メイクは薄く、派手すぎず。髪も、気合いは入れたが感じられない程度のナチュラルさで。服装は絶対に奇抜にならず、トオヤと並んでも違和感のないようにいつもの服装にちょっと女の子らしさをプラスして……などと考えていると、もう待ち合わせ時間だった。今日は迎えではなく、第一階層に上がる出口のところで、という約束だ。慌てて、靴を履く。動きづらくない、ジッパーのついた茶色のブーツだ。さすがにミュールや踵の高い靴を履く勇気はなかった。動けなかったらと思うと怖かったのだ。本当は、もっと幅広のブーツだと見た目がよくなったのだが。
 靴を履いた後、その場で下を向きながらくるりと一回転してみる。タイツではなくストッキングを履き、固い素材のショートパンツに、柔らかめのブラウスを合わせたが、女々しくならないように短い丈のジャケットのボタンをすべて留めてた。髪はめずらしくすべて降ろした。
 自画自賛をすれば、昨年大学に入ったくらいの年齢に見えるはず。トオヤと並んでも見劣りはしない、と、願う。
 玄関先でぐるぐる回っていても仕方がない。家を出た。
(うーわー、緊張する。トオヤからデートって単語が出たことに驚きだよ。顔、ちゃんと笑えたらいいなあ。気まずくなりませんように。沈黙が重くなりませんように!)
 道の真ん中で、片膝を立てる気持ちで両手を組んだ。
 零街のポイント六。約束の時間の十分前。
 トオヤはすでにそこにいた。
 覚悟していたはずなのに心臓がどきんと打って立ち止まってしまう。そんな気配をトオヤが察しないわけがなく、彼はもたれかかっていた壁から背中を離すと、軽く右手を振った。
「はよ」
「お、はよ」声が絡み、軽く咳払いした。顔が熱くなってくる。
「早えな。何時よ。十分前?」とトオヤは時計を見る。いつものダウンジャケットやジャンパーではなく、シャープな色合いのトレンチに、ボタンの形がおしゃれなシャツ、長い足をスキニータイプのパンツで包んでいる。金髪は変わらないのに、見た目が変わるだけでずいぶん印象が変わった。いかにも不良少年がお行儀よくしています、という風情で、なんだかにやついてしまう。
「何笑ってんだ?」
「めずらしい格好してるね、トオヤ」
「まあ、たまには、な。変か?」
「ぜんぜん!」
 変じゃないのがいいのだ。そうか、とトオヤの調子は軽い。似合わなくとも着られればいいというか、特にこだわりはないのだろう。そう思うと、服を選んだのが誰か気になった。
「その服、誰かが選んでくれたの?」
「いや、俺のだ」
 予測しにくかった答えにきょとんとする。
「任務とか、変装する都合で、色々服は揃えてあるんだ。動きづらいからあんま着ねえだけで。お前こそめずらしく普通だよな」
「ふ、普通……?」
 軽くショックだ。普通に見えるようにしたのは自分なのだが、この、裏側にかけた気合いとかナチュラルさに気付かれないものなのかと思うと。
(むなしい……! おしゃれってむなしいよ!)
 トオヤは「行くぞ」と外に身体を向けていた。そういうんだって分かってた! 分かってたけど! と紗夜子の目眩は止まらない。

 非常灯の薄暗い通路を上に向かう。コンクリートの壁を叩くとパネルが現れ、パスワードを打ち込むと、ドアとなってスライドする。埃が足下で舞い、出てみると、真っ暗だった。縦に細い光の線が入っている。トオヤは手を暗闇に沿わせると、何かを探り出して一気に横に引いた。先ほどよりも重たい音、ず、ず、と引きずるような音がして、目の前が明るくなる。ほんのりと明るい、廃墟の一室だ。埃をかぶった、壊れた家具がたくさんあり、トオヤが引いたのは本棚だったらしい。それを元通りに戻して、歩き出す。まだまだ、紗夜子の知らない出入り口がたくさんあるようだ。
 階段を下りていくと、人の気配がした。見れば、どうやら廃墟というわけではなく、まだ生きた建物らしい。入り口のテナントの表示には、一見して何の会社なのかよく分からない名前が入っている。
 外に出ると陽が眩しく、風が涼しかった。UGでない人々が歩いている道まで出ると、北西側に上階層を見ることができた。どうやら、出てきたのは街の西端くらいらしい。
「これからどうするの?」
「映画でも行こうかと思ってたけど」
 映画! 目が輝いたのが分かったのか、トオヤがくつっと笑った。
「とりあえずバスかモノレール乗るか。どうせだったら一番でかい映画館行こうぜ」
「うん!」
 バスは縦横無尽に走っているが、モノレールは外周と内周の二種類がある。ここからだと外周も内周も中途半端な距離だからバスで行く方が近いということで、やってきたバスに乗った。
 平日で、登校や通勤ラッシュも収まり、病院に行くというようなお年寄りや、買い物に向かう女性の姿がある。紗夜子は一番後ろの隅の席に座り、トオヤがその隣に腰掛けた。誰か、見咎めはしないだろうかとどきどきしたが、トオヤにちらりと視線をくれた人が一人二人いただけで、後はのんびりとバスに揺られている。
 くすくす、と紗夜子は口元を覆って小さく笑った。
「どうした?」
「おかしくなってきちゃった。数ヶ月前、バスに向かって銃をぶっ放した人が大人しく乗ってまーす、って思うと」
 こそこそと囁くと、トオヤもまた笑って声を潜めた。
「この状況ならバスジャックできるかもな」
「うわ、なにそれ。運転手さん悪い人がここにいます!」
 肩をすくめて笑った。いくつかの停留所に到着し、乗客が少しずつ入れ替わっていく。紗夜子たちも、商業施設が多く集まる地区で降りた。ありがとうございました、と紗夜子が言うと、「あがとござぁましたぁ」と運転手が独特の発声で応じた。十五分の間に、最奥の席で若者二人が「もしバスジャックするとしたらどんな風にするか」を話していたとは思ってもいない普段通りの声だった。

 アミューズメントパークは、やはり人が多かった。紗夜子くらいの年齢の少年少女は学校の制服のままで、明らかにサボりだという感じだったが、トオヤくらいの年齢に思われる男女は休日か空き時間かといった様子だ。なので、自分たちは浮いてはいないだろう、と思うことができた。
 数分置きに内容が変わるモニターの前に立ち、その日上映される映画を眺める。すべて座席に空きがあり、見たいものはすんなり見ることができそうだ。
「そういえば、トオヤってどういう映画が好きなの? というか、見るの、映画」
「見るぞ。でもよく見てたのはジャックでさ、あいつの趣味に付き合わされた。結構派手なアクションものをよく見てたけど、あいつが選ぶアニメ映画は面白かったな、CGとか使ってて。だから、アクションとSFが好きだな」
「あるみたいだよ、SF。『フォーリング・ヴェロニカ』だって。アニメじゃないけど」
「お前は? 見たいのはどれだ」
「『ハレルヤ』ってスプラッタホラーなのかな? でも、こんなところで血ぃとか見ても、ねえ?」
 ずっと迫力のあるリアルを知っているので、見ても興ざめしてしまう気がする。しかしトオヤが引っかかったのは「スプラッタ」という言葉だったようだ。
「お前、フィクションでも血を見たいのか」
「いや、フィクションだからいいというか……別に私も見たいわけじゃないよ、血」
 顔を見合わせて「…………」と沈黙する。
 隣に立った二人組の女性がタイミングよく「『わかれのラヴソング』見たかったんだよねー」「ちょー泣けるらしいね! これ見よっか!」と楽しそうに去っていくので、紗夜子は打ちのめされた。こっちは男女でしかもデートなのに、した会話はバスジャックと血の話だ。もうちょっと、もうちょっとこう色気を! と思うのに、期待するのは贅沢だと分かってはいるので、大人しくしておく。
「で、どれにする?」
「……じゃあ、『フォーリング・ヴェロニカ』で」
 チケットを買って、何か食べようという話になった。映画の終わる時間がちょうど昼食時なので、どこかで食事するから、食べるものは軽くしようとポップコーンを選ぶ。ジュースを選んでいると開場し、後ろ目の真ん中の席に並んで座った。人は少ない。しゃべる声がよく響いた。
「SFって、よく考えるとあんまり見たことないなあ」
「宇宙戦艦ものとか面白いぞ。ほら、昔あっただろ、シリーズ七作品の……」
「兄妹のやつ?」
「兄妹はシリーズ四つ目だ」
「私その辺りしか覚えがないなあ。地上波で春休みに繰り返しやってて、時々見てた。もしかしてトオヤ、かなり詳しい?」
 椅子に深く腰を沈めて、トオヤは複雑そうに言った。
「……あいつが、ああいう宇宙ものが好きでさ」
 トオヤが名前を呼ばない人物は一人しかいない。
「航空法があるせいでエデンは空に機械を飛ばせないけど、今のエデンの機械技術なら楽勝なんだと。なんでそれを封じ込めてるか分かんねえっつって。フィクションならそんな法律、楽に越えられるからって、繰り返しテレビで流してた」
「空へ行けるの? 飛行機とか、宇宙船とか作れるの、本当に?」
「らしいぞ。作ってみたことないみたいだけど。まあ、機械が空を飛んでたら一発でバレるからな。さすがにそれはあいつでもできないみたいで」
 他は気にしねえくせになあ、とトオヤは皮肉に笑った。
 紗夜子は頭上を見上げた。音響効果のあるシアター、その天上に、星が見える気がした。
「本当に空に行けたら、どんな気分なんだろうね」そう言おうとしたが、時間が来て、シアターが闇に包まれた。じりじり、ちりちりと音が鳴るような暗闇の中で、どん、と音がして、CMが始まった。予告編や特報が流れ、鑑賞の注意が流れると、いよいよ本編が始まる。

 西暦二一〇一年。人類は宇宙航行に術を手にし、宇宙のどこでもタイムラグを持たずに航行することを可能にした。しかし西暦二一五三年。母星である地球と宇宙ステーションとして隆盛した月に星間戦争が起こる。巨大兵器を有している月側は最終攻撃までの期日をもうけ、その間に身の振り方を考えろと地球側に要求。地球側は降伏側と攻撃側の二派閥に分かれ、論争。『その日』までに決定を下すことが不可能だと判断した国際政府の一部高官は、地球宇宙艦ヴェロニカに選ばれた百余名を搭乗させ、送り出した。ヴェロニカ出航の後、地球は攻撃を受け壊滅。ヴェロニカは帰る場所のない旅へ、新たな母星を探す旅に出る。
 数十年の時が経ち、ヴェロニカは、今は若者たちの船となっていた。狭い船内で繰り返される結婚、それも若年結婚で新生児率が上昇。一方で何らかの先天性的疾患を持つ赤ん坊が多くなっていた。幼い彼らを教育する者は人間ではなく母艦の人工頭脳ヴェロニカ。彼らにとっては、ヴェロニカこそ世界であり、母だった。
 主人公は船長の息子だ。彼はすでに船員の中でも高齢者に属していた。しかし初代船長であった父親や、送り出した父の友人の政府高官の意思を継いで、子どもたちを守ろうとしていた。
 ある日、ヴェロニカは未発見惑星を発見。無人調査船を下ろし、そこが人が生きるに足る土地だと確認する。しかし、艦内では下船派と航行派で対立が起きる。しかし、新生児の疾患問題は深刻な面まで来ていた。寿命は短く、成人しても発病率が高い。このままでは自分たちは滅びる。ヴェロニカを降ろし、地球から逃げてくることができた同胞たちを迎え入れるための星を手に入れるべきだという声が上がるが、その発言をした乗員が殺害される事件が起きる。犯人は一体誰なのかと疑心暗鬼に駆られる船内。疑いは、機械であるヴェロニカにまで向けられてしまう。船を放棄するべきだという考えまで飛び出すが、殺人は終わらない。慌てて船を小型艇で飛び出していった者たちがいたが、その小型艇が自爆し、船員たちは恐怖に囚われる。
 しかし、世論は下船の方向へ動き出し、星への着陸準備が行われる。いよいよ着陸の時、しかし、ヴェロニカは応答しない。応答プログラムが書き換えられていたのである。そんなことをできるのは整備担当しかいない。整備担当の科学者が殺人事件の犯人だったのである。ヴェロニカを母と仰いでいる科学者は、星に降りればヴェロニカは廃棄されてしまう、それは裏切り行為だと妄信し、殺人を行ったのだった。科学者はやがてこの船を自分のものにしたいと考えだし、全員を皆殺しにすることを宣言する。逃げ惑う船員。新生児たちや無抵抗の乗員を守る者たちや、科学者と対決を決める者。しかしヴェロニカを知り尽くした科学者を相手に、勝利の手はなかなか見つからない。
 しかし船員の一人の捨て身の行動によって、船員たちはヴェロニカのプログラムの一部を修復することに成功する。ヴェロニカの書き換えられたプログラムをウイルスにかかったものに喩えると、その感染した部分、船体を切り離していくしかない。
 プログラムを仲間に任せて、船長は科学者と対決する。己の敗色が濃いと判断した科学者は、最終プログラムである自爆を行うために逃亡する。船長は、その自爆プログラムを切り離すよう仲間に指示し、科学者を追いかける。格闘する二人。仲間は船長に早く戻れと叫ぶ。
「Falling」
 船長は命じた。そして、船は切り離された。船長と科学者もろとも。
 残された仲間たちがコントロールルームに集まり、ヴェロニカは指示を待っていた。『ここはどこですか』とヴェロニカは尋ね、そして、一人が答えた。
「Foreign. Veronica」

 いささか詰め込み過ぎの感もあったが、船長がかっこいい映画だった。でも、老人と若い女性のロマンスは、なんだか夢を見すぎていていただけなかった。そこはやはり、ストイックな男の世界を表現してほしいところだ。
 シアターが明るくなると、ほっと息をついた。暖房が少し暑く、しかし足下が冷えてしまっている。
「かっこいい映画だったね」
「……寒かったな」と言ってトオヤは鼻をすすった。ん、と思う。鼻がちょっと赤い気がするが、もしかして。
 しかし表に出ると、トオヤは平然として紗夜子を振り返った。
「腹減ったな、何食う?」
「あ、待って。パンフ買ってくる」と紗夜子はグッズ売り場に足を向けた。『フォーリング・ヴェロニカ』のパンフレットを一部買ってトオヤのところに戻ると、彼はフライヤーを手に取って見ていたようだ。なあなあと言って、一枚を差し出した。
「これ、面白そう」
「『侍の白、花のくれない』? ふうん、武士もの?」
「漫画原作で、ファンタジーみたいだぜ。今度はこれにしよう。今日は譲ってもらったし」
 一度手に取ったがフライヤーを元の位置に戻してしまう。紗夜子はそれをぱっと手に取ると、丸めて、鞄の中に収めた。
(『今度』、だって)
 思わず顔がにやけるのを抑えきれなかった。


      



<< INDEX >>