トオヤの居場所を訊くと、医者の老人は快く教えてくれた。そこにはちょうどミシャと、付き添いで来ていたのかシャーリアがいた。ミシャは、こちらの顔を見て泣きそうになりながら駆け寄ってきた。
「ごめん。ごめんね」
「ミシャ」
 短く、息をついた。
「無事だったんだ、よかった」
 それだけの言葉に、ミシャは途端、ぼろぼろと涙を流して力をなくして膝を折った。ごめん、ごめんなさい、と繰り返す。
「私、気付いてた。知ってたんだよ、彼が、私を利用してるって」
 握りしめてくる手が必死で、化粧が崩れて歪む表情も哀切を訴えている。
「……どういうこと?」
「私、UGの女の子を利用してクスリもらってたの。あの子たち紹介したら、クスリくれるって。悪いことだって分かってた。でも、彼がくれたの。彼が、お守りだって。私を守ってくれるよって。実際お金になったの。だから」
「もういいよ」と首を振る。それでも何か言おうとするミシャに言った。
「もう、いいよ。悪いことだって分かったんなら」
「サヨコ……」
 取りつく島もないと思ったのか、ミシャが怯えたように後ろへ下がる。
「サヨコさん。ミシャはこれから薬物患者の施設へ送られる。心配しなくていい。お前さんは、お前さんのやりたいことをやりなさい」
 医師の老人が紗夜子の優しさを認めるような言い方をした。彼の眼差しを受け止め、紗夜子は自身の顔が恐ろしいくらいに強ばっていることを知った。目が痛み、耳の中が痛んだ。
 声が。消えない。まだ、突き刺すように響いている。
「…………」
 自分がミシャを邪険にしていることに気付いて、紗夜子は息を詰め、忙しなく首を振った。どうかしている。ミシャのことを蔑ろにしていいわけじゃないのに。涙を溜める彼女は、最初に見た気弱で神経質で真面目な女の子のままで、紗夜子は、思わず手を伸ばして彼女を抱きしめた。
「……サヨコ……?」
「ミシャ。私、決めた。だからあなたも決めて。ちゃんと生きるって」
 生きていたいと、トオヤに叫んだ。そんな、生き汚い自分。
 そんな自分に、死にたくないと叫んだ、ナスィーム。

「私は、生きる。誰が死ねって言っても、私が生きてたいから生きるよ。死んでなんかやらない」

 だから、とその手を握った。
「いつか、また会おうよ。生きて、ちゃんと会おう。ミシャに会うまで、ううん、会っても死ぬつもりないけど、生き抜くから、また会おう」
 どうしてだろう。笑みがこぼれる。楽しくて心から笑ったわけではない。ただ、誰かのために笑おうとする自分がいた。
 アンダーグラウンドにいて、強くなろうとしたけれど間違って誘惑に堕ちたミシャ。目を丸くし、微かに唇を震わせて、手の中に精一杯自分を握りしめているミシャが、とても大切にしなければならないように思えたからかもしれない。
 ミシャはこちらを見て口を開きかけたが、何も言わずに口を閉ざした。ただ、力強く頷いた。
 その肩を、シャーリアが抱いた。
「行こう、ミシャ」
 よろめくミシャを支えながら二人は去って行く。しかし、シャーリアが振り向いた。紗夜子が見たことがない、清々しい笑顔だった。
「前言撤回。あんた、結構いいじゃん」


     *


 映りの悪いテレビが、ニュースを。その周りに置いた三つのパソコンのディスプレイにはウェブサイトのページ、大型検索サイトのニューストピック、新聞の公式サイトの速報記事。どれもが、警察が、薬物売買を行い、また不特定多数に善意と称して薬物を打ち、中毒状態にするテロを行ったとして、実行犯であるUGの一部を逮捕したという内容のことを書いている。彼らは死刑になるという。
「ミシャと繋がってたガキんとこの組織だな」
「えっらい濡れ衣やで」
「不具合、不始末、不都合、悪事。みんなUGのせいになるのは、この百年ほどお決まりのことだからね」
 その部屋の中で、三人が思い思いにディスプレイを眺めている。
「さて……紗夜子だけど」
 口火を切ったのはトオヤだ。
「高遠の娘で、いくら偽名を使わせるほど邪魔やからって、殺しにくるもんかなあ?」
 ジャックが首をひねる。
「だが今回のことではっきりした。やつらは、彼女を狙っているのだろう」
 ああ、とトオヤは同意した。
「高遠紗夜子には、第三階層が隠している秘密がある」

「私も知りたい」

 三人は口を閉ざし、部屋の入り口を見た。
 こつり、とブーツの踵を鳴らし、紗夜子は、暗い廊下から電子機器の光でほの明るいそこに一歩踏み入り、淡く照らされる三人の顔を見ながら言った。
「私が第三から第一に落とされたのは、高遠が私を廃嫡したから」
 しばらく間があって、「……廃嫡?」と知らない男性が呟いた。確か、光来楼で男を締め上げてくれていた人だ。厳つい顔とは裏腹の優しい眼差しを向けられる。
「どういう理由か訊いてもいいかい?」
「高遠は私を嫌っていました。姉ばかり可愛がっていて」
 ちり、と胸が痛んで、一瞬眉を寄せ、目を閉じた。
 ――少しだけ、嘘を吐く。
 まだ、明かせない。まだ恐い。
 感情にしっかり封をしてから、顔を上げる。三人の顔を順々に見た。
「だから、どうして私が狙われるのか。私が死ななくちゃならないのか。私に何か理由があるなら、立ち向かいたいって思う」
 紗夜子はトオヤに歩み寄り、その顔を見上げた。
 生きろと叫ばせたUGの男を。

「トオヤ。私に――戦い方を教えて」


      



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