目を閉じても、本当の闇にはならない。
 そしてライヤは、その闇の中に落ちていくことはなかった。
 セシリアの、声が聞こえる。
「でもアヤは最期に自分の祈りと願いを口にした。なんて言ったと思う?」

 ――どうか、次の世界で、あなたたちに会えますように。

「ねえ、だから、世界を続けなければならないのよ。生きて、いかなければならないのよ」

 何かが崩れ落ちるような音がして、ライヤは目を開いた。
 光に明滅する視界に、次々と倒れ込むロボットたちがある。立ちふさがっていたはずの女神は、ふっつりと消えてしまっていた。
「……リア?」
 呆然と呼び、彼女を探す。
「リア?」
 みるみる胸に沸き起こる、喜びのような興奮。絶望と同じ理解。
 柔い声音に突き放す笑みがあった。優しい微笑みに、奈落に落とすのと同じ無情さがある。網膜に焼き付いたすべてが、耳に名残を残す言葉が『置いていかれた』という認識を刻み付けた。
 生きていかなければならないと、彼女は言った――まさか、それを言うためだけに?
「オレを生かすために……?」
 そして自分が死ぬために?
 だめだ、と叫んだ声が自分のものだと最初ライヤは気付かなかった。気付いた時、ライヤは空に向かって絶叫していた。
「だめだ、セシリア、だめだ! さよちゃん! トオヤ!」
 ライヤの目の前で、扉が開く。操作もしていないのにだ。扉が開くということは、道を指し示しているのと同じことだった。これが誰の操作かは、もう分かりすぎるほど分かりきっている。
 生きなさい。
 そう言って、セシリアはライヤを突き飛ばしたのだ。
「殺さないで、トオヤ! 殺しちゃだめだ。さよちゃん……」
 いつの間にかUGとして望んではいけないことを口にしていた。ライヤの願いを聞き届けるものはいない。戦いで穢れる空と大地が広がり、ライヤはそこを歩んでいくしかないと、嫌が応にも分からせた。
 狂ったように叫ぶ。背後に煙がたなびき、炎が揺れ、割れた己の拳で頭を抱えながら。
「……助けてくれ……セシリアを、助けてくれ! もう二度と……オレに無力を感じさせないでくれ!」
 魔法使いじゃない。無意識にその言葉が漏れて、ライヤの目から涙がこぼれ落ちる。
「魔法使いじゃないよ……」
 子どものように、怒鳴った。
「……魔法なんて、ないんだよっ!」
 誰かなんて救えない。地下から一歩踏み出せば、彼女がいないことが真実になってしまう。世界が消えていくのを知っていたからずっと膝を抱えていただけなのだ。何かを作って己を慰めても、取り戻せないものは存在する。
 どうして君がいないんだろう。
 どうして、オレだけがここにいるんだろう。
「………………」
 失った、助けられなかった自分だけの女神の名前を、ライヤは呼んでいた。

 ――アヤ。







 その瞬間。
 地上で起こるすべてのことに耳を澄ませていた彼女の、手の中に隠し持った熱が、光となって広がった。
 ――私の。







 ――私の、魔法使い。







「…………?」
 呼ばれた気がして、ライヤは辺りを見回した。振り返っても、空に煙をたなびかせる研究所しか見えない。だから、ポケットを探ったのは無意識だった。
 アンダーグラウンドで開発した携帯電話のディスプレイを見て、時間が止まったのではないかと思った。
 そこには、携帯電話のデータを書き換えて、文字が綴られ始めていた。
『おばかさん。どうしてもっと早く私を呼ばなかったの?』
「……AYA?」
 ちがう。これは。
「アヤ……?」
 天才科学者の思考は混乱していた。アンダーグラウンドの統制コンピューターAYAは、確かにアヤをベースにしたものの、【女神】のようにアヤ本人を直接繋いだことは一度もない。そしてAYAは、【魔女】と同じように開発したものの、【魔女】たちのように経験は積んでいないし、同等なほどに成長するにはまだ時間がかかるはずなのだ。
『そうよ、ライヤ。さあ、ぐずぐずしないで! 走って!』
 なのに、AYAは『アヤ・クドウ』として話している。
 走って、の文字が点滅する。
『一緒にセシリアを助けましょう。あなたは、魔法使い。私は魔法よ』



     *



 足の力をなくしたトオヤが倒れ込んだ。耳からイヤホンが落ちる。UGの無線。紗夜子は、テレサに取り込まれていた無線型ブローチで、一か八か吹き込んだのだ。
 トオヤ――私が撃つ、と。

 後ろへ倒れたセシリアの髪が絹糸のように広がった。
 最初に撃った額への一発は防がれていた。しかし、四肢と内臓と心臓を撃った弾は、確実にセシリアを貫いていた。最後に撃った額への一発が決定打となり、ついに、【女神】は倒れた。
 地面に降りた紗夜子は、振り返ってトオヤに駆け寄った。
「おっせー」
「ごめん」
 短く言葉を交わすと、思わず涙がこぼれそうになった。
 トオヤだ。トオヤがここにいて、生きている。満身創痍でも、傷は癒える。これで戦いは終わるのだから。
「紗夜子」
 呼ぶ声に振り向くと、セシリアが笑っていた。
「おかあさん」
 血は流れていなかった。多くの機能を機械に依存していたからなのだろう。セシリアは美しいままだった。まだ動けるのか、と畏怖する気持ちがあった。しかしそれよりも、あの人に呼びかけられた感慨が込み上げて、堰を切ったように涙があふれた。
「おかあさん」
「あなたが【女神】よ、紗夜子。さあ、玉座にお座りなさい。そして、この世界を続けて」
「もういいよ!」
 紗夜子は叫んだ。
「もういい。嘘つかないで! おかあさんは本当は世界のことなんてどうでもいんでしょ。ただ戻りたかっただけなんでしょ? ライヤさんの、おとうさんのことが好きだっただけなんでしょう?」
「……ライヤ?」
 セシリアが突然震え出した。
 そして、あっはっはっは! と軽快な笑い声が響いた。
「何を言っているの、あなたは! 私とライヤには何もなかったわ。わたくしが欲しかったのは、アヤだったんだもの」
 トオヤが目を見張った。
「おい、けどさっき……」
「ええ、わたくしとあの子の見ているものは違った。でもね、わたくしはあの子の語るすべてを、本当に、美しいと、実現したいと、思ったのよ」
 愛していたの、とくすくす笑うセシリアは少女のようだ。
(じゃあ……トオヤと私は兄妹じゃない!)
 紗夜子はトオヤも見る。トオヤも紗夜子を見ていた。あははと場違いに明るく響く笑い声が、どう考えても二人を指差すように笑っていて、紗夜子は赤面した。
「最後の最後に笑わせないでちょうだい。本当に、ひどい子たちね……」
 自分を撃ったことを責めるよりも笑わせたことを責めるように言って、セシリアは目を閉じた。


      



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