地下に下るほど、扉がなくなり、ただの通路になっていく。トオヤが何かに気付いたように壁に手を当て、「振動してる気がする」と呟いた。
 深いところへ進む道は、やがてほのかに明るくなり始めた。行き止まりの場所から、明るい光が漏れているのだ。緑と黄色が混じったような、奇妙な色の光で、通路はゆっくりと染められていく。
 そこに行き着いたとき、紗夜子は息をのんだ。
 巨大な空間が、縦に伸びている。おそらく下ってきた分だけの高さがあるだろう。そこに、巨大な塔が建っている。何らかの巨大な装置だ。緑色の光は、その滞りない状態を表す無数のランプのせいだった。そこから目を離し、辺りを見ると、周囲には大きなモニターや、人が寝転がれるようなカプセルのような機械が置かれている。トオヤが歩き出したので、慌ててついていく。
「これ……なに?」
「俺が聞きてえ」
 そう言いながら、トオヤはモニターに向かった。デスクの下に手を入れると、キーボードが引き出すことができた。これはコンピューターなのだ。電源を探すと、すぐに立ち上がった。見たことがない起動画面だ。
「ちっ。ロックかけてやがる」
 ログインを求められ、トオヤはすぐに電源を切った。
「いいの?」
「パスクラかけると知られる可能性があるからな」
 ありそうだ、と納得した。トオヤはモニターの前から離れると、カプセル型の機器に向かった。覗き込んだり、ボタンを確認したりして、何なのか考えているようだ。紗夜子も部屋を歩き回ってみた。
 コンピュータールーム、といった感じで、生活感はない。トオヤたちのように食べ物や飲み物も置いておらず、書類もない。ただ何か分からない機械が稼働していて、静かに唸っている。
「AYAの本体とか?」
「メインは本部にある。各階層にサブも置いてあるけど、これはサブとも思えねえな……」
 紗夜子は塔の前まで来た。それを見上げ、呟く。
「ねえトオヤ」
「あ?」
「これ、どっかで見たことある気、しない?」
 トオヤが振り向く。
 これ、と塔を指した。
「第一階層のホテルで。あの時は、銃がついてたけど」
 トオヤが目を見開き、真剣な足取りで近付いてくる。
「……投影装置?」
「だよね。【女神】とつながってて、【女神】の姿を投影する装置と、すごくよく似てる」
 黙って見上げた。見上げていても答えが見つかることはないが、それでも何か手がかりを掴んでいる感触が、うぬぼれのように強く感じられている。
 これが【女神】につながっているとしたら、エクスリスは何かをしようとしている。それがアンダーグラウンドに対してなのか第三階層に対してなのかは分からないが。
「あの装置」
 とカプセルを示し、トオヤは続ける。
「生命維持装置みたいな、生体反応を取るカプセルを改造したものに見える。で、あれ、この投影装置っぽいのに繋がってるみたいだ」
「中に入るのはやっぱり……」
「人間、だな」
 じりじりという機械の音で、焦りが焦げ付くようだった。底知れないものを感じて、血管が脈打ち、呼吸が忙しなくなる。気付くと汗をかきはじめていた。
「……『いつでも壊せるものを』」
「え?」
 トオヤが難しい顔で呟いていた。
「あいつが言った。『いつでも壊せるものを壊しても、楽しくはありませんよ』」
「いつでも、壊せる……」
 壊せるのか……という感慨があった。何故かは分からない。でも、出来るだろうという気はした。
 その時、胸に針のようなものが突き刺さったのは、エクスリスとセシリアの由縁が同じであると気付いたからだった。銀の髪、銀の瞳。絶対的な美貌の白い魔性。人を天上に呼ぶこともできるし、奈落へ突き落とすことも可能であるような存在。ユリウスもだ。Sランク遺伝子という血、それは、紗夜子の半分にもある。今朝方の夢の、銀色の瞳をした自分は、その暗示だったのだろうか。
 セシリアは、何のために自分を生んだのだろう。何故、タカトオだったのだろうか。
 注意深く、もう一度部屋を見回したトオヤの呟きが、紗夜子の心境を表していた。
「……あいつ、何をしようとしてるんだ?」
 エクスリスは、セシリアは、何をしようとしているのだろう?
 トオヤは腰に両手を当ててため息をついた。
「……ジャックを連れてくるべきか。専門的なことになると、俺はあいつほど分からん」
「連れてくる必要はありません」
 それまで気配もなかったところに第三の声が響き、トオヤは素早く紗夜子を背後にすると、腰のホルスターに手をかけた。
 暗い穴となっている入り口で、エクスリスが微笑んでいた。
「あなたたちはこの部屋のことを口外しないと約束してくださるでしょうから」
 トオヤが距離を測っている。銃を抜くべきか判断しかねているのだろう。エクスリスは滑るようにやってきて、紗夜子たちに向かって笑い声を漏らした。
「いけない人たちですね。留守中に家に忍び込んで、泥棒と同じことをするなんて。見ない方が幸せだったように思いますよ。ここに来るよう言ったのは誰ですか?」
「誰でもいいだろ」
「ライヤさんだよ」
 二人同時に言葉を発してしまい、トオヤは黙った後、紗夜子に向かって思いっきり顔をしかめた。
「おっ前……」
「ごめん!」と紗夜子は平謝りだ。
「どうやら彼は、僕を裏方にはしてくれないようですね」と笑みまじりにエクスリスは呟いた。
「見られたからには仕方がありません」
 息を呑んだトオヤが銃のグリップを握る。紗夜子も銃の位置を確かめた。エクスリスが武器を携帯しているかは分からない。たっぷりしたローブだから、何を仕込んでいてもおかしくないように思える。彼がどれほどの能力を持っているのかは分からないが、セシリアと同じように教育されているなら。
(多分、かなり強いはず)
 汗が冷たく感じられ、飲み込んだ唾で喉が痛い。
 エクスリスは言った。にっこりと、笑顔で。
「黙っていてください、とお願いするほかありませんね」
 紗夜子はトオヤと二人して目を見開いたが、トオヤは構えた。
「……ただで黙ってろってわけじゃねえだろ?」
「お願いはお願いですよ。哀れで卑小な僕という人間から、君たちへ乞い願っているのです。黙っていてくれませんか? でなければ、計画に支障が出てしまいます」
「なんだ、計画って」
「父君から聞いていないんですか? 僕はライヤの補佐的な役目を言いつかったんですよ。プログラマー、AYAのメンテナンスを行う技術者として、ね」
 僕程度の人間に依頼するなんてよっぽど人材不足なんですねえと、エクスリスはにこにこしている。無邪気な表情に、紗夜子は混乱してきた。陰謀、があるのではなかったのか。
「こ、この塔は?」
「AYAの予備マシンです。ここからメインコンピューターにアクセスできるようにしてあるんですよ」
「そのカプセルは」
「記録装置です。僕のテーマなんですが、記憶の保存、をやっているんです。まだ実験段階ですけれど、記憶をデータ保存する術が見つかりつつあるんですね。それでちょっとAYAのサーバーを借りています。人間の記憶領域は、とても容量を食うものですから」
「これまで俺たちに一線を引いていたお前が、いきなり協力することにした理由は?」
 困った人だという顔で、エクスリスはトオヤを見つめ、言った。
「弱みを握られましてね」
「弱み?」
「言わないのは許してください。『弱み』、ですから」
 弱み。それは、過去のこと、ではないのか。
(第一階層で愛した人との間に子どもがいて、二人とも第三階層に……)
「サヨコさん」
 呼ばれ、磁石のように吸い付けられた目を、どうしても逸らすことができなかった。彼がゆっくりと目を瞬かせると、睫毛から銀色の粉がこぼれそうだった。銀色の瞳は笑った猫のような顔で、いつ反転して恐ろしい獣のような目になるか分からず、背筋が凍る。
「何を、想像しました?」
 喉が渇く。目が痛い。目が閉じられないからだ。
 エクスリスが笑う。喉に手が伸びる。指先がその柔らかい皮膚を引っ掻き、やがて首を。
「紗夜子!」
「っ!」
 は、と呼吸が楽になった。エクスリスはトオヤを隔てた場所にいたまま、微笑を浮かべて紗夜子を見ているだけだった。幻だったらしい。でも、その苦しさは本物で、トオヤもそれを察知したから鋭く名を呼んだのだろう。取り戻した呼吸に、息苦しさの中で思ったのは、やはり、エクスは私が過去を知ったことに気付いているのだ、ということだった。
(誰にも言うな、ってこと……?)
 眼差し一つで息を止めさせるくらいに恐怖を抱かせるというのに、彼にとっては「お願い」の範囲なのだということが、怖い。彼が本気になれば、都市なんて簡単に壊せるのだということが、実感となって感じられた。肌がひりひりする。息がまだうまくできなかった。
「サヨコさん、体調が悪いのなら、トオヤにお願いしましょう。トオヤ、ライヤから依頼されたものを、上へ届けてください。その箱です」
 エクスリスは何事もなかったかのように紗夜子を気遣い、紗夜子の背後にあるデスクの上の、持ち運びできる金庫のようなものを示した。
「ね? 君はここで休んでいけばいいんです。トオヤなら、僕もあなたも安心して託せるでしょう」
 紗夜子は声が出せず、けれど必死に首を振った。
「……悪ぃな。使いを頼まれたのはこいつだ。連れてくぜ」
「振られてしまいましたね。残念です」
 エクスリスは引き下がった。トオヤは金庫を取り、紗夜子の手を取って歩き出した。触れられそうなほど近くすれ違ったのに、エクスリスは手を伸ばさず、見送る視線だけを背中に感じた。
 緑色の部屋から闇の通路に進んでいくのに、その暗闇は慕わしかった。





「……余計なことを」
 一人きりでも決して表したことのない本心を、彼は発していた。それは彼の計画と予定と狂わした、突発的な出来事が起こったからだ。幸いなことに核心には気付かれなかったようだ。
 この五年。地下世界のこの教会に拠点を置き、塔を積み上げていくのにそれだけかかってしまった。気付かれては困る。
 小さく手が震え、目がかすむ。動悸がし、肺がうまく働かなかったが、彼は落ち着いて持っていた薬を口に含み、噛み砕いた。
 通路から足音がこだましてくる。彼の【魔女】の履く靴は、いつも底が厚く、あるいはヒールが高いために、そのように音を鳴らす。まるで時計の振り子のように規則正しい。
 彼女が姿を現す。魅力的な容貌、蠱惑的な肢体を持つ、第一の【魔女】。
「ごきげんよう。……さあ、こちらへいらしてください」
 従順にしたがって目の前に立った彼女の服に手をかけて、彼は囁いた。
「こんなに綺麗な身体をしている君がいけない。僕の『魔女』……」
 髪を甘く後ろへ引きながら、彼は持っていたコネクタを彼女の首に突き刺した。意識を失って脱力した身体をカプセルに横たえる。接続されている身体は、本当に美しいものだった。人が作ったとは思えぬほど、人に近く、しかし、これはただのロボットに過ぎないのだと思うほど、快感と嫌悪を覚える。
 人と機械の街、このエデンは罪深い。そして、愛おしい。
 それでも、エデンは滅びる。
 滅びるのだ。


      



<< INDEX >>