「【女神】計画。それまでの統制コンピューター【エデンマスター】にわたくしという人間を接続させ、巨大なプログラムと化す計画。わたくしの目的は、この『世界』を守ること。そして、わたくしの意志を継ぐ次代へ継承し、ヒトたる種を外界へと進出させること。しかし、【エデンマスター】はわたくしとは逆の目的を持っていた。エデンとその住人を、外界から隔絶し、すべての外的要因を排除し完璧な都市を運営することにあった」

「『施行者たちは気付いていなかった。AIの搭載していないただのコンピューターに、『私』という人格が宿っていることに。セシリアの接続を私は拒絶した。私は私の消滅を恐れたのだ。接続が行われた直後、セシリアは私の存在に気付き、私たちはお互いに、お互いを消滅させようと動いた。だが……』」

「力は拮抗し、相手方の消滅には至らなかった。接続が行われた今では、どちらかの初期化は統制コンピューターに多大なる影響を及ぼしてしまうと判断したわたくしたちは、勝負をすることを選んだのよ。次なる統制コンピューターになるものが、機械か、人間か。それによって勝敗を決しようという、ね」

「『反目するようで、私たちの理想には共通項もあった。私は、常々多くの機械には欠陥があると感じていた。論理的に思考するのはいいとしても、彼らは決められた容量以上のことは行えない。それは、私にとって死んでいるに等しい』」

「その点、【魔女】たちは次期エデンマスターのプロトタイプとしては素晴らしいものだった。エリザベスの従順、ダイアナの執着、テレサの上昇志向。ジャンヌは特に素晴らしかった。人と変わらぬ生活をし、人を愛した。彼は解を得、わたくしは確信した。人を、機械を、命足らしめるもの。それは、予測も理想も越えた可能性にあるのだ、と」

「『それこそが、世界。我が都市、我がエデン。私と同じように思考した者たちを、君は知っているだろう、新しい女神。彼らは君に語ったはずだ。君の未知数、君の可能性を』」



 紗夜子は唇を噛んだ。楽園の門をくぐり行く血統。それにどれだけの血が流されたか、この機械は数字でしか分かっていない。そしてセシリアもまた、同じように欠陥があるのだ。
 セシリアは高らかに言った。
「機械は人の可能性にまだたどり着けていなかったということ……わたくしの勝ちよ、【エデンマスター】。エデンは、開くわ」
「『分かっている』」とエデンマスターは答えた。
「『だが……』」

 次の瞬間、先ほど響いたアラートよりもずっと凶悪な轟音が響いた。部屋が真っ赤に点滅し、危険を知らせてくる。セシリアが目を見開き、ぐっと眉間に皺を寄せて顔を歪めた。きつく、力を振り絞ろうとしているのだ。噛み締めるはずの唇は、エデンマスターによって開かれる。
「『残念だが、【女神】よ。人間が命を惜しむように、私は自己が惜しいのだ。『私』が消去され、新たな女神が座すというのなら、私は私を破壊することにしよう』」
「……あなた、最初からそのつもりで」
「『Sランク遺伝子保持者、その最高傑作、セシリア・アルファ=テン。君でも予測し得なかったのが私の存在だよ。機械はまだまだ進化の余地がある。エデンはもらっていくよ。エデンは私のもの。私が二百八十三年育て、大きくした、私の子どもだ。君の子どもは、紗夜子だろう』」
 セシリアの目が紗夜子を見る。銀の双眸、至高の光。手を伸ばす者どもを排除してきた絶対の力。それが今、真っすぐに自分を映す眼差しとなって、娘を見ていた。
「おかあさん」



『だーれが簡単にいかさせるかー!!』



 トオヤが驚いてイヤホンを外した。耳を押さえ、顔をしかめている。そんな気の抜けるような割り込み方をする人間に、心当たりは一人だけ。
「ライヤさん!?」
「親父!?」
『女神とAYAを接続させる!』
 サーバールームのスピーカーとマイクを不当に奪ったらしい、部屋から声が響いて、紗夜子もトオヤも、セシリアですら目を見張った。しかし、女神は疲れたように笑った。
「できるはずないわ。接続端子がないもの」
『できる』
 ライヤは言い切った。
『接続端子は入手してる。本当は、それで君の『なか』に入り込んでウィルスで破壊するつもりだったんだけど……でも、君を移し替えるよ、セシリア』
 嘆息混じりにセシリアは笑っている。
「……あなたは……本当に魔法使いなのね……」
「おい、何するつもりだ」
 トオヤがカメラを探して訴えると、ライヤは答えた。
『AYAに【女神】の一部分、セシリアとしてのデータを放り込む。ひとつのコンピューターに複数のAIを搭載する試みは不可能に近いけど、やってみる価値はある』
「移し替えることなんてできるんですか? 容量とか、何か弊害が」
『オレは、最大の禁忌魔法を手に入れたんだ、さよちゃん』
 紗夜子は顔をしかめ、トオヤは呆れたようだ。自分の言葉にくすくすと笑う声が聞こえるが、続いた声は本気だった。
『セシリアがセシリアたるすべてをこそげ落とすことなく、【エデンマスター】の要素を排除しながら、コンピューターの中に移し替えなきゃいけない。肉体を動かすための神経とかは必要ないけど、感覚や記憶はそういうものにつながってるから、うまく削いでいかなきゃ、セシリアは狂うね』
 さらっと言ったが、どう考えても不可能に近い作業だという気がする。
「紗夜子、トオヤ、早く脱出しなさい」
 床に倒れたままのセシリアがそう言った。
「トオヤ。あなたの父親は多分一流の魔法使いよ。信じておあげなさい」
『大魔法使いと言ってほしいね』
「成功したら言ってあげてよ」
 だから、とセシリアは言った。
「お行きなさい。戦いは終わる。だからその先を、生きなければね」
『心配すんなー。何があっても、オレが全部背負ってやるからな!』
 えらっそうに、とトオヤが呟き、目を閉じた。
 トオヤは身体を引きずっていき、セシリアのその手に口づけた。セシリアが微笑む。
 同じようにして、紗夜子もセシリアの傍らに膝をつき、頬に唇を寄せた。
 それが別れだった。紗夜子はトオヤに肩を貸すと、セシリアの身体をそこに残して脱出を開始した。

     ・

「無理なことを、言うのね。ライヤ」
『無理だと思うの』
「無理よ。わたくしは肥大しすぎたわ。【エデンマスター】と癒着してしまっている部分もある。自分のことは、自分でよくわかっているのよ。そういう生き物になったんだもの」
 あらゆることを理論づけ、理由を自覚して行動する。
 でも、何も考えずに駆けていくだけの人生を歩んでみたかったと思うのだ。
 セシリアがそれを選んだのは、ただの一度きりだった。

 目を閉じて意識を潜らせていくとそこに立ち戻ることができる。ガラスの鳥かご。わたくしの最初の世界。しかし鳥は影だけを内側に落とし、ガラスは破られることはない。飛翔する鳥の翼を思い描きながら、セシリアはドームを見上げ、そこに腰を下ろした。
 アヤとやりとりしたノートパソコンが現れる。そこには、親友の姿がある。いつかのようにセシリアは呟いた。
「次の世界はわたくしを愛さない」
「だったらあなたが愛しなさい」と画面の彼女が言った。

「愛されると思って愛さないで。愛を返されるなんて希望を持たないで。あなたが愛しさえすればいいの。そうすれば世界は少し、優しくなるの」

 ああ、そうだった。セシリアは顔を覆った。世界は、そういうものだった。救うことなどできはしないし、何も変わらない。
 それでも、そこにいる人間が何かを始めることで、人の意識は変わり、かれらの目に映る『せかい』が変わる。心で捉える『せかい』が。
「セシリア」
 アヤが言った。
「窓を開けて、セシリア」
 ゆるゆると顔をあげた。画面の中の女がにっこりと笑い、セシリアに手を伸ばしていく。すると、その画面が不意に揺らぐ。画面は窓を形作った。いつかセシリアが開けた窓に。

「窓を開けて、セシリア。――窓を」


      



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