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 キャサリン・リカードからパーティの招待状が届いたのは、それからすぐのことだった。日時と場所が記されたカードには、彼女の美しい筆跡で帰宅を送り届けたことの礼が述べられ、よかったら、という気遣いそのものの言葉が添えられていた。どれだけの規模になるかは分からないが、アンを呼ぶくらいだから内輪のものなのだろう。リカード家が手がけている事業の十周年記念とある。
 それにしても、あのキャサリンが社交できるようになったというのは感慨深かった。ちゃんと交流できているのかしら。だんだん、その姿をぜひ見てみたいという気持ちになってきた。彼女は聞き上手だから、きっとたくさんの男性に思われているに違いない。そういえば、恋人はいるのだろうか。キャサリンの人気を想像する前に、彼女自身の恋愛事情に気になった。これまであまりそういうことを聞いてきたわけではないし、今更聞くのもどうかという感じだが、心に正直になるのなら、ちょっと、聞いてみたい。
 そのとき、いいアイディアが浮かんだ。キャサリンの父親は、銀星の耳飾りを管理してきたリカード公爵だ。耳飾りについて、遺失について、おそらく最も様々なことを考えた人物だろう。面会の約束を取り付けるよりも、パーティならば、他の人の好奇心を借りて、色々なことが聞き出せるかもしれない。
 ドレスは、持っている。誕生祝いにもらったドレスを、スーツケースに詰めて持ってきていた。アクセサリーは借りよう。素早く準備の計算をし、すぐに出席の返事を出した。

 午後のお茶の用意に現れたローリーは、カップを二つ分用意しながら、ドレスや靴を、探し物が見つけられない子どものようにひっくり返すアンを、昔と変わらない顔でにこにこ見ていた。
「当然、ルーカス殿下とお行きなさるんですよね?」
 少しうんざりとしながらアンは振り返る。
「ローリー、いつも一緒にいるわけじゃないのよ」
「でも一緒にいたいと思っておられますわ、殿下は」ローリーは本当に無垢な笑顔で、余計な情報を与えてくれる。美しいイブニングドレス。ドレス姿の私を、彼はきっと褒めてくれるに違いない。しかし重要なのは、アンがそれを信じられるかどうかなのだ。現状、リンドグレーン夫人、マリアンヌに続いて、ローリーまでも彼に骨抜きにされている。キャサリンだって。

 キャサリン。彼に対して硬直した態度の従妹を思い出して、アンは拳を握りしめた。どうして気付かなかったのだろう。キャサリンが彼を好きにならない保証はないのだ。あの怯えた態度は、彼に対する極度の緊張だったらどうだろう。間違いない、という気がしてきた。妙な頭痛がする。

 ドアがノックされ、ローリーが開けると、侍従が訪問者を知らせた。
「アン様、お片づけをなさいませ。お手伝いいたしますから」
 アンが散らかしたものを、ローリーがほとんど片付け、ぱちんと片目を閉じて「ドレスは当日まで秘密にいたしましょ」と夜会の支度一式を別の部屋に持っていく。アンが通すように言いつけると、再びノックがあり、返事の後に開けられた。笑顔のルーカスが現れる。
「やあ、アン」
「ごきげんよう」心なしか固い返事になってしまった。たぶん、彼は機嫌が悪いと判断したはずだ。実際そうなのだから、彼が悪いのではない。ルーカスは、今日はマーガレットの小さなブーケを手にしていた。昨日は、ダリヤだった。その前は、きっと彼が手ずから摘んだすみれの小さな束。ストック、アザレア、アネモネ……そんな風に、気付けばアンの部屋には彼から贈られた花の香りで満ちている。
「アン様。お茶のご用意ができましたわ」
「僕もご一緒していいかな?」この数日、聞かれる言葉は同じだ。答える言葉も。
「どうぞ」
 マリアンヌもお茶を入れるのが得意だが、ローリーはまさに経験が物を言う、といった様子で、重ねた経験でどのくらいの濃さ、香りが誰の好みなのかを把握している。ルーカスがローリーに、おいしいと笑いかけた。当然だ。彼女はすでに彼の好みを把握し、彼好みのお茶を入れることに成功しているのだから。アンも嫌いではない。ルーカスの好みは、まさにルーカス・ジークという、品よく人当たりのいい、けれどスパイスが効いていたもの。刺激的な要素を潜んだ彼そのものだと思う。
「そういえば」とルーカスは口を開いた。
「キャサリン嬢からパーティの招待状をいただいたよ。君にも来ていると思うけど」
「ええ。さっき返事を出したわ」
「行くの?」
「断る理由もないし、リカード公爵に会う口実になればと思って」
 彼は頬杖をついた。「耳飾りのこと、まだ諦めてないのか」
「当然よ。これじゃあ、何のためにクイールカントに戻ってきたのか分からないわ」
 諦める必要があるだろうか。まだ何も足掻けていないのに。しかし、答えながら首を傾げていた。戻ってきたときとは、自分から出る言葉の熱さも重さも違う。ずいぶん重く、ぬるいものになっているのだ。それでいて、質感も違う。あれほど確かな決意は、輪郭から崩れていくように脆くなっている。どうしてだろう。思うけれど、考えられない。お茶のぴりりとした味が、アンの目をルーカスに向けさせる。
「だったら、僕も行こう」ルーカスは表明した。「手を貸すと約束したからね」
 アンは何と言うべきか分からない顔になってしまう。
「楽しみだな、君がドレスアップした姿」
「別に面白くもなんともないわよ」
「ティンカーベルは可愛かったよ」
 アンは驚いてルーカスを見た。
「ジュニア・プロムの?」アンは大声で尋ねた。「あなた、あそこにいたの!?」ルーカスの肯定の笑みを見た途端、血の気が引いた。嫌な思い出が様々よみがえる。だって、あのプロムは――。

 アンの反応を見て、ルーカスは表情を改めた。「もしかして悪いことを言った?」

 椅子に落ちてきたような感覚で我に返ったアンは慌てて首を振った。「ご、ごめんなさい、あんまり驚いたものだから。そう、あそこにいたのね。私、気付かなかった」当然だ。だってそのとき、十六のアンは、十七歳の恋人しか見ていなかったから。
「誰かの付き添いで、よね? 私、あのときくじで負けてあの衣装になったの。同じキャラクターものでも、星の女神がやりたかった」
「アン。そんな顔色で笑っても、僕はそれ以上話すつもりはないから、安心して」
 ルーカスが不意に言い、アンは口をつぐんだ。もう一度口を開いたとき、吐き出されたのはため息だった。
「ごめんなさい……あんまり思い出したくなくて」
「なら思い出さなくていい。過去のすべてを暴いて自分のものにしようなんて、そんな強欲なこと、考えているわけじゃないから」彼は言う。優しい声で。「僕が欲しいのは未来だ。でも過去より未来の方がずっと長いから、僕は実は強欲なのかもしれない」
 つられて笑ってしまった。「そんなこと、思ってもないくせに」
「ばれたか。強欲だとは思ってないけど、最初に言ったのは本当だよ」彼は肩をすくめ、アンがそれに更に微笑を浮かべると、とても嬉しそうにした。そして、パーティのパートナーとなる約束を無理矢理取り付けていった。

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