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 ルイ・カナリーとマイク・カナリーから贈られてきたパーティの招待状の日付は、一ヶ月後を示していた。場所はマクレガー家。トゥンイラン一族とも付き合いがあるマクレガー家を指定しているのは作為的なのか偶然なのかを考えたが、イリスは特にコメントしていなかったから、おそらくあの兄弟が知り合いなのだろう。
 一ヶ月という期間は、ドレスを仕上げるのには少々厳しいかもしれないが、倒れるほど無理な時間でもない。エレンは優秀なデザイナーだった。人の使い方も心得ていたし、仕事の効率的なやり方を身体に叩き込んだ人間だ。彼女なら、きっと素晴らしいドレスを仕立ててくれるはずだ。
 フラムはそう思って笑ったが、思案の種はイリスの心のことだった。彼女はドレスを作ることには賛成した、だが、彼を婚約者にすることにはまだ迷いがある。

 一手が必要なのだ、彼を愛していると自覚するような……。

 必要なのはムードだ。トゥイの夜、暖かい風と潮鳴り、そして花の香りは心をくすぐるのに十分な要素のはず。実際、彼女は彼の思うままに触れられていた。あのまま、フラムの右手は彼女の素肌をたっぷり味わうことができたはずだった。滑らかで、少し汗ばんだ、まとわりつくような白い肌の感触をフラムは思い出し、唇で触れてみたいということまで想像は及んだ。だが焦りは禁物だ。何重にも包まれた花びらをはいでいくように、イリスの心に触れたかった。彼女の数多くの面に触れるたび、どんな強い芯と熱い心を秘めているのか想像するのが楽しかった。誰にも心に入れたくないと怯えているくせに、誰かを欲し、しかし他人のために怒るようなところ。彼女はアンバランスで、だからこそ愛おしかった。

 フラムはブランデーを傾け、そっと息を吐いた。イリスに必要なのはしっかりとした支えだ。感情を吐露できる、すべてをさらけ出せる大きな海のような。
 彼は壁にかかった写真を見上げた。弟が撮った、トゥンイランのプライベートビーチの写真だ。幼い頃、家族で過ごした島を捉えている。写真は弟の子供心が透かして見えるような光彩で美しく、昔はあのようにあの島を見ていたのかとフラムの心は静まり、じきにふつふつと煮えた。
 母と彼ら兄弟を島にやるのは、家族の恒例行事だった。父はいなかった。仕事が忙しいからと、何らかのプレゼントを送りつけてくるくらいで、島に現れることは滅多になかった。この行事が、父が外で遊ぶための期間だと気付いたのはずいぶん早かった気がする。フラム自身、仕事に興味を持ち始めていく内に、父の行動の奇妙さに気付いたのだ。母は知っていたが何も言わなかった。何も言わずに死んでいった。
 彼女は息子が、父親を軽蔑していることに気付いていただろう。「許してさしあげて」と言った悲しい目を覚えている、そんな目をさせた父親への憎しみとともに。

 写真を睨んでいたことに気付いたフラムは、酔った息を吐き出すことでそれを鎮めた。感情を抑えることは得意だった。世を渡っていくのには必要な技術だ。トゥイに根ざすトゥンイラン一族において、彼の能力は突出していた。その技術も、仕事の能力でも。父親から少しずつ実権を取り上げているが、近い将来一族を背負わなければならないことにプレッシャーを感じないはずはない。だからこそ必要だった。彼もまた、安堵とともに抱きしめて抱きしめられるようなパートナーを必要としていたのだ。
 過去はともあれ。フラムはグラスをはじいた。あの島を使うのはいいかもしれない。環境の変化は不可欠だ、変わるためには。今のままでも二人になる時間はないこともないが、イリスは自分に向き合うべきだし、彼と向き合うべきだ。
 一ヶ月後、二人は人々の前で婚約を発表しなければならない。それをひととき限りの嘘にするつもりは毛頭なかった。

 電話を取り上げ、内線でスウに指示をする。
「島を使おうと思う。準備をしてくれるか? それから、トゥンイランの名前で招待状を。招待者は、イリス・カナリーだ=v





 フラムはイリスに招待状を差し出した。ルイから贈られてきたそれを同じ気持ちで、何気なくそれを受け取り、イリスは首を傾ける。印字されたイグレン語で、あなたを招待するとある。……どこに?
 文面を辿り、差出人を見ると見知らぬ名前がある。トゥイ語は読めないが、併記されているイグレン語で読み取ることは可能だった。
「トゥンイラン……どなた?」発音知られぬ名前に困惑を浮かべると、横から飛んできたのはノイだった。
「トゥイの大資産家ですよ、レディ! 宝石と服飾で一財を築き上げた、古い家系の方です」
「そのトゥンイラン氏が、リゾートに招待する、とあるけれど……」
「すごいじゃないですか!」
 興奮のあまり、彼の顔は真っ赤になっている。同意を求めるようにフラムを見上げ、イリスもまたフラムを見た。しかしどうしても疑問ばかりが表れてしまう。
「どうしてあなたがこれを?」
「トゥンイラン氏にあなたのことを話したところ、私たち三人を招待すると言ったのです」
 トゥイの資産家がどの程度なのか、トゥンイラン氏がどんな人物なのか想像もつかないイリスは、どうしても素直に喜ぶことはできなかった。突然遺産を受け継いだときと似た不安がある。
「変化が必要です、あなたの生活には」フラムは言った。諭すように。「何も考えないだけの時間を過ごしなさい、というトゥンイラン氏の配慮です。私が案内を仰せつかったので、安心してください」
「そんな、会ったこともない方のご招待を受けるわけには……」
「彼は十分にあなたのことを知っています。そして、これからも知りたいと思っている」
 まるで見初められたみたいな言い方、とイリスは唇を曲げた。家からろくに出たこともない人間に、誰かが恋情を抱くとは思えない。それともよっぽど地味な女がお好きなのかしら。資産家というなら美しい女性たちと知り合う機会がたくさんあるだろうに、これは物好きが始めた奇特な遊びにしか思えない。

「困ったわ」
 うまい断りの文句が出てこない。
「受けてしまえば断る必要はありませんよ」誘惑するような声でフラムは笑った。「何がそんなに気がかりなのですか?」
「見知らぬ方のお誘いだということ」イリスはもう一度招待状をめくった。「そして、あなたがこれを持ってきたということ」
「仕事の関係ですよ」フラムは何も不思議はないと言う。
「ええきっとそうでしょうね。この方の伝手でイル・マリネンのエレンとつながりがあったんでしょうし」エレンの名前を出したことで思い出す。「そうよ、ドレスのことがあるわ」
「必要ならばエレンには島に来てもらうことにしましょう」こともなげに彼は言った。
「パーティがあるわ」イリスは顎を引いて別の手を繰り出す。
「一ヶ月後でしょう? その間に島を使えばいい」
「どうしてそんなにリゾートに行かせたがるの?」
「どうしてそんなにリゾートに行きたくないんです?」フラムは面白そうに目を光らせ、イリスを見た。「あなたには時間が必要です。自分を見つめ、私を見る時間が」
「フラム。ノイの前よ」うなるような低い声でイリスは彼を睨みつけた。
 しかし彼は意に介さない。そのノイに笑った目を向けた。
「君も旅行に行きたいとは思いませんか。イリスと一緒に」
 ノイの目はおどおどしていた。頭のいい彼は言ってはいけないことと本心に板挟みになっているのだ。
 イリスは降参した。額を押さえ、苦笑する。
「子どもに嘘をつかせる趣味はないわ」大きくついたため息は決意を固めるためのもの。「分かったわ、招待を受けましょう」
「やった!」とノイが両手を挙げた。フラムも喜びの表情を見せる。イリスはしかし念を押すことも忘れなかった。
「でも招待を受けるのは二週間よ。それ以上お邪魔するつもりはないということを伝えてもらえる? さすがに一ヶ月はご迷惑だと思うの」
「気にしないと思いますが」
「それでもよ。私にはお返しできるものが何もないもの。でも何かお礼を考えなくちゃね」
 フラムはただ微笑んだ。彼の喜ぶものについてアドバイスをくれてもいいのにそれをしない。ただ、トゥイの島を持っているような資産家のトゥンイラン氏に喜ばれるお礼の品は、十分すぎるほど分かっている顔だった。

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