鳴り響いたアラームに、夢の世界に突っ込んでいた足を引っこ抜いた。飛び起きる。
「第二層第二街にて目標発見!」
「カメラ、パンします!」
 視点がぐっと近付き、不鮮明な映像で、駆けていく紗夜子とディクソンの姿が捉えられる。
「第一層へ向かっていると思われます」
「了解、近辺の探索班は、すぐ確保、」
「第五区にて目標発見との連絡!」
 トオヤもジャックも黙り込んだ。マオがはあ? と声をあげる。
「分裂……?」
「んなわけあるか! 落ち着け、どういうことだ」
「無線連絡、スピーカーに切り替えます」
「探索班A、もう一度報告乞う」
 機器を操作したモニター班が、インカムに声を吹き込む。しかし報告は、また別の声で続いた。「第一街にて目標発見!」「第九街、目標発見」「零街、目標確認しました」その中で、ひとつだけ変なイントネーションの声があった。
「第、ヨン、街にて目標発見!」
 はっとしたトオヤはマイクを奪って怒鳴りつけた。
「AYAだな!?」
 ジャックもあっという顔をした。
「電波ジャックか!」
「そんなことできるんすか!?」
 指摘は当たっていたらしく、途端、ぷっつりと報告は途絶え、後は混乱したUGたちの「了解!」の声と「どういうこと?」の問い合わせで、通信状況は無茶苦茶になっていた。慌ててジャックが訂正の連絡を入れる。
「くそっ、紗夜子のやつ、なりふり構わずじゃねえか!」
 言ってから、ぎくっとした。

(あいつ、そんなに俺から逃げたいのか?)
 紗夜子が恐怖の顔で背を向ける、そんな光景が見えた気がした。

 次の瞬間、引火するような、何かを殴りつけたくなる衝動が起こり、しかしそれを腹の中で押しつぶし消し潰して、ぎっと歯を噛んで堪えた。口の中に、噛み切れない固まりが残った。
「肉声と合成音声の区別つくか」
 低く聞いたトオヤに「解析中!」とモニターの少年は返す。


 きゃああ、と紗夜子は内心で悲鳴を上げていたが、それは実際には「ぎゃあああっ」だった。
 狼に追い立てられているというより、小犬の群れに追いかけられている気分なのは、彼らが紗夜子と同じくらいか年下の少年たちだからかもしれない。それでも、マオの仲間らしい少年たちが何か報告らしいことを叫んだり、追い込むような指示を口にしながら追いかけてきているのは、心臓が壊れそうなくらい恐ろしい追いかけっこに感じられた。
 その他に追っ手が集まる気配はない。AYAがうまく撹乱してくれているらしい。味方を最大限に使った紗夜子だったが、反則技に近いかもしれない、とやっぱり気が咎めた。情報を根本から混乱させているのは、学校の休み時間の鬼ごっこで、職員室に隠れるようなルール無視の裏切り行為に等しい印象だったからだ。
 しかしそれでも捕まるわけにはいかない。紗夜子は、トオヤに戻ってほしいのだから。
 逃げ切れなくてもいい、ただ、トオヤが認められればいい。
 上へ行く通路には、少年が一人立っていた。
「どいてどいてどいてー!」
 ぎょっとしたように立ちすくんだ彼は、こちらが捕獲対象と分かって身構えた。だが、ディクソンが素早く前へ出て襲いかかる。そのとき屈んだディクソンの大きな背中を、紗夜子は大きく足をあげ、踏みつけた。
「ほっ!」
 彼が伸びをした勢いで、飛ぶ。
 少年たちは、頭上を超える紗夜子を、ぽかーん、と口を開けて見送った。

 だん! と、布に包んだ足が大きく着地音を立てた。くるんと振り返った紗夜子は、彼らに向かってピースサインを作ると、全速力で走り出す。

「お、追えー!」
 そのさきは、勝手知ったる第一層だった。





「第二街ポイントBに出現!」
「カメラでも確認できましたっ」
『突破されましたすみませんー!』
 泣き声が通信機から響き、その場の一同から深いため息が洩れた。
「逃げられたか」
「けど、第一層やったら先鋒部隊がまだ残っとるはずや」
「出るぞ」とトオヤは立ち上がる。
 しかし、それきり紗夜子の消息は途絶えてしまった。少女一人、それもアンダーグラウンドに来て間もない少女は、人の目につきやすいはずなのにだ。紗夜子だけでなくディクソンも探させているが、潜伏しているのか報告も上がらない。表示させたデジタル時計が数字を巡らせ、代わりに焦燥が降り積もっていく。隠れ鬼本部でも、ここまで振り回されるとは思わなかったのだ。
「あんな図体がでかいの、どこに隠れるんだ」
 念のため、割り当てられている零街のマンションの部屋も見に行かせたが、見つからない。医師である佐々波のところにも匿われていないようだった。見張りをつけてしばらく監視したから、万が一がなければここにはいない。
 疲れた息は、無意識に吐き出されていた。
「トオヤ、お前仮眠しいや。布陣は俺がやっとくから、その間」
「悪い。さすがに疲れた」
 トオヤは仮眠ベッドに横になり、目を閉じた。
 ジャックの打つキーボードの音が聞こえる。
 ジャックの地位は回復していないだろう。あんな大立ち回りをして裏切ったのだから当然だ。だがこのかくれんぼが開始されてから、トオヤはジャックとずっと行動を共にしてきた。ジャックを信頼して側に置いているということは、部隊連中の認識はあるはず。それに、ジャックも自分の名前では命令を出さないはずだ。マオにも疑いはあるはずだが、いくらきかん気の強い年少でも作戦行動の邪魔をするような真似はしないだろう。
「ジャック」
 んー、とジャックはパソコンに向かいながら生返事をする。
「もうどこにも行くなよ」
 キーボードを打つ音が一瞬止まったような気がしたが、そのときにはトオヤはすでに眠りの世界に足を踏み入れていた。


 寝息が聞こえてきたのを背中で聞いて、ジャックはくす、と笑った。やがて、それは背中を震わせる大きな忍び笑いになった。トオヤの寝付きのよさは昔から相当で、いつも羨ましかった。眠い、と口にしたときにはもう寝ているので、悩みがなさそうだと羨んだこともある。なのに危険には聡くて緊急時の飛び起き方といったら尋常じゃないのは反則だ。動物か。
(不安やったんかな)
 ごめんな、と心の中で謝る。
 自分の中にあった不安は、トオヤを心から信じてやれないことに由来していた気がした。底の方に、あいつは第三階層者だから、と書いた紙が敷かれていて、色々なものが積み重なって見えなくなっていたけれど、そこにあることは無意識に分かっていて。
 その理由をよく考えてみると、いつかトオヤは、地上の高いところに去っていくものだと思っていた、というものが当てはまる気がした。不安の名前は、恐れだったのだろう。いつまでも一緒にいたいと思っている自分がいることに、ジャックは少しだけ嬉しくなった。
 こんなにも大切で。守りたいと思うものがある。
 だから、自分は戦っていけるのだ。
 三人がいいと思っていたのは、自分もトオヤもだったらしい。笑みが、こぼれた。

 すると、突然「ジャックさんて」とマオが口を開いた。
「なんかトオヤさんの兄貴みたいな感じなんすね。前から思ってましたけど」
 振り返ると、椅子の上に足を置く蛙のような座り方をしている。なんとなく、これがオネエちゃんらにウケるんかなー、と考えるジャックだ。
「んー、まあ、一緒に育ってきたからかな? 兄貴みたいに頼ってはもらわれへんけど」
「頼ってますよ。俺だったら、あんなことがあったのにそんなすぐにジャックさんのこと、信じられない」
 苦笑した。マオの目は真剣で、様子をうかがっている猟犬のようだ。そんな少年がトオヤの側にいることを嬉しく思う。
「どうしてそんなに信頼できるんだろうって思ってて、でもジャックさん見てて分かりました。ジャックさん、トオヤさんのためにスパイしてたんすよね?」
「なかなかかっこええこと言うね、君」
「茶化さないでくださいよ。トオヤさんのためなんでしょ?」
「かゆくなるからやめてー」とジャックは身をよじった。

『トオヤのため』という言葉は、自分を正当化させるようで心苦しい。そんな美しいものではなかった。自分の価値が分からなくて、トオヤが信じられなくて、何かできないかともがいて、やってはいけないところに手を出したのだから。

「そんな綺麗なんとちゃうよ。自分のためやった。でも、もしかしたらトオヤのためでもあったかもしれんな」
 でも、と思う。そういう、変化を求めたのは、彼女がいたからだ。

 今、この地下世界のどこかを駆けている少女を思い浮かべた。彼女を思うとき、風を切るように真っすぐに駆けていく姿が浮かぶ。それに時々振り返って、早くおいでよ、と言っている。誘いの手。差し出す手には勇気。光へ向かって、先んじている彼女。

(きっかけは、サヨちゃんやった。……サヨちゃんのこと、守りたかったからやねんで)


      



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