そこは上層よりもずいぶん狭く、様々な機器で組み立てた迷路のような場所だった。もしかしたらわざとそう作ってあるのかもしれない。人間が二人通れればいいくらいだから、防衛もしやすいし、閉じやすくもありそうだ。
 ある扉をくぐると、そこは巨大なラボだった。
「わ、あ……」
 船一隻くらいは悠に入れることができそうな、縦にも横にも広い空間だ。その高いところの、壁際の細い階段に紗夜子たちは出てきていた。水色の光が空間を照らしており、張り巡らされている通路の足下にぶら下がっている黄色い電灯が、不思議な色彩を壁に映している。
 細い階段を下りていくと、地面が見えてきた。そこを動き回っているのは、白衣の人間たちと、がっしりした体型の人々、時々白髪まじりの人の姿が捉えられる。年取った男性が何か怒鳴る声が一際大きく響き、「オオナミのじいさんうっせー」とライヤが笑いながら言う声が反響し、気付いた人々が顔を上げた。
「オオナミというのは本部所属の開発者。生体義肢のメンテナンスを主に請け負っている。一層に、サザナミという医師がいるだろう? オオナミは彼の兄だ」
「おう、ボス! ご苦労さん! 第一階層はなんとか収束に向かってるみたいだぜ!」
 白髪を一本にまとめて後ろで結び、白いTシャツに作業ズボンの、口ひげをはやした男性が、よく聞こえる場所なのに大声で言った。
 指し示したさきには巨大なモニターがあった。そのモニター以外にも大きなモニターがあり、複数人でモニタリングしているようだ。
 示されたモニターは縦に三分割され、中央は大きく、左右はそれに比べて細くなって、六等分されて様々な場所を映し出している。中央の枠内には、警察車両や軍の車両に囲まれたホテルを映し出しており、人々があちこち動き回り、あるいは怪我人を搬送しているらしいのが見える。他の小さな枠内には交通網が映し出されているが、電車などは滞った印象はない。
「全員無事ですか」
「おうとも。全員から帰還報告来てるぜえ。トオヤとか坊っちゃんとか」
 そこで、紗夜子ははっとした。
「トオヤ! トオヤとジャック、それからディクソンは!?」
 オオナミはこちらが一瞬誰か分からなかったようだが、すぐに笑顔を浮かべて「無事だ」と言った。
「見るかい、嬢ちゃん」
 ほれ、と指先のボタンひとつで魔法のように映し出されたのは。
『くーっそおおおおお!!』
『なんでここで戦わなあかんねーん!』
「………………?」
 聞こえてくる音声は恨み言。
 簡素な人型ロボットを破壊しながら通路を突き進む二人だった。
「あの、これは一体……?」
「やー、ちょっと最近作りすぎちゃって」とロボット示してライヤは照れた。
「戦ってますけど!?」
「ただで帰ってこられては困るから。ちょうどいい」とボスものんびりしている。ええええと困惑の声を上げる紗夜子だ。
『くっそ親父!! 見てんだろ、なんとか言え!』
「おーおー威勢がいいねー。じゃあお望み通りに、っと」
 マイクの前に座ると、ボタンを押した。
「やほー、我が息子よ! 久しぶりだな!」
『くそ親父、紗夜子を出せ!』
「それがお父さんにお願いする態度ですか? 会わせるわけにはいかないもんねー」
 べーっと舌を出したライヤはそのまま言いたいだけ言って通信を切ってしまった。『待てくそ、』とトオヤの声がぶつ切れる。
(お、お父さんなんだ、やっぱり……)
 確定してしまった事項にショックを受けつつも、挑みかかる。
「どうしてトオヤの邪魔をするんですか!」
「トオヤは今は俺たちの指揮下にあるんだよー。勝手に重要人物を連れていかれたら困るわけ。今あいつにそこまでの権限はないってこと!」
 ぐっと唇を噛み締めた。
「トオヤが先鋒指揮官じゃないから、ですか」
 ライヤはにやにや笑っている。
「それも一因かなあ。あいつ、元々単独行動が多くて指揮官としては不十分。戦闘能力は高いけど突っ走り過ぎ。そんな自覚のないやつにさよちゃんを任せるわけにはいかないの」
 悔しかった。トオヤはいつだって紗夜子の目指す先にいて、第三階層から駆けていけなかった紗夜子だったのに、トオヤはあのホテルまで来てくれた。自分ひとりで、方法を見つけて来てくれたのだと紗夜子は思っている。それを認めてほしい。
 ボスがフォローする言葉も聞いていなかった。
「気にしないでいい、サヨコさん。ライヤの言っていることは、全部自分に返ってくる言葉だ」
「えー、そんなことないよー」
「自覚がないのは悲劇だな」
「どうしたら……」
「ん?」
「どうしたら、トオヤに指揮権を返してくれますか」
 二人は顔を見合わせたが、すぐにライヤが目を輝かせた。ふむ、と腕を組んでちょっと考え、ぱちんと指を鳴らす。
「こうしよう! これから、さよちゃんはトオヤとかくれんぼをする!」
 ぽかんとした。
「かく、れんぼ?」
「範囲はアンダーグラウンド全域。期間は三日。鬼はトオヤとジャック! UGはみんな君の味方をして、AYAも君だけの味方で鬼には情報を与えない。君が逃げ切れたらトオヤに指揮権を返してあげてもいいよー!」
「それじゃあ賭けになりません! 私が逃げ切れたら、トオヤが素人に負けるってことじゃないですか」
 トオヤに指揮官の能力がないということになってしまう。
「でも君は、UGになることを決めたんでしょ?」
 ライヤは何も言えなくなるような、後ろめたさのない満面の笑みだった。
「UGになりたいっていう君が長く逃げれば逃げるほど、俺たちは君の能力と、トオヤとジャックの能力を見られるんだよ。UGに必要なのは戦闘能力だけじゃない。情報収集、人的掌握、権謀術数、様々な能力が必要になってくる。得意不得意は理解してるよ。けど、俺はUG本部として、そして父親として、トオヤに標準以上の能力を求める」
 そして冷酷な笑い方をして言うのだ。
「あとー、俺は君が戦うのを認めてないからね!」
 驚いた。「どうして!」と反射的に問い返していた。
「訓練も受けてないドシロートを戦線に出せると思う? それに君は、今や【女神】候補なんだよ。分かってるのかな?」
 かな? かな? と身体を大きく横に曲げるライヤは、本当にいやみったらしかった。それでも、彼の言うことは正しい。戦えると言っても紗夜子の能力は、一般人より出来る、というレベルだ。そして、彼らとしては、目的である【女神】に到達できる鍵たる紗夜子は、そんな本人のわがままで失われてしまうわけにはいかない存在になった。
 拳を握りしめる。自分は何一つ変わっていないのに、見えないものが付随して、身体をどんどん重くしていく。身動きできなくなる。そんな束縛は、決して紗夜子自身望んではいないのに。
「自信がないなら、この話はないことにして構わないよ。本部がトオヤを手足にしてこき使うっていうのも、ありだもんね。俺の肩揉ませてー、お茶汲みさせて。掃除させて洗濯させちゃおっかなー?」
「受けます」
 紗夜子は言った。頭に血が上っていた。
「受けて立ちます、かくれんぼ」
 ライヤはにんまりした。ボスがそこで「待ちなさい」と声を上げる。
「サヨコさん、落ち着きなさい。それではあまりにも君に不利だ。ライヤも若い人を焚き付けるな」
「受けるって言質取ったよ」
「私も受けるって言いました」
 ライヤを睨むと、ボスは深々とため息をついた。
「なら、こちらでゲームバランスを取ろう。サヨコさん、君はアンダーグラウンドの地理に明るくなく、戦闘能力も低い。ディクソンをつける。相手も二人、こちらも二人で、アンフェアは多少なりとも縮まるだろう。……ディクソン」
「はい」と背後で返事があって飛び上がった。
「ディクソン!」
「久しぶりだね、紗夜子さん」
 大きな身体をしたアンダーグラウンドでの武術の師匠は、太い首を傾けて笑った。とても元気そうだ。
「さて、そろそろ始めちゃうよー」
 紗夜子はディクソンに言った。
「行こう!」


 鉄製の扉は、缶蹴りの缶よろしく宙を舞った。くの字に折れ曲がった扉は落下し、ものすごい音をたてて更に凹んだ。下にいた人々が悲鳴を上げて抗議する。それを無視して、階段を使わず、義足の力で下まで一飛びしたトオヤは、一気に距離を詰め、そこにあった父親の襟を絞めた。
「舐めた真似しやがって! 紗夜子はどこだ!」
 まるで特撮ヒーローの装備のような、自作のエンジン付きローラーブレードを走らせ少女をさらった、父とは認めたくないほど小汚い中年男はぺろりと舌を出して斜め上に視線を投げた。
「逃げちゃったよ?」
「馬鹿言うんじゃねえ、逃げる必要がねえだろうが!」
 鼻から信用していないトオヤは更に首を絞めたが、そこに、ゆったりとした声がかかった。
「本当だ、トオヤ」
「どういうことやねん、親父」
 トオヤに遅れて下に到着したジャックが、父親であるボスに尋ねる。
「サヨコさんと賭けをした。トオヤ、ジャック、お前たち二人と、サヨコさんとディクソンの二人で、隠れ鬼をする」
 意味が分からない。ジャックはあからさまにぽかんとしている。
「かくれんぼ? なんでまた」
「怖いんじゃないかなー。今やさよちゃんはエデンの重要人物になっちゃったわけだし。UGがひどいことをしないとも限らないしねー」
「誰がそんなことあいつにするか!」
 へらりとライヤは笑った。大声で食いかかったのを、面白がる顔だった。
「どういう賭けをした」
「逃げ切れたらさよちゃんの望むものをあげるって」
「なんだそれは。教えろ!」
「言えないよー。女の子の秘密は守るものなの!」
 トオヤは、自分の神経が二三本切れそうになっているのを自覚したが、鼻と口から深く息を吐きつつ、歯をぎりぎりと鳴らして父親を睨み据えた。その視線に気付かぬはずがないのに、「あ、そうだ!」とライヤはさも名案という表情を浮かべて、手を打つ。
「早く見つけられたら、トオヤ? お前に指揮権返してあげてもいいよ!」
 ちらっとボスがライヤを見たが、頭に来たトオヤの視界に入っていない。ふざけんな、と拳を握りしめ、後ろに引いたのを、ジャックが慌てて掴んで止めた。
「ほんまやな? 二人とも」
 ボスは頷いた。
「確かに……お前たちの能力を見るには十分なゲームだ」
「ルールは?」
「期間は三日。場所はアンダーグラウンド全域。鬼はお前たち二人だけ。UGもAYAもお前たちに味方しない。頼れるのは自分の力だけだと思え」
 げっとジャックが呻いた。AYAの力が借りられないということは、得られる情報がかなり限定されるということだ。
「ちなみにさよちゃんにはディクソンをつけるからー、そのつもりで!」
 ボスは深く、ふっ……と笑った。
「UG先鋒部隊対UG本部の隠れ鬼だ。お前たちの本気を見せてみろ」
 トオヤは父親を突き飛ばすと、彼とボス二人に向かって指を突きつけた。
「受けて立つ! 俺が、ダチと一緒にふらふらしてただけじゃねえって思い知らせてやるから覚悟しろ!」
「それって三下の台詞だよ、トオヤくん!」
「るせえ! 行くぞ、ジャック。もう始まってるんだろうからな!」
 トオヤは一足飛びに階段を駆け上がり、ジャックは二人に軽く肩をすくめると、同じようにしてラボを出て行った。

 二人が出て行った後、くすくすと辺りから苦笑が漏れた。ライヤとトオヤの不仲は有名で、顔を合わせれば一方的にトオヤが怒鳴るものだから、UGたちはその青さに苦笑するのが恒例なのだ。いつも飄々と大人びて、言動は自分勝手なくせに、父親の前となると反抗期の子どもに戻ってしまうトオヤ。
 子どもらしい、ということは、とても懐かしく、寂しいものだ。誰もが自立して、銃を手に取って戦わねばならないアンダーグラウンド。子どもでも、容赦なく。
 だからこそ、トオヤとライヤの言い合いは楽しいのだ。ボスは、それを分かって無駄にトオヤを逆撫でするライヤを軽く諌めた。
「お前というやつは。意地悪にも程がある」
 紗夜子とトオヤ、二人に対する言い分が違っている。後で怒鳴られるのは自分なのだが、悪びれずにライヤは歯を見せて笑った。
「でも、どっちも本気でやるじゃん?」
 それが問題なのだ。このままでは、双方ともに本気に隠れ鬼を実行することになる。怪我がないといいんだが、とため息が出た。
 しかし、本部から離れ、独自の機動性を持ち始めていた先鋒部隊の、能力を見極めるにはいいチャンスではある。この結果次第で、トオヤに指揮権を返してやってもいいと本気で思っているボスだ。
「さて。面白いのは、認めるんだがな」


  
    



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