鳥が、羽ばたく。
 しかしその目は生きていない。機械の鳥なのだった。森を俯瞰する映像を小型端末に受け取って、ライヤはガッツポーズした。
「やった、完成、おめでとー!」
 何事か、と学生たちが目を向けて、あああの変人かと何事もなかったかのように視線を元に戻した。
 第三階層、学舎。第三階層者が一貫教育を行うこの場所で、ライヤ・キリサカの名は有名だった。授業はろくに出ていない、教官に意見する、空き教室を勝手にラボにするなどの数多い逸話もあるが、試験はオールA、レポートは学会がひっくり返るレベル、その奇想天外な発明は世紀の大発明など伝説的なのものもある。そして何より、エデンを切り開いた科学者の一人、キリサカの血を引く男なのだ。注目を浴びない方がおかしかった。
「ライヤぁ、去年のレポート見せてくれー」
「なんだよお、今いいところなんだよー?」
 と言いながらも、パソコンを叩いてデータを取り出す。
「これ? お前、単位落としたの?」
「落としたくて落としたんじゃねーよ。ちょーっと思いついてプログラム始めたら提出日忘れたんだよ」
「ばーか。うんでも、あのゲームはよかったな。『三剣物語』。面白かった。あとはもうちょっとロード短くした方がいいと思う」
「おお。第二作目制作決定したし、考えるわ」
「おめでとー! でも、金持ちの道楽で大ヒットゲーム作られたら、第一階層も可哀想だよねえ」
「天才科学者が言うなよ」
 いえーと意味もなく手を合わせ、USBに昨年のライヤのレポートのデータを移し、同級生は去っていった。ゲームプログラムを売った第一階層の企業に売った彼は、今は偽名で密かに第一階層のメイン開発者に収まっていることを、高官である彼の父は知らないはずだった。
 教室の後ろのドアから入ってきた女生徒が、あ、と声を上げた。
「ライヤ! この前ありがと! ほんと助かった!」
 友人たちを置いて、小走りに近付いてきて両手を会わせる。美しく化粧した少女だった。いいよーとライヤは目を和ませた。
「大丈夫だった?」
「うん! おかげでばれなかった。でも誰か分かんないんだよ。社長が第三階層者だってリークしたのは……」
「せっかくあそこまで会社大きくしたんだから、やっかみもあって当然だよ」
「そうよね。でも、ライヤ、お金出すからちょっと調べてくれない? 余計な芽は摘んでおきたいんだよね」
「了解。またメールする」
 ありがと! とにっこりして、彼女は友人の輪に戻っていった。そうしていると、普通の女子学生のように見える。研究の成果を発揮したいと考え、始めた化粧品会社は、このままトラブルを解消していけるなら後十年もすれば第一階層のシェアの五割を占めるだろうと、ライヤは予想する。
 端末に戻って、撮影された地上を見ていたが、ふと、気になるものを捉えた。
(温室?)
 丸い透明なドームが映ったのだ。パソコンのアプリケーションで作成したリモコンで、軌道を修正する。くるりと弧を描いて向きを変えると、やはりドームが映った。
 ライヤは窓から身を乗り出し、学舎の向こうに広がる森を見た。方角はあの森の中だが、あそこは学校長の管理する区域で、立ち入りは禁じられている。
 鳥型カメラには着陸指示を出し、少しずつ位置を変え、ガラスが反射しないように角度を変えて、中を覗き込ませる。
 温室、のように見えた。巨大な葉っぱのようなものが見える。それが、円になっているそこをぐるりと取り巻いているのだ。
「秘密の実験室、かな?」
 面白そう、と唇を舐める。鳥には簡単な刃物を仕込んでいるから、ガラスを割ろうと思えば割れる。割って反応を見ても面白いかもしれない。
 そう考えたライヤは、特殊なコマンドを入力して、ガラスを割らせた。ひびが入ったガラスは、更に刃物に押されて割れる。ガラス片が落下していくのが捉えられ。
「あ、下に人がいたらどうしよう」
 と呟いたが、まあいっか、と思い直した。
 割れた窓から鳥を侵入させる。やはり、温室のようだ。地上に近付いていくと、テーブルセットとベッドが見えた。お人形さんの部屋みたいだ、という感想を抱く。学長が女でも囲っているのだろうか。それはそれで、脅す材料ができて面白い。
 テーブルの上に降り立ち、身体の角度を変えさせて、辺りを確認する。
 誰もいない。留守なのか。
(音声装置取り付けてから侵入させたらよかったな)
 送られてくるのは映像ばかりだ。それも、インターネットの回線を利用しているため、電波が届かないところでは働かない。そこが学校の敷地内だからかろうじて動いているのだ。
「ん?」
 気のせいだろうか。
「影が……っ!」
 カメラがブラックアウトした。接続が切れたのかと画面を確認するが、繋がっている。戻ってくるよう指示したが、カメラが復活しない。鳥の目は、攻撃してつぶすには小さすぎる。となれば、捕まったのだ。
 ライヤは素早くキーボードを叩くと、鳥側のIPを偽装してからLANの接続を切った。心臓がどくんと跳ねる。
 技術を持った人間なら、こちらを特定するのは簡単だろう。ライヤ個人の特定まではいかずとも、学校内の人間が犯人だと判断するには十分だ。そして、ライヤは自分が有名人であることを知っている。
「……やばい、かなー?」
 呟いたライヤの声は、チャイムの音と着席のざわめきにかき消されてしまった。


 彼女の部屋の扉は、真っ白のホイップクリームに似た色をしている。愛される少女の部屋だ、とライヤは思う。白とピンクとレースとお菓子は、愛される者の象徴だ。無条件に庇護される少女の。
 ノックすると、返事があった。
「ライヤ」
 扉を開けたライヤに、栗色の髪の娘は笑った。ライヤが来るのを知っていたからだ。
「おかえりなさい。学校はどうだった?」
「いつもと変わんないよー」
「また寝てたの? 仕方のない人ね」
 少女は外出着のようなドットのワンピースをふわりとさせ、ベッドに腰掛ける。
「調子いいみたいだね、アヤ」
「おかげさまで。そろそろ外出したいんだけれど、だめだって言うの」
 それでそのワンピースなのだ。せめて洋服でその気分を味わいたいというわけだ。スカートから覗く足は、不健康なほどに細く、手首も骨が浮き上がって痛々しい。本人の言うように、顔色がいいのが救いだが、内臓がやられているせいで顔は少しむくんでいる。
 手を伸ばし、その額にぺたっと添えると、その熱さにライヤは目を吊り上げた。
「熱! あるじゃないか!」
「ちょっとだけよう。いつものことじゃない」
「そんな薄着してるから! ほら、早くベッドに入って!」
 追い立てるようにして布団をめくると、アヤは不満そうに頬を膨らませながら、しかし大人しく横になった。部屋を見回し、椅子にかかっていたカーディガンを見つけると、それを彼女に向かって放り投げる。
「やだよ、オレ。君以外の人と結婚するの。だから長生きしてよ」
「口癖よねえ、それ」とアヤは呆れたように、でも嬉しそうに笑った。

 第三階層に居を構える一族たちには、特別なつながりがあるものがいる。エデン創立者である科学者の家系がその代表だ。密に付き合ってきた家々は、その関係を解消するものもあったが、ライヤのキリサカ家とアヤのクドウ家は今も繋がりがあり、ライヤは、アヤと出会ってから彼女の婚約者を自称していた。

「どうして私なの? 私、あんまり先が長くないんだけれど」
 布団をかぶりながら、アヤはそっと尋ねた。
「だって、どんな発明でも喜んでくれるの、アヤだけなんだもん」
 至極当然として、ライヤは答えた。
 アヤ・クドウは生まれつき病弱で、すでに内臓の多くを人工臓器でまかなっていた。しかし身体的な問題なのかなかなか適合せず、臓器の取り替えなどの手術を繰り返して身体はぼろぼろ、病状は改善する見込みはなく、二十歳まで生きられたらいい方だ、と彼女の両親は泣き、ライヤの両親は警告するように言った。キリサカは、子どもが望めないと思われるアヤと必要以上に親しくすることを、あまりよくは思っていないのだ。それでも、乱暴に息子を制止しない両親を、第三にしては出来た人たちだな、とライヤは認めていた。
 アヤはため息をついた。
「すごいなと思うだけで、賛成はしてないのよ? ソフトはいいわ。でも、ウィルスまで開発して」
「悪用はしてないよー」
「したら怒るわ」
「うん、怒られないように、気をつける」
 でもきっと目を吊り上げたアヤは可愛いのだ。想像にでれっとしたライヤの手を、アヤは熱のある手でぺちんと叩いた。
 カーテンがそよいでいる。もう春だ。今日は穏やかだが、昨日などはものすごく風が強く、第一階層にも、第二階層、第三階層にもいくつか被害があったという。本当は、あの鳥は昨日テスト飛行するつもりだったのだ。
「もうすぐ、春ね」
 アヤはゆったりと言った。
「うん。今同じこと考えてた」
「そう。私、もうすぐ十六歳になるのよ」
「うん。結婚しようね」
 答えはなかった。言えなかったのだろうと分かっていたから、側にいた。
 窓を飛来する鳥に少女は目を細め、そして、顔をしかめた。
「どうしたの?」
「今、鳥が光らなかった?」
 ライヤは目を瞬かせた。ほらまた、とアヤは指を指す。身体を起こして確かめようとするのを慌てて留め、ライヤが窓に寄った。旋回する鳥の影が見えるが、それが光っているのかは分からない。だが、やがて鳥は人なつこくもこちらに近付いてきた。
「あれは」
 目の前に降り立った鳥は、きらめくレンズの瞳でライヤを見つめた。
 ライヤが造った鳥だった。
「どうして。誰が……」
 手を伸ばすとそれは簡単に捕まった。その羽を広げてみる。金属製の薄い板が何重にも重なる凝りようで、間違いなく、作るなら本気で、の意志を込めた力作だ。
 その足に、紙が結ばれている。
「ライヤ?」
 アヤの前に戻ると、鳥の主電源を切り、逃げられないようにしてから、その膝の上で、まるで鳩をやり取りするように結びつけられた紙片を広げた。
「これ、あなたが作ったの? すごい!」
「うん。でも行方不明になってたんだよ。これ、手紙だよね」
 起き上がったアヤと一緒に覗き込む。そこには、流麗な、人が滅多に使わないような書体で、言葉が綴られていた。
「『面白そうだったので捕まえました。開発者はどなたでしょう。わたくしはセシリアです。ここの位置情報を書きます。また飛ばしてくださいな』」
「女の人ね。これ、お菓子を載せたりするレースペーパーだわ」
 捕まえられたと思った時に、電源は切ったはずだ。この相手は、それを復活させ、ここまで飛ばしてきたことになる。カメラの情報を読み取らせ、ライヤの顔を認識させたのか。そんな技術者が校内にいるなんて、聞いたことがなかった。
 くす、と笑い声を立てたアヤに、顔を上げる。
「どうしたの?」
「ガラス割ったの? ライヤ」
 驚いた。すると、アヤは紙片を裏返してみせた。
「『二時から三時の間、窓を開けます。ガラスは割らないでください。高価なので』。書体が綺麗だから、嫌みっぽいようなそうでないようなって感じね」
「嫌みだよそれー」
 そう笑い合った二人は顔を見合わせ、首を傾げた。アヤは指でさす。
「ライヤ、笑ってる」
「アヤこそ」
 堪えきれない笑みで、二人は囁きあう。
「返事、してみる?」
「もちろん! こんな面白そうなことってあるかしら!」


      



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