリスを愛しているのなら、それを伝え、彼を困難から守り、時間とともに愛を育めばいい』
「それは愛の解釈が違うんだよ」
 そんなに人は単純じゃない。もっと複雑で、様々な出来事があって、進んだり戻ったりしながら、関係を作っていく。それをうまく伝える術を紗夜子は持たない。
「ジャンヌの考える愛は、その人のために何かしたいと思う気持ちなんだね。そして、AYAの愛は、その人を守ろうとする気持ちなんだと思う」
 AYAは長く沈黙していた。うまく伝える自信がなかった紗夜子は、更に言葉を紡ごうとしたが。
『私の、愛』
 という呟きを最後に通話は途絶えた。

 次の瞬間、携帯電話が別の着信を知らせる。ワンコールで取った紗夜子が「もしもし」と応答すると、ジャックが「急いでテレビ見て!」と叫んだ。一番近いのはたまり場だ。息を切らして駆けていき、ドアを勢いよく開けると、ディクソンがテレビを示してみせた。
 ニュース速報が終わったところだ。何があったのか、誰も語ろうとしない。息を整えながらしばらく見ていると、ドラマを流していたテレビがニュースに切り替わった。
『今日午後七時頃、第三階層代表の一人サイガ氏が襲撃を受け、搬送された病院で死亡しました。サイガ氏を襲撃したのは秘書のテレサ・クロイサーと見られ、これにより、警察、軍はテレサ・クロイサーを指名手配し、現在行方を追っています。なお、同じ代表であるタカトオ、エガミの両氏は、同胞の死を悼む旨のコメントを……』





『今日午後七時頃、第三階層代表の一人サイガ氏が襲撃を受け、搬送された病院で死亡しました。サイガ氏を襲撃したのは秘書のテレサ・クロイサーと見られ、これにより、警察、軍はテレサ・クロイサーを指名手配し、現在行方を追っています。なお、同じ代表であるタカトオ、エガミの両氏は、同胞の死を悼む旨のコメントを……』
「暴走だね」
 UG本部。その開発室のモニターから聞こえてくるニュースに、冷静にコメントしたのはライヤだった。白衣のポケットに手を突っ込んで、モニターを見上げる。
「装置を外して、【女神】の統制を受けなくなった。つまり、彼女は今、自分の欲望に忠実になってる。タカトオもエガミも逃げなきゃやばいっぽいなー。殺人マシンになってるよ、あれ」
 自分の統制者である【女神】の意志に反し、自分の主であるサイガを殺した。テレサからは理性が失われている。望みだけを追い求めていく。
 ――強く。もっと、強く。至上の存在に……!
 生真面目で頑固者だった妹の手配写真を見上げ、ジャンヌはうめいた。
「あンの、馬鹿……!」






     *






 テレサの暴走により、第三階層の多くの人々が、その残忍な殺人者に怯え、一部は第二階層や第一階層に避難し始めたらしい。通常ならばそんな事態は起こらないはずだったが、タカトオ氏、エガミ氏が、第一階層で立ち上がったキリサカ氏との会談予定を発表したためだと思われた。第三階層者たちは、第一階層で行われるというこの会談を、両氏が第一階層に避難するためのものだと思い込んだらしい。
 これを好機と見たUGは、両氏とキリサカ氏の間の事前準備と称して、UGの組織員を第三階層に送り込み、相手陣営を偵察。アンダーグラウンドでは作戦準備を本格化させ、作戦会議を重ねた。【女神】制圧作戦が開始されるのに、さほど時間はかからないだろうと思われた。
 やがてタカトオ、エガミ、キリサカの三氏の会談の日は近付き、その日に向けて、アンダーグラウンドは着々と準備を整えていった。


      



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